このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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千葉県道5号線
小山樋門



千葉県松戸市
平成21年4月13日・10月31日 来訪









角町交差点
松戸の市街地外れにあるY字路状の交差点である。

右折が国道6号線「水戸街道」へ向かう県道5号線。
右折すると江戸川の堤防に突き当たり、河川敷を少し進むとR298「葛飾大橋」と並走する形で葛飾橋が架かり東京都葛飾区へ至る

この右折の道、実は旧・水戸街道。
国道6号線の旧道なのだ。

















やや幅広の2車線道に古い建物が立ち並ぶ。
いかにも旧街道と言った感じだ。
しかし、この旧道も昭和2年に先代の葛飾橋が架けられた時に出来た道である。
それより以前の水戸街道はこの交差点の一つ手前の丁字路で曲がる道で、近代以前は「松戸の渡し」で江戸川を渡っていた。
明治・大正期には両岸の渡船場を跨ぐように木橋の初代・葛飾橋が架けられていた。
この 初代 (外輪船の写真後)と 2代目 の写真は 松戸市のHP で見ることが出来る。

ちなみに松戸で江戸川の渡しと言えば「矢切の渡し」を思い浮かべる方も多いだろうが、こちらは川の両岸に耕作地を持つ地元民専用の特例の渡しであった。
一般の交通に解放されるようになったのは明治期に以降。
現在は観光用に個人経営で渡しが行なわれている。


さて、まるで今回の主役は旧・水戸街道かのような流れだが、実は主役はこっちぢゃない。
今回ピックアップするのは、この交差点左折の県道の方。


松戸宿に残る明治の遺構、とくと見よ!













・・・・・・・。




で、一体ナニをお前は見せたいんだ?と、お思いの貴方。
ご覧下さい、画像にはキチンと今回の主役が写っております。
ホラ、横断歩道の向こう、白い欄干の立派な橋があるぢゃないですか!



・・・・・・・・・・・・・・・・。



えー、まあですね、私、5歳から25歳の20年間、松戸市に住んでおった訳ですけれども、
その間に幾度もこの橋を渡っている訳ですが、ここに橋があった印象すら薄いんですよ。
橋だと気付いても、パッと見たら昭和中期の量産型コンクリ橋といった感じで面白みも何もありそうな気がしない。

だがある日、橋の上で信号待ちをしていた際に、ふと横にを見ると立て札が掲げられている事に気付く。
その立て札が今までのこの地味な橋の印象を一転させる。






な、ナンだと・・・





カードでマネーが・・・!!

って、ちげぇ。

















確かにレンガ橋だ。























横から見れば3連アーチのめがね橋
この橋の正式名称は「小山樋門」と言い、明治31年(1898年)に架橋。
千葉県内最古のレンガ橋。

道路橋としてだけではなく、松戸市内を流れる坂川に江戸川からの逆流を防ぐ為の水門としての役割をも持つ。

勝手を知ったる地元の町に、このような遺構が残されているとは盲点なり。

ちなみに、この橋がある角町交差点〜R6松戸2中交差点の区間は現在、「流山街道」の末端区間となっているが、バイパスR6が開通する以前は角町交差点で旧・R6と分岐する「松戸街道」の起点区間であった。
下図にカーソルを置くと道の変遷が記載される










江戸川方面からの小山樋門。
やや深い堀状になっている。
恐らく大雨で江戸川からの水が逆流してきた時に、こちらで塞き止めなければならない為だろう。

坂川と江戸川との合流地点には「 柳原水閘 」という、こちらも明治に出来た煉瓦造りの水門があり、この二つの治水施設で水害から松戸の町を守っている。

















上部は昭和中期風、下部は明治煉瓦構造物という二面性を持つ小山樋門。
橋桁部分を見れば人工的に切り取られたと思われる箇所があり、車道化の際にだいぶ改修されてしまったようだ。
前述の柳原水門は文化財として手厚く保護受けオリジナルな姿を保っているが、こちらは「取り壊すのもめんどくせえし、土台として使ってやっか。」的な扱いである。
バスやトラックなどの大型車の交通も多い道なので明治の馬車道規格ではいられなかったのだろうが、もうちょっと改修の際にデザインとか何とかならなかったのか?













反対側、少し離れた場所より小山樋門を見る。
アーチの間から更々と川が流れる。

この画像を撮っている横には河原まで降りれる歩道があり、河原が親水公園として整備され、夏場には此処で近所の子供たちが水遊びをしているそうだ。
近隣住人の憩いの場となっている坂川だが、はっきりって20年ほど前の坂川を知る人間からすると信じられない光景だ
昭和末期、丁度バブル期の頃の坂川と行ったら「悪臭を放つドブ川」と言うイメージだった。
濁った川にアヤシイ泡が立ち、川底にはゴミとヘドロが堆積。
とてもじゃないが川遊びなんか出来るような川ではなかった。

そんな坂川に清流を取りもどそうと言う運動が平成6年(1994年)に始まった
「清流ルネッサンス21」と言う官民共同のプロジェクトで、水質改善運動の啓蒙や川底清掃のボランティア活動、自治体は下水道や河川整備により少しづつ改善されていったのだ。












今では鯉や鮒が泳ぎ、カルガモが戯れる川に。

昔、学校で地元のジイ様が来て
「あのドブ川も昔は綺麗で、水辺でよく遊んでおったもんぢゃ。」
とか言う話を聞かされた物だが、今あえてドブ川時代を知る人間は警鐘も込めて、
「あの小川も昔は小汚くて、川辺でよく鼻をつまんだもんぢゃ。」
と語る必要があるかもしれない。










橋の傍には大きな一本の桜の木。
人の手によって汚染された川が、再び人の手によって清流を取り戻す姿を見てきた。



古橋のアーチを潜るは、ペットボトルやゴミくずなどではなく
桜の花弁と川魚であるべき。

19世紀に造られた煉瓦は20世紀に汚泥の染みにまみれた。
21世紀はその汚れが少しでも洗い流されるように願う。



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