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23-北のC55・7たち (宗谷本線)
・北の最果てを走るパシフィック、とりわけC55は北海道及び九州に各2両(74年3月末現在)と風前の灯である。 宗谷本線の客車運用は配置3両・運用2両で
C55が都合付かない場合はC57が対応されるが、ここでのファンからはあのC57でさえあまり歓迎されなかった。
蒸気運転最後のころは九州より門デフのC57130が入線するなど話題も尽きなかった。
・この時は名寄本線・深名線の貨物がウヤで3日間宗谷本線に出向いた。
塩狩駅はどちらからも登り勾配(サミット)で、煙には不足は無かったが風向きで
後方が巻かれてしまう場合が多かった。 C5787 74.01.03 和寒・塩狩
・名寄6:20発の美深行き一番列車は、この雪で大丈夫だろうか・・・と運転手・駅員のやり取りで
発車は遅れて出発し車体と雪とのぶつかり合う音がゴロゴロしながら智恵文駅に着き下車した。
DCの前面は雪に覆われ駅出発は何処の駅でも一旦バックで加速を付けての発車であったが
とうとう前進も後退も出来なくなってしまった。
やることも無く除雪(救出)も手伝ったが微力で何もならなかった。 C5550 74.01.02 智東・日進
・この辺りの路線は天塩川に沿って走っており川の流れは緩やかではあるが水量は多かった。
C5787 74.01.02 智東・日進
・ダッシュ中のC5530 製造時から流線形で作られた罐で一部形状は当時のままである。
防雪林がとても美しかった。 C5530 74.01.03 塩狩・蘭留
・やはり冬は煙が綺麗だ!! C5530 74.01.03 塩狩・蘭留
・雪の塩狩峠を上る、サミットまでもう少しだ。 C5530 74.01.03 塩狩・蘭留
・過ぎ去った客車を見ると窓を少し開けてマイクが・・・ 寒いのに生録も大変です。
C5787 74.01.02 智東・日進
・今朝の名寄は寒かった(新聞では-20.2℃)機関区へ出向き貨物の運行予定を
一応確認後3日目の宗谷本線で今日が最後である。
帰りのDCも気になり早めに智東駅へ、間もなくC5550の発車です。 74.01.04 智東
・智東駅を発車して一路稚内へ何時までも何時までも煙が空に残って降りてきませんでした。
駅待合室の石炭ストーブは赤々と燃え我々はそこで暖をとりましたが
間もなく乗らなければならない時間となり、スコップで石炭をくべて待合室を出てきました。
C5550 74.01.04 智東
・C5530が行く やはり運転席の屋根は丸みがありますね。 74.08.07 筬島・音威子府
・昨日は留萌線を撮り終えて深川にて食べた味噌ラーメンの大盛りは、ボリユームがあり美味かったが
餃子は北海道のお店ではメユーに無くちょっとがっかり。
深川より旭川までは「かむい10号」に乗った、これが凄く早かった。
旭川20:07の741Dの車内にて美しい娘さんより「ゆで卵」を2個頂いたが、何故くれたのか? 何故2個?
そしてお昼に何故食べなかったのか?後からではあるが疑問も沸いてきた。 C5530 74.08.07 筬島・音威子府
・名寄本線(一ノ橋・上興部)の96重連などを写し終えて名寄へ、この時間帯は丁度321レ・324レの
パシフィックの引く時間帯である。 C5530 74.08.08 名寄
・名寄駅へ入線する321レ、この機関車が明日の324レで稚内より帰ってくる。
C5787 74.08.08 名寄
・早いもので道内の撮影も最後の日となり、宗谷本線で打上とし塩狩駅前より国道に出て
バスを利用、和寒方面へ3K程のところで降りて線路へ向かう。 C5787 74.08.09 和寒・塩狩
・姿は見えないがカーブの先より力強いドラフト音そして少ししてから黒煙が登り始め
我々の前に姿を現してくれた。
スピードは思っていたより速く登り勾配を一歩一歩峠に向かって行った。
このC5787は廃車後に沖縄県に保存されたがその後痛みがひどく撤去と聞いている。
C5787 74.08.09 和寒・塩狩
・蒸気の走っていた当時は勿論塩狩駅にも職員がおり何時も待合室はファンでごった返していた。
その待合室には駅スタンプが設置され持参した雑誌に記念に捺した。
・利用客の減少にて駅も廃止となりました。
北海道のC55・C57配置表
1974年3月末現在
旭川 C55 30 50
C57 87
苗穂 C57 57
岩見沢 C57 38 44 104 135 144 149
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