このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

碓氷峠(旧信越本線)


かつて、日本で最も過酷な鉄道の難所と知られた碓氷峠。
66.7‰という超凶悪勾配に立ち向うため、ここを通る列車には特別な装備が必要とされた。
明治26年(1893年)に開通した際にはアプト式が採用された
これは、歯車と刻みのついた三つ目のレール(ラックレール)をかみ合わせて登っていく方式である
が、この方式ではあまりスピードが出せず、横川〜軽井沢間を1時間程かけていた
昭和38年(1963年)、ようやく通常のレールでの峠越えが出来るようになり、
下り18分・上り24分(貨物35分)に短縮された。
が、それでもEF63と言う碓氷峠専用の機関車を連結しなければ列車はここを走る事はできなかった

ちなみにかつて信越本線は高崎を出て碓氷峠を越え長野へ向かっていたが、そこで終点ではない。
長野から直江津へ至り、日本海をそって柏崎へ。
そこでまた内陸部へ入り込み長岡、三条、新津をへてようやく終点新潟である。
地図で見るとえらく遠回りしているのだが、これには理由がある。
関東から最短距離で新潟へ向かう際、谷川岳を代表とする険しい山々が立ちふさがっていて、
鉄道建設黎明期の明治にはここに鉄道を通す技術が無かった。
その為、周辺の峠で当時の技術で越えられるギリギリの峠であったのが碓氷峠であり
さらに長野県北部を横断する形で新潟へ至ったのである。
現在、新潟へのメインルートは上越線(新幹線も含む)であるが、
「本線」では無いのは信越「本線」があるためだと思われる(実質、本線の扱いであるが)

そんな、歴史的役割になった碓氷峠であるが、新幹線開通とともに廃止。
全国でも珍しい新・旧二つ並ぶ廃線であるが、今でもその鉄路は峠のシンボルである。



碓氷湖そばにある、アプト線跡。
この廃線跡は横川駅近くから遊歩道として整備されている。
トンネルの中は急勾配となっていて、列車が走っていたとは思えないほど。

碓氷峠と言って思い浮かべるのはココ。
碓氷第三橋梁、通称めがね橋
国道のカーブを曲がって突然現れる巨大なレンガ橋は圧巻である

国道脇の小道から橋の上へアプローチできる
また、遊歩道もここまでは整備されている。
この写真の後ろにあるトンネルから未整備となるが、廃線跡はまだまだ続いている

めがね橋以外にもこのようなレンガ橋が度々現れる。
しかし、それほど整備されている様子は無い。
が、このような廃れた姿の方が心に染みてきたりする。

また、旧線の奥の方には新線の廃線(何か変)も見える。
こちらは架線もレールもそのままである
今年、丸山変電所跡近くまでトロッコ列車として復活、「とうげの湯」と言う温泉まで運んでくれます
また、軽井沢までの復活も検討されています。

ちなみに新線・旧線ともに峠には大量のトンネルがあり、
国道脇にぽっかり『穴』があいてたりします。
トンネルマニアには実にたまらない場所でしょう。
ただし、探索は自己責任で。

廃止直前の特急あさま


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