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東京都道53号線 旧々道
吹上隧道

〜 さようなら明治吹上隧道 編〜

東京都青梅市
平成21年4月13日 来訪



桜の花も散り始めた4月の中ごろ。
関東オブ界を震撼させる衝撃的な情報が飛び込んできた。

「明治吹上隧道、封印される!」

今までも隧道坑口にはネットフェンスが設置され、一応内部には入れないようにはなっていたが、結局はよじ登ったり、金属ネットが破れた隙間から自分も含め多くの人間が内部へと侵入してたのが実情である。

だが今度の封鎖は かなり本気のものらしく、入るどころか内部を覗く事もできなくなったというのだ。

その現状をその目で確かめんが為、青梅街道を西進し現地へと赴いた。













現道「吹上トンネル」北側の坂下橋交差点より旧道へ入ると、桜の大木が出迎えてくれた。
吹上峠は標高は250〜300程度の低い峠であり、気候も平地と対して変わらないのだが、桜の咲く時期が微妙に遅れてやってくる。
この時既に平地では殆んど葉桜状態になっているのだが、吹上の桜は満開の時期は過ぎていたものの、まだかなりの量の花が咲いていた。


































廃れ行く道に散り往く桜。
なるほど、この道が車道からは陥落したものの、今だ歩行者道として残るのはこの桜のお陰か。
見ごろの時期は過ぎたものの、花弁舞う旧道と言うのもなかなかオツなモノである。
次は満開の時期に訪れてみたいものだ。

























昭和隧道へと誘うように桜並木が続いているが、今回の目的は明治隧道の現状確認である。
旧道脇からひょっこり分岐する登山道のような道が旧々道.


当然の如く、バイクは置いて徒歩で登っていく





























人一人分の踏み後だけが残る旧々道だが、元々は車道と言うか馬車道規格で造られた道である。
平地そのものは一車線分、軽自動車が通れるぐらいの幅員がある。


草叢に埋もれた残り四分の三ぐらいの路面奥には石垣の法面が埋もれている


















てくてくと旧々道を歩いていくと、フイに何かにつま先が引っかかり危うくこけそうになる。
一体なんだとおもったら、道を横切るように幾つもの鉄線が張られていた。
隧道への侵入者に対するトラップか!とアホな事を脳裏にかすめるが、当然そんな訳が無い
























鉄線の正体は旧道に対する落石ネットを引っ張るモノだった。
旧道は車道からは引退したものの、一応歩行者道としては現役。
それなり手入れはされているのだろう。
この鉄線もけっして古い物ではない。
一方、殆んど放置プレイな旧々道の路肩は鉄線の緊張を保たせる為の力点にされてしまっている。
まあ、後輩を護るために先輩が身を挺しているとも見えなくも思えなくもないが。

ちなみにここはちょっとした築堤になっているのだが、帰りの時に意外な発見をしている。

今はとりあえず隧道へ。




















隧道からの湧水や山の両斜面から流れてきた水によって出来た巨大クレパス。
予想通りというか、当然と言うか06年に訪れた際より、確実に大きくなっている。

この『吹上崩れ』を過ぎれば隧道はもうすぐ傍である。
杉林に囲まれた緩いカーブの切り通しを進む。

そして・・・



















・・・・・・・・。
































オワタ。

吹上隧道、終了のお知らせです

完全にバラックの壁で封鎖され中を覗く事すらできない。
しかし、それ以上に気になったのは坑口の雰囲気が余りに変わっている事である
参照に2006年当時の坑口を見てもらいたい。


もう明らかにに坑門の形が違う。
と言うか石材アーチが消滅してる・・・。

やっちまったな、青梅市。









坑口のアップ。
どうやらなんかの機材を使って坑口をゴッソリ削っちまったようだ。

・・・確かに南側坑口は以前から状態が良くなく、既に上部の煉瓦が崩れかけていた。
こちらのサイト の方が08年に探索された際には既に末期的な状態で崩壊は時間の問題と思われた。

しかし、人の手で破壊されるぐらいなら自然崩落で消滅してしまった方が個人的には清々しいかった。
廃モノの美しさとは人工物が人の手を離れ自然に回帰する様こそ原点にあり、自然の手で破壊されるならば、それもまた廃美の境地の一つでさえあると思う。

しかし、公共機関の手で文化財を破壊されるというのは余りにショックだ。

たしかに此処に「キモイ隧道」があるが為に近隣住人が大きな迷惑をこうむっている事は否めない。
自分だって いけしゃあしゃあと破れフェンスを潜って内部探索とかタチの悪い事をやっているのでエラそうな事は言えない。

でも、隧道に罪は無いよ・・・。


ちなみに南側の旧々道の民家横に強固なゲートが築かれるようになった。
間違いなく此処の住人が一番『吹上の呪い』で大きな被害をこうむっているのは間違いないので、しょうがないとも言える。

今、南側坑口へ行きたいのならば古道の峠を越えるべきだろう。
コレならば、それほど他人に迷惑もかからず、更には行くべき人間も選別されるであろう。
ただし、そこまでの苦労をして南側坑口に立った時、その報いはあるであろうか?
もしかしたら、大きな嘆きが結局待っているかもしれない。


我々は後に残すべき遺産を、一つ失った。










オマケ
吹上に残された小さな遺構

大きな失望を得て、肩を落とし帰路につく。
吹上崩れを越え「築堤」に差し掛かった時、ふと妙にこの場所が気になった。

・・・何でこのポイントって築堤になってんだ?
築堤にしなきゃいけない理由があるのだろうか?

その謎を解かんが為、あえて築堤の下へと降りてみる。
すると・・・





















暗渠見っけ。

ここ吹上に残された遺産は隧道だけではなかったのか。






内部。
下は川原石のような物で積まれ、上部は何かのブロックで築かれている。
土ぼこりで白っぽくなってしまい煉瓦だかコンクリだか良く解らんが、隧道と同時期のものならば煉瓦であろう。
というか、むしろそう思いたい。

この日は乾いていたが、雨が続いたり積もった雪が溶け出した時には此処に沢が流れるのであろう。

ちなみに小さな羽虫が大量にいて不快指数 高し。






















あと、築堤付近で見つけたもう一つの遺産?

煉瓦が何食わぬ顔して2、3個転がっていた。
隧道から崩れ落ち、流水に流されてきたものであろうか?


















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