このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
DL LIBRARY DD51 ⑦ DD51 1150〜1193 |
|
|
岩見沢二 DD511150 750826 日立 岩見沢二→ 87鷲別 → 88五稜郭 → 99鷲別 |
DD511150 910813 五稜郭 1150以降も増産が続いたが、77・78年になると減少した。 国鉄の無煙化促進に伴い、新製配属地は北海道・米子・ 福知山へ配属された。 |
DD511151 750829 日立 岩見沢二 → 85鷲別 → 88五稜郭 → 93鷲別 → 95五稜郭 → 97鷲別 → 11年度廃車 |
DD511151 910812 東室蘭 東室蘭駅の2番線ホームを行く貨物列車で、JR後も 国鉄時代のライトグリーン色のコンテナが活躍していた。 プラットホームの高さも低く客車時代そのままである。 |
020501 鷲別 北海道独特のB更新色で赤みが濃くDF200のカラーに 近い色調です。 |
DD511152 750902 日立 岩見沢二 → 87鷲別 → 88五稜郭 → 93鷲別 → 97五稜郭 →99鷲別 |
DD511152 910813 五稜郭 JR貨物の道内機関区は2箇所設置され、DLは 鷲別・五稜郭に配置されていた。特に北海道所属機は 全国一の走行距離実績であり、搭載エンジンを含め 更新が行なわれた。更新された機関車は集中的な 管理を行なう上で鷲別機関区配置となり、両機関区 間では機関車配置移動が頻繁に実施された。 |
DD511153 750904 日立 岩見沢二 → 87鷲別 → 93五稜郭 → 95鷲別 → 971208廃車 |
DD511153 920430 礼文・小幌 早朝の礼文大カーブを上るコンテナ貨物で、エンジン音 及びエキゾーストからの白煙には力強さを感じるられた。 その後B更新機に変わると、エンジンも交換され おとなしくなってしまった。 |
DD511154 750609 三菱 小樽築港 → 76岩見沢二 → 87鷲別 → 98五稜郭 → 99鷲別 → 13年度廃車 |
DD511154 920430 東室蘭 東室蘭駅の中線に停車中の単機重連。 |
020501 鷲別 B更新は進み02年鷲別機関区配属内容はDD51-48両 DF200-22両とDF200の比率も多くなってきた。 |
DD511155 750616 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 080331廃車 |
DD511155 910812 鷲別 鷲別機関区は比較的広く、春の季節は芝の緑が美しく DLの色とマッチしていた。 |
DD511156 750623 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 |
DD511156 970817 鷲別 鷲別機関区の検修庫内で、試作機DF200-901と並ぶ。 (画像が荒れてますがネガ紛失にてプリントより スキャンしたために醜くなっております) |
DD511157 750630 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 |
DD511157 910812 鷲別 助手席の上部には円筒形の無線アンテナが見られ 取り付け箇所は下り側(札幌)方面にあります。 |
020501 鷲別 B更新色後の姿です。 |
DD511158 750715 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 97五稜郭 → 99鷲別 |
DD511158 951009 鷲別 冷風装置はJR貨物機に多く見られ、外部ユニットは助手席 窓下に見られるボックスで、キャブの前後に設置されている。 |
DD511159 750702 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 080331廃車 |
DD511159 910812 東室蘭 全体的に少しすすけた姿が、JR北海道のDD51として 全盛な時代を表していた。それにしてもホーム及び 古枕木のフェンスが良い感じを出してます。 |
DD511161 750731 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 98五稜郭 → 99鷲別 → 090331廃車 |
DD511161 920430 礼文・小幌 遠く礼文のカーブを抜けて直線区間から礼文華トンネルに 入る直前で、空コキではあるが勾配区間でもあり白煙を 出しながら力行中である。 |
DD511162 750806 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 98五稜郭 → 99鷲別 |
DD511162 970817 鷲別 SG付き1000番代の、北海道配属機では最終号機の グループである。なお配属最終機は1169号機で この機関車は追分機関区の火災に被災し 1年足らずで廃車となり撮影もできてない。 |
DD511163 750812 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 020325廃車 |
DD511163 020501 鷲別 DF200機の増加も進み機関区内の片隅には多くの DD51が列を作って留置されてる姿が見られ、 余剰に伴い廃車・休車扱いである。 |
DD511164 750827 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 11年度廃車 |
DD511164 910812 鷲別 90年度頃は機関車事務所へ見学の許可に行くと 事務所の方がノートを準備してくれて、住所・氏名・TEL の記入であった。その後90年代半ばになると民営化も 進んだのか担当は女性となり、身分証明書(免許書)の 提出を求められるようになり、恐らく見学者の中には 部品盗難者もいるようで管理が強化された。 (提出証明書はその場でコビーし返却された) |
DD511165 750901 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 |
DD511165 970814 大沼・仁山 後方に見える跨線橋は大沼駅で、13年に話題となりました 大沼駅構内でのDF200貨物列車脱線現場は、列車無線用 のアンテナ付近です。(事故はレール幅のメンテ未実施) |
DD511166 750909 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 13年度廃車 |
DD511166 910813 大沼 DD51重連運用は特急牽引以外ではそれ程多くは無く このワム牽引スジは大半が重連であった。後ろは 若番でもある1008号機でラジエターカバーが外されている のがよく判る。 |
DD511167 750911 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 11年度廃車 |
DD511167 951011 新得 狩勝峠は雄大な景色の中を走る場所としては、道内でも ベスト3に入る場所では無いかと思う。小高い丘に登り 眼下を見ると何と列車が小さな事か、辺りが静かなだけに 貨物列車の走行音だけは姿が見えなくても聞こえる のであった。熊出没に注意しながら日本にもこんな風景 が有るのかと感じた。 |
DD511168 750917 三菱 岩見沢二 → 87鷲別 → 11年度廃車 |
DD511168 951009 大岸・礼文 JR貨物所属機の車両動向(廃車月日)情報も、05年頃 からなくなり事務手続き上ではあるが詳細なる廃車月日 は不明な状態である。 北海道配置の最終号機1169は被災にて、実質はこの 1168号機が遅くまで活躍した。 |
DD511170 760601 日立 米子 → 911201廃車 |
DD511170 880811 米子 1170号機以降最終の1193号機までは、76・77年に 誕生し米子・福知山機関区へ配置され、旧型DLの 置換えが完了した。 |
DD511171 760604 日立 米子 → 911201廃車 |
DD511171 890502 浜田 山陰線の重連運用は、特急出雲の多客増結時は見られ 一般の普通客車牽引では、運用上での回送扱いなのか 客車2両牽引で重連も見受けられた。 |
DD511172 760608 日立 米子 → 900515廃車 |
DD511172 890502 仁万・五十猛 従来より鉄道輸送は機関車が客車や貨車を牽引する 考えであったので、当然ながら保有機関車数は多く 戦後では’65(昭和40)年が5098両とピークであった。 機関車の内訳数はSL>EL>DLであった。 |
DD511173 760610 日立 米子 → 900515廃車 |
DD511173 890503 米子 機関車の内訳数でSLの保有数がEL・DLの合計数より 少なくなった(SLの保有比率が半数を割った)年度は ’68(43)年で無煙化計画もありその後は急激に減少した。 |
DD511174 760909 三菱 米子 → 920601廃車 |
DD511174 890815 滝山 その後の機関車の内訳比率の移り変わりは、’70(45)年 にはEL>SLとなり、翌年’71(46)年にはDL>SLとなった。 |
DD511175 760910 三菱 米子 → 920601廃車 |
DD511175 890503 山陰線(倉吉-出雲) そしてDLの増強も進み’74(49)年にはDL>ELとなり 翌年の’75(50)年にはSLの営業運転が消えて、保存車両 15両が梅小路機関区へ集められた。 |
DD511176 760920 三菱 福知山 → 79米子 → 97後藤 → 030220廃車 |
DD511176 890502 浜田 ここ浜田には機関区が設置されていただけに、構内は広く レンガ造りの機関庫は美しく保たれていた。 |
DD511177 760928 三菱 福知山 → 79米子 → 97後藤 → 030220廃車 |
DD511177 880812 出雲 寝台特急出雲は当時2本運行され、米子及び出雲より 各1本づつ発着していた。1176・1177号機は新製配置は 福知山機関区であったが、数年後に米子転属にて 他の米子機同様に補助ステイが取り付けられている。 |
DD511178 761005 日立 福知山 → 97後藤 → 941031廃車 |
DD511178 910428 福知山 福知山機関区配属機はB寒地仕様で、この当時は 山陰線及び播但線の客車牽引を行なっていた。 少し判りにくいが連結器右のホースはブレーキ管 ホースのしたの穴は蒸気暖房管が見えている。 現在はSG搭載機関車でも蒸気暖房は利用する事が 無い状態でもあり撤去して穴を塞いでいるものも多い。 |
DD511179 761008 日立 福知山 → 94米子 → 97後藤 |
DD511179 880501 福知山 福知山機関区に残されているコンクリート製の給水塔で 特徴ある形状をしていた。この機関区も都市再開発に 伴い消えてしまったが、利用されていた転車台は 広場に記念として保存され、転車台の構造が判り易い ように下から眺められる設置となったようである。 |
DD511180 761013 日立 福知山 → 941031廃車 |
DD511180 910428 福知山 福知山所属機も米子機同様にスノウプロウの中心部を 白色で T形状に塗られ、左右の楕円形状にも 塗られた機関車も見られた。 |
DD511181 761019 日立 福知山 → 87米子 → 920731廃車 |
DD511181 890501 松崎・泊 山陰線の京都方面からの貨物運用は無く、米子方面から 鳥取県の湖山貨物ターミナルへの運用であった。 現在は鉄道輸送は無く湖山からはトラック輸送となった。 |
DD511182 761002 三菱 福知山 → 87東新潟 → 070330廃車 |
DD511182 941105 塩川 国鉄からJRの民営化に伴い、多くの機関車が移動及び 廃車の動きがあった’87年に同僚の1184号機と共に 東新潟機関へ移動した機関車である。 B寒地仕様で落成し移動先の東新潟では、A寒地の 仕様に装備の整備が行なわれ、外観では旋回窓そして 助手席前面にはガラス防護柵が取り付けられた。 |
DD511183 761015 三菱 福知山 → 87亀山 → 91宮原 |
DD511183 880814 亀山 鉄道の町でもある亀山には、国鉄時代は操車場も有し 多くのDLが活躍していたが、JRの時代と共に 寂しくなった機関区でもある。機関区を訪れると 数両のDD51がDCと一緒に庫で休んでいた。 |
DD511184 761015 三菱 福知山 → 87東新潟 → 11鷲別 |
DD511184 950501 東新潟 大半を東新潟機関区で過ごし、磐越西線・北上線で 活躍したが残っていた貨物輸送も無くなり、在籍していた 機関車は全国のJR貨物機関区へ配転となった。 この1184号機は鷲別機関区にて、DD51としては 残り少ない仲間と共に細々と活躍してる。 |
DD511185 761105 三菱 福知山 → 87米子 → 921031廃車 |
DD511185 900812 米子 福知山機関区へは、1176号機からSG搭載機関車の 最終である1193号機まで新製配属された。 その中でも比較的短命(約16年)で廃車となった。 |
DD511186 770624 日立 福知山 → 87米子 → 97後藤 |
DD511186 890814 松崎・泊 山陰本線や播但線の客車には50系が主力で あったが、12系客車も運用に入っていた。 |
DD511187 770701 日立 福知山 → 89米子 → 97後藤 → 070817廃車 |
DD511187 890504 福知山 ’77年度誕生した機関車は1186号機から、SG付き ラストの1193号機で僅か8両であった。 尚 SGレスの誕生は’78年まで続いた。 |
DD511188 770715 日立 福知山 → 89米子 → 97後藤 → 08愛知 → 09吹田 →12門司 →13年度廃車 |
DD511188 110413 翁島・磐梯町 東日本大震災による燃料の迂回輸送列車で、東新潟 から郡山間をDD51重連(一部区間はDE10の後部補機付) 運用で2往復設定された。この時は既に東新潟機関区には DD51の配置は無く機関車も全国から集められ懐かしの 機関車との再会もかなえられた。 |
DD511189 770721 日立 福知山 → 89米子 → 97後藤 → 021116廃車 |
DD511189 900813 長門 関西・山陰地方ではDD51の増強に伴い、旧型DL (DD54・DF50)の置換えも完了した。 |
DD511190 770823 三菱 福知山 → 89亀山 → 91宮原 → 030108廃車 |
DD511190 880429 姫路 播但線姫路駅に到着し、客車を解除した機関車は 機回しを行なう様子で、客車ならではの風景です。 |
DD511191 770831 三菱 福知山 → 89亀山 → 91宮原 |
DD511191 880502 保津峡 現在は旧線となってしまったが、古くから保津峡下りなど 有名な観光地でもあった。現在は嵯峨野嵐山・保津峡 間にはトロッコ鉄道が走っている。 それにしても山陰線の京都方面は、多くの客車を 連結していた。 |
DD511192 770914 三菱 福知山 → 89亀山 → 91宮原 |
DD511192 880501 福知山 国鉄時代に最も多くDLを保有していたのは、’77年 (昭和52年)の2207両で、その後JR民営化を前に大幅な 整理を行なった’85(60)年には約1500両となり 更に整理が進みJR誕生時の’87(62)年に引き継がれた DLは822両と10年間で激減しました。 |
DD511193 770922 三菱 福知山 → 89亀山 → 91宮原 |
DD511193 880810 寺前 D51に置き換えるDLとして開発・製作されたDD51の SG付き最終号機です。 (製作年月の最終号機はSGレスの1805号機) |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |