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釈迦堂の切り通し
神奈川県鎌倉市
2006・2・12 来訪

釈迦堂の切り通し。
おそらく地図上に存在する(ツーリングマップルにも記載されてた)道路隧道としては日本最古と思われる。
約800年前の鎌倉時代に掘られたモノでありながら、つい最近までは現役の道路隧道であったようだ

そもそも、鎌倉という海と山に囲まれたへんぴな所に、源頼朝が流されてきてその後政権を握ってしまった
政治の中心地となった鎌倉に通じる道路網を整備しようとした際に、
周辺の険しい地形からあちこちで切り通しが出来たのではないかと思われる。
しかし、険しい地形は防御には非常に適しており、切り通しは正に鎌倉の守りの要であった。
特に重要視された『鎌倉の七切り通し』はわざと切り通しの幅を狭くし、敵の進入をし難くしていた。
実際に鎌倉幕府滅亡の間際、鎌倉を攻める新田義貞の軍が『鎌倉の七切り通し』の一つ、
『朝比奈切り通し』で大打撃を受けたそうだ。

釈迦堂の切り通しはどちらかと言うと市内の交通の便を図る為の切り通しであっため
『七切り通し』の一つには選ばれなったが近年まで地元の抜け道(穴)として存在していたのである
(と言うか今もなんだが。)

県道204号線との分岐点。
この滑川渡る非常に年季の入った橋。
すっかり、扁額等チェックするのを忘れていたが大正・明治級の古橋なのではないか?
そして、橋を渡るといきなりダート。
鄙びた住宅地を通る未舗装路と言うシチュエーションは、まるで半世紀前の世界にタイムスリップしたような気分になる。
が、ちょっと奥に入ると舗装路になり、どこにでもある普通の住宅地と言った感じになる。
すすけて殆ど読めなくなった石碑。
どうやら、道の生い立ちを記しているようだ。
昭和10年製
しばらく住宅地を走った後、再び路面はダートになり山間部へ。
キツめの傾斜をしばらく登っていくと、やがていかにも『きり通し』な地形が見えてくる。
胸が高まる。
800年の歴史が詰まった日本最古の隧道とは如何なる『穴』か?
「落石の為、立ち入り禁止」の標識の脇を通ったあと、とりあえず原チャリを止める。

・・・眼前にそれはあった。
日本最古の隧道、釈迦堂の切り通し。

まさに圧倒的な迫力があった。
こんなとんでもないモノを800年も前の人々が掘ったというのか。
現代人の技術力を持ってすればコレぐらいの穴、簡単かつスマートな形で掘る事が出来るであろう。
しかし、過去の人達にとっては『安房トンネル』や『青函トンネル』に匹敵するぐらいの大プロジェクトだったのではないか?
むしろ、このいびつな形こそが『人の手』や『歴史の井吹』を感じさせる。
しかしまた、天井が高い。
なんでまたこんなにデカイ穴を造っちまったんだろう。
やっぱり最初は『穴』ではなく、ちゃんと岩を切り崩そうとしていたのではないのか?
んで、途中であきらめちゃって『穴』のような感じになってしまったのではないか。
ちょっとあてずっぽ推理をしてみる。

・・・あと、時々石が落ちてくる音がするんですけど。
うーん、「落石キケン」と言う看板は嘘ではない。
自分はヘルメット被っていたからまだしも、ちょくちょく通る地元民や観光客は大丈夫なのか?

ここは基本的に立ち入り禁止。
なにがあっても自己責任。
反対側坑口。
こちら側は急坂になっている。
つーか、上部の方にもなにやら削ったような跡があり、やっぱ「切り通しにしたかった」感がする。
 
後で知った事だが穴の側壁に窪みがあり、そこには「五輪塔」があるそうだ。
・・・なんで気付かなかったんだろ?
個人的に凄く気になったのが、市街地側坑口前から舗装されていることだ。
つまり、『釈迦堂の切り通し』は車道隧道として使われていたって事である。
たしかに、幅員・高さともに車両を通すのにまったく問題が無い。
まさか、鎌倉時代の人々も遥か8世紀後の未来の交通事情にも対応した穴を掘っているとは思いもしなかったであろう。
『切り通し』を抜けるとすぐに住宅地に入る。
ここから先の道は非常に入り組んでいて、市街地側から『切り通し』へ向かうのは少々難しいと思われる。
実際、観光客のおばちゃん達が迷子になっているようだった。
第一、こんな閑静な住宅地の傍にあんなどえらい『穴』があるとは想像もつかないだろう。
住宅地をしばらく迷走した後、ようやく県道311号に合流。
自分もこちら側から来たら、見つけられたか分からない。

実は『釈迦堂の切り通し』を最初に見つけた際、千葉県の 竹岡の謎の隧道 を思い出した。
あちらもどうやら明治初期からあると言う事が閲覧の方からの情報で分かったのだが、もしかしたらもっと古く江戸時代以前からあるのではないか、と思い始めている。
鎌倉のある神奈川県と千葉県は東京湾を挟んでいるが、昔から舟による交流が盛んであった。
もしかしたら、隧道掘削のような土木技術等も舟によって相模国から上総国方面に渡って行ったのではないか・・・?
と、妄想してみるのも面白いなァ〜、と思う今日この頃。

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