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木の実隧道
(旧・国道257号線)
岐阜県恵那市
2006・5・5 来訪

恵那市の外れ、旧・岩村町地域に残る木の実隧道。
現道「新木の実トンネル」が昭和63年(1987年)に完成。
旧道化して20年近く経った旧隧道はどうなっているのか?

「新木の実トンネル」ちょっと手前にて旧道は分岐。
現道は山を延長1350mのトンネルで貫き、全線幅広2車線の峠を殆ど感じさせない快適路。
一方、旧道の方は1.5車線程のいかにもしょっぱい地方国道と言った感じ。
現道分岐から隧道までは少し距離があるのだが、早々に隧道の規制標識が現れる。
高さ3.3m規制と言う事だが、よほどの事がない限り快適な現道を迂回して、ここを大型バス等がここを通るとは思えない。
山間部へ入ると路面の両脇に草が生え、手入れがされない旧道と言った風情に。
2回ほど緩い九十九折れを曲がり、しばらくすると隧道が現れる。

木の実隧道である。
開通は戦前の昭和6年。
既にコンクリートが普及し始めた時期であり、
それ以前の煉瓦や石積みの隧道と比べればイマイチ素っ気ない感じはする。

しかし、完成より80年近い年月がコンクリを風化させ古隧道の貫禄を醸し出している。
更に坑口付近の寂びれ具合が中々趣きがあって雰囲気が良い。


延長は153mと長くはないが、短い距離でもない。
照明等は無く、最深部は真っ暗。
坑口が広ければ、それだけ外部から光が入るのだが、如何せん一車線、しかも先ほどの規制標識の通り天井も低いので、外からの光が入らず徒歩で入ると実際の距離以上に長く感じる。

ちなみに上部にぼやけて見える光。
霊魂、なんても事は無く1000円のショボイ懐中電灯の光です。
全然役に立たんかったw

北側坑口。

改めて近くで見ると、ひび割れ・亀裂とお世辞にも状態が良いとは言えない。
ある日、何かの拍子に崩壊する可能性も無いわけではないが、
今だ、なんの規制も無い現役の隧道なのである。
事実、ここで写真を撮っていたら北側から
おばちゃんが運転する軽トラがやってきた。

ちなみに坑口上部にちょこんと埋め込まれている物体。
実はアレがこの隧道の扁額。
非常に小さくて読みずらかったが、
一応、隧道名も完成年月も刻まれたちゃんとしたモノ。

しかし、小さすぎるだろ・・・
主要幹線の古隧道では、巨大でド派手な扁額もあるが、
ここのようにここまで「主張」しない扁額も珍しい。
こんなに小さいのならいっその事、扁額つけなきゃいいのに、とも思うが
さりげなくとも記録として残しておきたかったのだろうか?

さて、隧道内にはこのような「あーと」が。
こんな山の中まで来て描くとはご苦労様です。
今度はその熱意をもっと別の場所でいかそう。
隧道の亀裂より染み出してきた地下水が、路面を蛇行。
また、流水の周りには流されてきた砂が溜まり河原のようになってしまっている

峠南側は北側より更に荒廃度が高い。
2車線あったと思われる区間も脇が土に埋もれ、そこに草が生え1車線と化している
ここがダートだったら間違いなく通行困難な廃道と化していただろう。
しかし前述した通り、四輪車も普通に通る現役の道である。

それどころか峠道を走っていると、
サイクリストやツアラーバイクも横を通り過ぎていく。

挙句の果てには道脇のちょっとした広場のような場所で
バーべキューをしている家族までいるのだ。

この時ちょうどG.W中と言う事もあったが、ほんと人気の多い旧道なのである。

いや、人気が多いというか、
なんとなくこの道が「愛されている」と言う気がした。

事実、自分も走っていてなんか気分が良かったのである。
木々の合間にからこぼれる五月の陽気の中、
トコトコのんびり走るには非常に気持ちいい道。

行政から殆ど見放された道ではあるが、
今だ人々から忘れられことなく生き続ける道。

道に一生があるとすれば、この道は「幸せな老後」を過ごしている。


とは言え、こんなのもあるのでご注意。
しばらく沢沿いに山を下っていくと、やがて高規格な橋で現道が真上をオーバーハングしていく。
現道と交差したのち、ちょこっとすると合流。
このまま下ると旧・岩村町市街地へ。

また、この分岐点近くには戦国時代、織田信長の叔母(といっても信長より年下)が幼い我が子に変わり武田軍の一員として、甥の信長と敵対し戦ったという岩村城址がある。( こっち のレポでこの話に触れています)

旧道で自然に触れ、運命に翻弄された女城主の歴史物語に浸るツーリングなんていかが?


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