このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
都道53号線、成木街道は江戸時代初期の頃から
成木地区の採石場から産出される石灰を運搬するために拓かれた街道で
現在も大量の石灰を積んだダンプカーが行きかっている
その道筋の難所の一つ吹上峠に車道を開削するため
明治に
初代吹上隧道
が貫かれ、昭和中期には二代目隧道、平成元年には現道の新吹上トンネルと
100年近くの間で峠に3つもの隧道が貫かれたわけである。
現在、昭和に開通した峠道は平成トンネル開通により旧道となり、車両は通行止めの歩行者道となっている。
が、自分はこの道が歩行車道としてあんまり役に立っていない事実をこの目で確認してしまった。
それは、物理的にではなく、心理的に。
車両が頻繁に出入りする平成の新トンネルを横目に、落葉が散らばる旧県道。 公園の入り口のような柵によって、車両の通行を遮断しているが二輪車なら辛うじて進入できる。(無論、本来は二輪車も通行止め。) | |
非常に荒れ果てた寂しい舗装路。 落葉だけでなく、道の両端は草が生い茂り、道幅を狭くしている。 街灯も立っているが、これちゃんと機能しているのか? | |
かつて、ここが都道だった頃の名残。 ふと前をみると、遠く向こうに一人老人が歩いているのが見えた。 散歩をしているのだろうか? 後ろから、本来、来るはずの無い二輪車が現れたのでちょっとびっくりして、こちらを見た。 が、またそのまま老人はトコトコ歩き始め、自分のいる位置からちょっと影になっている所まで進んだ。 そして、彼はそこで歩みを止めた。 何やら固まっている。 表情は遠くて窺えないが、ちょっと引け腰の体勢で手を口の辺りに当てていた。 「こら、アカンわ。」 そんな、ポーズである。 老人はそのままUターン。 自分は老人に一礼して通り過ぎたのだが、ちょっと顔が引きつっていた。 | |
老人はこれを見て退散したワケだ。 恐らく、彼は事前情報ナシで訪れたのではないか? 正直、前もって情報を仕入れてここに来てもイヤーな感じがするのに いきなり来て突然目の前に不気味な隧道が現れたら、普通の一般人は逃げ出すだろう。 | |
うーん、確かにここを徒歩で抜けるのはキツイな。 照明が1・2個、気まぐれについているだけでほとんど役に立っていない。 さらに、自動車道としては狭いかもしれないが、歩行者トンネルとして必要以上に広い坑道は人を不安な気持ちにさせるだけである。 はっきりいって、フツーの人が散歩に来る様な道ではない。 あえて言おう。 「趣味(道路探索・歴史・心霊系)のためのトンネル」 であると。 | |
トンネルを抜けて青梅市街地方面の坑口。 さらに、こっちは荒れ具合がヒートアップしている。 二車線あった道路が、もはや歩道サイズにまで狭まっている。 ちなみに坑口の上には 明治隧道 へ向かう道がある。 | |
坑口手前にはなぜか砂利が溜まっている。 意図的にあるのか、それとも上から崩れてきたのか | |
法面の石垣が崩れてしまっている。 峠南側は、道としては末期的な状況。 もしも斜面が一気に崩れてきたら、都は無い財政を使ってこの道を修復させる気はあるのだろうか? | |
新トンネル坑口手前で現道と合流。 丁度、トンネルの中に都バスが入って行くのが見えるが、かつてはこの道を通って都バスは峠を越えていた。 距離は長くはないが、途中にはきついカーブが1つだけあり、都市部を走る事の多い都バス運転手にとっては難所だったのではないか?(まあ、街中にもキツイ道はいくつもあるが) 今でこそ、オカルト名所と成り果てた吹上隧道も先人達が峠道を少しでも改良しようとして作ったものであり、多くの人がその恩恵を受けていたことを忘れてはならない。 |
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