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万世大路(旧国道13号線)
(福島側 2006夏編)
福島県福島市
2006・7・23 来訪

福島県福島市より秋田県秋田市を結ぶ国道13号線。
このR13号が起点の福島市を出てまず最初に出くわす難所が福島・山形県境の栗子峠である。
とは言え車両ならば現在は長大隧道と高規格道路によって快適に越える事が出来る。

さて、このR13の福島・山形県境区間を『万世大路』と呼ぶのであるが、
以前、何故この道がこんな大仰な名前をつけられているのか自分にとって不思議であった。
しかし、ひょんなことから旧道・廃道に興味を持つ事になったお陰で、
この『万世大路』の由来を知る事が出来、さらにこの道の大きな歴史的背景を持つ事を知る事ができた

『三島通庸』と言う人物がいる。
1835年6月26日(天保6年6月1日)鹿児島県(薩摩藩)生まれ。
初代山形県令、また福島県・栃木県の県令にも任命され、後には警視総監にまで出世している。
三島通庸は道路行政のエキスパートと知られ、会津街道・陸羽街道・山形街道等 数々の街道を開削している。

その中でも最も規模が大きく難航した工事が後の『万世大路』である。
山形県は四方を山に囲まれ、他の県へ移動するのには険しい山道を越えねばならない。
明治以前は酒田湾より最上川を下って内陸部へ向かう舟運が主流であった。
しかし、明治政府が陸運を重視した事により、山形県の流通網も大きく転換しなければならなくなった。
当時、東北の大幹線『奥州街道(現・国道4号)』へ向かうには米沢街道しかなかった。
しかし、米沢街道は登山道に毛が生えただけのあまりに頼りない道であった。
これではとても大規模輸送には耐えられない。

そこで三島通庸は栗子山直下に長大隧道を貫き新道を開削させる事を決定する。
周囲からは反対意見も多く出されたが三島は工事を強行させる。
ここで三島は『もう一つの顔』を覗かせる。

新道開削にあたり、膨大な人員と予算が必要となった。
三島はこの二つを民衆から搾取する事により解決させた。
当然、多くの反発も起きたがそれすら弾圧と言う形で鎮圧させてしまう。
目的の為ならどんな手段も厭わない三島を民衆は『鬼県令』と呼んだ。
(ちなみに三島が栃木県知事の時には足尾鉱山問題で田中正造と対決している)

ともかく、数々の問題を抱えながら明治13年10月19日、
当時の最長隧道『栗子山隧道』が開通した。
明治14年には巡幸中の明治天皇を向かえ開通式を行なう。
その際に天皇から「万世大路」の名を賜った。

昭和41年、東栗子・西栗子の二つのトンネルで抜ける現道が開通。
そして昭和47年に旧・栗子隧道中央部で大崩落が発生。
三島が全力を挙げて開削した旧・万世大路は二度と通り抜ける事が出来なくなってしまった。

この歴史深き万世大路。
旧道マニアなら一度は巡礼してみたい所だ。
しかし、閉塞した栗子隧道へは、果てしなく過酷な道程を越えなければならないと言う。
はたして、カブはどこまでたどり着けるだろうか?

東栗子トンネル福島側坑口。
全長2376mの長大トンネルで山形側坑口付近が県境となっている。
実は以前このトンネルをチャリンコで通った事がある。
坑内は2車線ギリギリで、全く歩行者・チャリンコの通行するスペースが無く、後方から爆音をたててやってくる大型ダンプに恐怖しながら前進していった思い出が残っている。

ちなみに、かつての自分にとって福島・山形の県境峠と言えば奥羽本線の板谷峠であった。
確かにこの峠も山形の近代を語る上で重要なルートである。
しかし前書きで述べたとおり、この国道13号線栗子峠もまた偉大なる道であったのだ。
さて、東栗子トンネルの脇に、このような怪しげな道が存在している。
この怪しげな道こそ旧・万世大路へのアプローチルートなのである。
しかし、この道しょっぱなから路面が荒れ気味で、何より傾斜が結構ある。
どう見ても単なる行き止まり(実際に行き止まりなのだが)作業道といった感じで、あまり入り込みたくない道である。
更に言えば訪れた時間がまだ早朝5:00であり、あたりの山からは朝霧が立ち込め視界があまり良くない。
付け加えて夏場という事もあり植物の植生も激しそうだ。

入口を目の前にして少々まごつく。
なんかイヤーな感じ。
だが、わざわざこの道を走りに千葉から来ているわけだ。
こんな所で撤退するわけにもいかんだろ。

意を決して突入開始!
で、イキナリコレだよ。

うーん半ば予想通りとも言えるが一面緑の世界。
それはもう前進する度にビシバシ草木が当たります。
その上、路面ぬかるみまくり、削れまくり。
その上、急勾配と来た。
たまんないね。
いろんなイミで。
幾つかのキッツい九十九折れを越えると、突然道路状況が穏やかになる区間にでた。
もしや・・・。
旧・万世大路に合流である。
左手に曲がっていく路面がアプローチ林道で、
本来の万世大路は画像正面に直進していくのである。
一面 草に覆われ最早 道であった痕跡が失われている。
この緑地の中へ少し足を踏み入れてみた。
するとそこは完全な泥沼状態となっており、あっと言う間に踵部分まで沈んでしまった。
これはヤバイ!と引っこ抜こうとするが、もがけばもがく程沈んでいってしまう。
なんとか脱出できたが、とてもじゃないが奥のほうへ進む事なんて出来ない。
この泥沼の向こうにも色々な遺構があるらしいのだが今回は断念する事にした。
多少荒れ気味とはいえ、ムリヤリな九十九折れが連続したアプローチ林道と比べれば、やはり旧国道は走りやすい。
今でこそ一車線分の轍しかないが、草木を刈り払えばそこには立派な2車線道路が出現するであろう。
そもそもこの道は福島・山形間を結ぶだけでなく、東北日本海側と帝都を結ぶ重要幹線だったのだ。
それだけに高い規格の道を整備する必要があったのだろう。
万世大路に入って最初の九十九折れを過ぎて少し進むと石垣の法面が現れる。
かつてがここが国道であった事を物語る生き証人。
前日に雨が降っていたせいか、路面のあちらこちらに水が流れている。
朝日が昇って来るにつれ水気を含んだ草木から水蒸気が発生し、辺りに霧を立ち込めさせる。
そんな中でも特に霧が濃い場所が現れた。
そこは道が急に曲がって斜面へと向かっている。
もしや・・・。
二ツ小屋隧道。
  
それは圧倒的存在感だった。
あまりに重厚な作りの坑口に思わず息を呑んだ。
それに思っていた以上に坑内が広い。
間違いなく2車線規格である。
明かりの見えぬ穴の中からは絶えず白い霧が吐き出される。
中は水が流れ落ちる音が響いている。

不気味さを感じつつも、それと共にこの偉大な遺構に感動していた。
ここを訪れた多くの人が、
「この二ツ小屋隧道こそが万世大路を象徴するモニュメントである」
と語る。

納得である。

これはもう単なる隧道の出口である事を越えて、一つの芸術的建造物である。
更に言えば『廃れ』がまた、この隧道の美しさをひきたてているような気がする。
さて、一気に反対側へ。
内部の写真も幾つか撮ったのだが、写っているのは暗闇だけ。
フラッシュ炊いてもでも霧が写るだけで全くダメだった。
坑内には幾つかの崩落と、落盤によりできた『滝』がある。(実は上の画像にかすかに写っている)
二ツ小屋隧道名物の『滝』を写せなかったのは非常に残念。
滝の周りは池となっており結構な深さとなっている。
スニーカーだったら間違いなく足元はずぶ濡れになるであろう。
隧道横の法面が崩壊している。
そこにも水が流れていて崩壊は現在も進行中と言うことだろう。
扁額。
明治14年に開通し、昭和9年に改築され現在の姿となった。
ちょっと引いた距離から隧道を望む。
・・・うーん、イイ!
隧道から先の道は?と言うと『滝』より流れてきた水により、路面が川と化してます。
隧道より先、一旦下り坂となり谷間へと下りる。
谷底の烏川に近づいた所で、この烏川橋で谷の反対側へと移る。
烏川橋は旧・万世大路の橋の中でも比較的大きめの橋なのだが、かなりガタがきている
この通り欄干は朽ちてなくなっている箇所がある。
通っている最中崩れやしないか不安になるが、さすがにコンクリ橋なのでカブ一台如きヨユーである。
さらに言えば山菜取りのおっちゃん等が軽トラとかで旧・万世大路に入る事も多いらしく(というか実際にすれ違った)、まだまだこの橋は現役なのである。
烏川を過ぎると再び道は標高を上げていく。
九十九折れで一気に高度を上げると、あたりは濃い霧に覆われ視界が悪くなった。

ちなみ早朝や霧の日は熊との遭遇率がグンと上がるそうな。
ヤベー、思いっきりドンピシャな状況だよ〜。
とにかくエンジンを切る事は厳禁である。
不幸な出会いは熊にとっても人間にとっても避けたい所だ。
途中、このような新しめの看板があった。
どうやらここいら一帯の山は日本製紙の所有地らしい。
と、いうコトは製紙業の人々にとってもこの旧・万世大路は必要な道なのであろう。
景色が開ける場所があったが、霧(と、言うか雲?)で何も見えず。
ツマラン。
万世大路、2度目の峠。
こちらはちょっとした切り通しとなっている。
ここらへんから少しだけ霧が晴れてきて、朝日がちらちら覗かせるようになった。
ここから、また下りに転ずる。
しばらく道を下っていくと、ちょっとした広場にでた。
広場には2台の車が止まっていた。
辺りには人の気配がせず、恐らくここから徒歩で沢の方へ行ったか山菜取りに行ったのだろう。
もしかしたら『同業者』かも知れない。

この広場にはかつて集落があったそうだ。
恐らく生活のすべてを万世大路にゆだねていたに違いない。
道に価値が無くなれば、ここに住む価値も無くなる。
今は人の生活の痕跡は何一つ残っていない。

さて、万世大路はここから先もまだまだ続くのであるが・・・。
こんな感じです。

うーんカブじゃちょっとキツイかなー?
さらに進むと・・・。
ムリッス。

徒歩で先へ進む事も考えたが、
この激藪の道(?)をろくな装備も持たず進むのは無謀以外の何者でもない。

撤退決定。
東北最高レベルの道路遺構『万世大路』。
正直今回の探索は無念さを残す事になった。
この道の現在の実質上到達点である『栗子隧道』へは行く事はできなかったのだから。

このあと山形側へ向かったのだが、
現在、万世大路旧道の一部が採石場の敷地内となっており休日となるとゲートが閉じてしまうのだ。
中々頑丈なゲートでカブで抜けるのは厳しい。
また私有地へ無断侵入するのは心理的にも心苦しいし、それ以前に不法行為である。
そんなわけで山形側へは侵入できませんでした。

現・国道13号で米沢の街へ下る際、心に固く誓った事。
それは・・・


「必ずリベンジしてやる!」



リベンジしてみました

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