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3−会津若松機関区・C58-①
蒸気機関車が配置されていた機関区は現在のデーゼル及び電気機関車と異なり、給水・給炭やアッシュの処理等特有な作業もあり多くの鉄道員がそこで働いていた。
現在はDCと僅かなDLの車輌基地となってるが当時と比べるとひっそりとして寂しさが感じられる。
・有火の状態で交・検が10名ほどの作業員で実施されていた。 74.05.24 C58328
・機関区を訪れた時の掲示板には他の機関区よりの配置機関車番号が記載されていた。 74.05.24
C1163 小牛田 C11240 C11359 弘前
・ラウンドハウスの1番線にはC11312がひっそりと・・・。 現在の復活蒸気もここをねぐらにしている。 74.05.24
・左から C11204 252 19 そしてC5816。 74.05.24
・左から C5816 328 右端は東新潟機関区のDD51。 74.05.24
・長岡機関区より転属配置のC1119。 74.05.24
・C1119のサイドビュー 製造メーカの日立はこの機種では4社中で一番少なく53両であった。 74.03.10 西若松
・戦時設計タイプの C11289。 (下の写真等と比較すると明確であるが上部2箇所の箱が角ばっている) 74.05.24
・C11289に庫から引き出されているところ。 C11252 74.05.24
・バックライト及び助手後方窓にはツララきりが・・・雪国育ちの証である。 C1119 74.05.24
・「C5816よ小郡へ帰れ!!」の落書きがされたとの話題と後部テンダーのナンバープレートは盗難にあって
可哀想に手書きであった。 C5816 74.03.25
・この C58231の区名札は小牛田機関区の「小」が入っていた。 重油兼燃装置搭載車 74.03.08
・旧客及びサボも懐かしいね。 C58231 74.03.08
・1972年(47・10) 在籍機関車約720両 ・1973年(48・4) 約590両
・1973年(48・10) 約400両 ・1974年(49・4) 約290両
・1975年(50・4) 約170両 ・1975年(49・10) 約80両
・この情報誌は当時ファンの方は誰しも保有し、発行元の弘済出版社さんには大変お世話になった雑誌の表紙である。
保有しているこの雑誌も一緒に全国の撮影地を共に周り、74年発行までは相当痛んでボロボロとなってしまった。
・会津若松機関区車輌配置表 (蒸気機関車)
・1972年3月末(昭和47年)現在
D51 238 435 1108
C58 6 252 354
C57 46
C12 60 66
C11 64 178 179 199 236 244 248 256
289 312 313 323 351 366
・1973年3月末(昭和48年)現在
C58 16 354
C11 19 178 179 199 244 248 252 289
312 315 345 366
・1974年3月末(昭和49年)現在
C58 16 231 354
C11 19 80 192 197 199 204 215 252
254 289 312
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