このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
物凄く有名な街道にある、とてもマイナーな旧道峠。
恐らく地元民ぐらいしか通らないであろうショボイ道であるが
そういう所にこそ素敵な景色があったりするのだ。
R17・三国街道は一般道として唯一、群馬(と言うより関東)と新潟を結ぶ事ができる重要な道である。 関越トンネルの高速代を浮かそうとする大型トラックが行き交う非常に交通量が多い道であるが、昭和32年に三国トンネルが開通するまで、車道が開通していなかったというから驚きである。 新潟・群馬を結ぶ幹線道路は、明治期に清水街道ルートが馬車道規格で開通しているが一年も経たずに使い物にならなくなっている。 それだけ上越国境の山々が険しかったと言うことであろう。 さて、そんなR17の旧道の一つ芝原峠へはこの丁字路を曲がる。 | |
丁字路を曲がってすぐ左手にショボイ道が分岐していくのが見える。 これこそ、かつての国道17号である。 | |
現在のR17とは比べる事も出来ない程の頼りない道。 だが、短い期間であるがこんな道が関東と日本海側を結ぶ重要幹線だったのである。 | |
旧道の下からトンネルへ潜り込む現道。 この芝原トンネル、完成したのが昭和37年なのであるが、県境の三国トンネルが出来たのは昭和32年だったのである。 つまり、三国トンネル開通から芝原トンネル完成までの5年は、関東より新潟へ向かう(もしくはその逆の)車はこの狭っ苦しい道を通らねばならなかった事となる。 集落を結ぶだけの未通国道ならともかく、日本を縦断する大幹線道路が短い時期とは言えこんなショボい道だったとは・・・。 | |
道を登り、横を見れば雪に覆われた上越国境の山々。 関東ではとっくに桜が咲き始める季節でも、 北国ではようやく長い冬が明けるかどうかの時期である。 多い時では人の背丈以上に積もる雪もまた、この地域の交通を閉ざしてきた理由である。 | |
九十九折れのカーブの横にあった石碑。 頑丈なコンクリと鉄の支柱に覆われ、雪の重みによって潰されぬよう大事に守られている。 後で知った事だがここで旧道とかつての古道が交差しているらしく、それゆえこの石碑がここにいまだ残されているようだ。 古き歴史を残す為に、地元の人たちが大切に保全しているのだろう。 | |
登り始めて10分もしないうちにあっさり峠にたどり着く。 残雪に覆われているかとも思われたが、峠は日当たりもよく路面には殆ど雪は無い。 と、言うか こっち でも述べたが、この年は記録的な暖冬で新潟でも殆ど雪は降らなかったと言う。 まあ、正直そのことを計算に入れて春先の新潟なんか来ているわけで、将来の地球環境危機より一足早いオンシーズンの到来に無邪気に喜んでみたり。(ただし藪の生育も早くなるので、そうとも言えないかも) 峠では稜線近くを通って高山植物園やスキー場へ向かう道が分岐している。 また峠近くには上杉景勝(謙信の養子)によって築城された荒戸城跡がある。 | |
峠周辺には石積みの法面が残されている。 これもここがショボイ舗装林道なのでは無く、歴史を持った街道筋であることを物語る遺構である。 | |
峠から湯沢方面へと下る。 やや深い切り通しに覆われ、日陰が多いせいかかなりの量の残雪が残っていた。 さて、この旧道。 ちょこちょこと歴史的遺構が残ってはいるが、正直パッとしない印象でここまでやって来た。 路面は舗装されているし、何の苦労も無く峠までたどり着いてしまい、 「あーー、このまま見所も無く終わっちゃうかなー。」 とか思っていたら・・・ | |
すげーーーー! 切り通しの先のカーブを曲がった先には、 一面の大パノラマが広がっていた! 麓の芝原集落、その先には湯沢の町、遠く向こうには八海山。 いつも気になりながらも素通りしていた道にこんな素敵な景色があったとは。 うーーん、不覚。 | |
雄大な山々を眺めながら峠を下る。 たとえ、横っちょが崖っぷちでも、ガードレールなんて無粋のものはいらない。 越後の山々と対話しながら走るってのが粋ってもんよ。 (でも安全運転。) | |
キツイ下りの九十九折れを2、3曲がれば、芝原トンネル手前で現道と合流。 天気がよく、お時間があれば、ゼヒ芝原峠へお立ち寄りを。 |
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