このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
JR377-1・日セ 99年
・98年頃からはセメントの鉄道輸送が少なくなり、単機運行や連結される貨車も4〜5両と寂しい状況も続き何時かはその時が・・・と思いながらも
コツコツと八高線や専用線に足を運んだ。このセメント工場は’55年(昭和30年)創業し日本の高度成長と共に貨物量は増加し、30年代全国の
貨物取扱量では高麗川駅が常に10位以内にランクされその大半は原料の石灰岩とセメント出荷であった。
そのためビーク時の八高線貨物列車本数は、30本で350両の運行を早朝から深夜までダイヤが組まれ蒸気機関車が活躍していたのである。
特に当時初の試みであったホッパー車(ホキ)による隅田川貨物ターミナルへの直送や、黒部第4ダム建設に伴い松本経由新島々駅宛ての輸送は
当時話題となったようである。
その歴史ある鉄道輸送も時代の変化もあって消えて行く運命となり、それは八高線から貨物輸送が消えることになるのであった。
・1月快晴の空の下、セメント工場を出発したDD51で隣の入換機には〆飾りが取り付けられていた。 990118 DD51813
・工場信号所前を通過し入換機と並ぶDD51。 990118 DD51813 D35T2
・入換機の車庫前に停車中のD35T-1号機で2両のDLは縦列で庫に収まっている。 990207 D35T1
・薄っすらとしているが庫の中にはD35T-2号機が見える。 990207 D35T1
・機関庫の前で2台並んで昼寝中なのか? 990404 D35T-2
・工場出発の定番ポイントからの撮影で影が機関車に映ってしまった。 990105 DD51887
・単機で高麗川駅へ戻る812号機で高崎所属800番代では遅くまで活躍した。 990321 DD51812
・空のホキを運んで専用線から工場へ向う貨物列車で、その貨物の引き上げを準備する入換機。
990520 DD51812 D35T-1
・お召し予備機895号機でテールライト下には、牽引列車との通信コネクターが見える。(黄色の部分)
990404 DD51895
・その後八高線での撮影は続いていたが、結果的にはこの撮影がセメント工場での最後となった。 990520 DD51827
そしてセメント工場からの鉄道出荷のサヨナラ運転は9月20日842号機HM付きで実施されたが行かなかった。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |