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吹上峠(明治隧道)
東京都青梅市(旧々都道53号線)
2006・4・15 来訪

吹上峠には現・県道の平成トンネル、歩行者随道となった昭和随道、
吹上のある意味象徴となっている明治随道と3つもの『穴』が貫かれている。
さらに江戸時代の切り通しも合わせれば、それこそ4つもの道が切り開かれた訳であり
日本全国でも4世代もの道が残っているのは珍しいのではないか?

その吹上の道としては2代目、車道としては初代となる明治随道。
歴史的遺産としても結構なものだと思うが、現在は放置プレーもいい所であり
徐々に傷みが軋みだし、それが一層『凄み』に拍車をかけ『心霊スポット』としての格を上げて行く結果となっている。

さて、自分はすでに一度吹上の地を訪れており『昭和随道』の探索をしているのだが、
その時は明治随道の探索を「時間無いしぃ〜」と己に言い訳コイてスルーしてしまった。

が、その時より半年。
いくつかの『穴』修行を経て、「そろそろ覚悟すっか〜。」と再び吹上の地を訪れた。

都道53号線。
吹上峠手前である。
このバス停横の小道こそ『成木街道』旧々道である。
そして、この先に『噂のアイツ』が待ち受けている。
『この先通行止め
現在この道は、途中にある一軒の民家の為に使われている。
肝試しに訪れるのも良いですが、騒いだりして住人に迷惑をかけぬ様。
トラブルが起きて全く近づけなくなってもイヤでしょ?
民家を過ぎてちょっとの所に簡易なゲートが。
ここで四輪はアウト。
そのゲートを越えると路面はダートに。

道の下には、こちらもいい感じに「貫禄」をつけてきた昭和随道。
前回訪れた際には殆ど随道内に明かりが付いておらず、ここ突破するだけいっぱいいっぱい。
さらにオーラに気合が入った明治随道へ逝こうなんて無理な話であった。
眼下を走る旧道。
道の両端から植物が侵食。
かつての2車線道は、一車線から歩道サイズに縮まっている。
昭和随道坑口の真上を通ると、その先は急カーブとなっており、そのカーブ手前にはコンクリブロックによる第二ゲートが。
コンクリブロックを越えると吹上のランドマークの一つとなってしまった廃家が。
最早骨組みだけとなってしまい、まるで日本家屋の標本みたいだ。
井戸もあるが、やはり放置していると危険なため埋められてしまっている。
さあ、この廃屋が見えたという事はその道の先には・・・。
初代吹上随道。
「山の中に随分立派な建造物があるなァ」
それが第一印象であった。
以外だ。
もっと、戦慄が走るようなイメージで登場してくると思ったが、そんな感じはしなかった。
100年近い年月は随道にすこしずつダメージを与えているようだ。
坑口と内部に、このような段差が出来ている。
さて、2つ前の画像で確認できるように、フェンスネットが人一人入れるぐらいまでに破れてしまっている。
公共物を壊す行為は、けして褒められたものじゃないが、自分も結局の所「困った人」なので便乗させてもらう。

坑内へ進入。


・・・つかさァ・・・。


やっぱエグイよ、この随道!
坑内ではカエルの合唱が鳴り響く。
中央部は真っ暗。

・・・アカンわ。
数m入っただけで撤退。
ああ、やはり自分はへタレだったか・・・。
しばらく、坑口付近をうろつく。
その際、見つけた謎の煉瓦構造物。
なんでこんな物が?
これに関しては何も分からなかったが、まったく別の事を思い出す。

「そういや、江戸時代の切り通しがあるんだったよな・・・」
次回、『文政の切り通し』編に続く

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