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兵庫県道271号線



兵庫県養父市
平成21年6月19日 来訪



廃道、旧道探索を趣味として行なう楽しみは二つある。

一つは『困難な道を征服する喜び』。
人の手を離れ自然に帰るつつある道は、概ね倒木や落石・崩落等の幾多の危険を伴い、
それらを知恵と体力を振り絞って攻略していく様は
スポーティーと言うより『実際の肉体を使ったゲーム』の感覚に近い。
(ただしコンテニューは無い)

一方、もう一つの楽しみとは『謎に満ちたミステリアスな道の素性を解き明かしていく喜び』。
この趣味へ入ってきた第一歩と言うのは、大抵『怖い物の見たさ』というのがある。
荒れ果て崩壊した道、もしくは険しい山中に怪しく潜む廃隧道への単純な好奇心。
しかし、幾つかのそれら物件を探索をし続けていくと、
今度は『何故こんなモノがこんなトコにあるんだろう?』という疑問に行き着くのだ。
そして、ネットや書籍等の資料を見て、その以外な正体に行き着いた時の満足感は、
物理的攻略に勝るとも劣らない物がある。

この但馬の山地にあるドマイナーなローカル(未通)県道は
後者の『謎を解き明かしていく喜び』に満ち溢れていた










国道9号線『八鹿バイパス』の朝倉西交差点。
この交差点を南側に曲がると県道271線へと入る。
ちなみに南側へ曲がり、八木川を渡った先には旧R9の県道6号線が走っている。













のんびりした雰囲気の住宅地通る田舎県道。
養父市は2004年に養父郡の養父町・八鹿町・大屋町・関宮町が合併して出来た新しい市である。
自治体の名前としては『養父』の名が残ったが、2009年の時点での市役所は旧・八鹿町役場を使用している。

大きな地図で見る
この県道271号線はかつての八鹿町・養父町の境であった山地を越えているが、
その峠付近が車道通行不能とされる区間となっているのだ。

遠目にはさして険しそうにも見えない山並みだが、
現R9は1km強の南但馬トンネルで貫き
旧・山陰道のR312とr6は大きく山を迂回している。

果たしてr271はバイクで通り抜けできる道なのだろうか?









住宅地を抜けると一気にか細く頼りない道となる。
未通道路に良くある光景だ
大概この後は荒れたダートになり、登山道クラスに転落か、もしくは完全に道が無くなるかのどちらかだ。

しかし、極稀に一般的な車道とは言いがたい道なれど、なんとか通り抜けられてしまう道がある。
そして、そういった道は必ずといっていい程「曰くつき」の道であったりする。
オブローダーとしてはこういう道を見つけた時程、感極まる事は無い。


















時折、道端にこの様な小型の建て看板が設置されていた。

『0271A003 兵庫県』

県による何かの管理用のものようだ。
コード番号らしき数字の初め4桁の「0271」と言う数字は間違いなく、この県道の番号の事だろう。




















山へと指しかかり、やや勾配がかかるようになったが、それ程きつく感じる事は無い。
穏やかにゆっくり標高を上げていく。






















のんびりと上がってきた『舗装路』だが、ここで初めて山道らしい180度ターンの九十九折れを使って標高を上げる。
此処から先は流石に勾配がキツくなり、険しい狭路を辿りながら峠を目指す。
やがて万福寺と言うお寺の辺りで峠を越し、旧・養父町地区に入り麓へ通りていく・・・。


ただし、こっちは県道ぢゃない。(一回目は騙された)


県道はこっちだ。












草が生茂り、荒れたダートの怪しげな道
此方が県道271号線の正しいルート。
そして、未通県道のお約束の展開。

果たしてこの道は失望の道なのか?
それとも栄光の道なのか?

その答えへと導くヒントがこの「三叉路」の脇にあった。















苔生し、何が刻まれているか判別しかねるぐらい風化した石碑。
これは昭和とか大正とか言うレベルでは無い。

この道限りなくアヤシイ。
むろん、良い意味でだ。





























杉林に囲まれた山間を行く県道未通区間。
しかし、それなりに人の手が入っているようだ。
杉を管理している林業者はもちろん、炉端の小さな祠も質素ながら小綺麗な所を見ると、近隣住人も結構立ち寄っているのだろう。
路面も林道レベルとしてはまあまあでオフ車なら特に苦労する事も無い。
一見、路面中央部分が石畳の様になっているがコンクリで固められているので近代化以前の物では無いようだ。






















拍子抜けするぐらいあっけなく峠に到着。
「三叉路」から5分と経っていない。
勾配もやはり緩やかで何で此処が未だに未通県道なんだろうと思うくらい。
峠はちょっとした広場になっており辺りには伐採された木が集められ、
恐らくここで軽トラに載せて麓に下ろすのだろう。

貯木広場の片隅、丁度北側から登って来た道を見下ろすように
小さなお地蔵さんが鎮座していた
















未通県道の名無し峠を見守るお地蔵様。
やはり、先程の祠のように綺麗に清掃され、
朝方に摘まれたと思われる花とお水がお供えされていた。
古き良き日本風習を感じさせる峠の地蔵だが、
いったいの所、この地蔵はいつ頃ここにおかれたのか?

祠を覗き込み、お地蔵の右横に刻まれた文字を確認する。






















『明治二年』


・・・やっぱココ、単なる未通県道では無いような気がする。
この道のルートからしてもやっぱアレだよなァ。

地蔵の前でアレコレな思索を巡らしていた時、「最大のヒント」が峠向こう側からやってきた。



続く



















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