このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
14系寝台車 ・20系客車の後継ぎ車両として昭和47年3月ダイヤ改正から (さくら)(みずほ)(あさかぜ)に使用されました。 ・B寝台のベッド幅が従来の52㎝から70㎝に拡大されたのが特徴です。 ・給配電用のディーゼル発電機を車両の床下に分散配置としたのも20系との相違点です。 |
昭和43年10月、それまで1往復だった東京〜博多間(あさかぜ)の補完列車として設定されました。 昭和47年3月のダイヤ改正よりそれまでの20系から新製の14系客車に置き換えられました。 昭和50年3月新幹線博多開業のダイヤ改正により廃止。14系での活躍期間は3年間でした。 |
▲14系(あさかぜ)は昭和47年3月に新型寝台として再デビウした(さくら)(みずほ)とともに、14系三羽がらすの一つでした。 ナロやナロネを連ねた20系(あさかぜ)の陰に隠れて地味な存在でした。 写真は昭和48年9月高架にになる前の静岡駅を発車する上り(あさかぜ3号)の姿です。 |
▲新幹線の博多開業で廃止になる寸前に静岡駅で撮影した上りの(あさかぜ)です。 機関車も入れて15両のフル編成のため、先頭車の停車位置はホームのはずれでになってしまいました。 ホームにはコンクリート枕木がおいてありものおきのようです。 昭和49年より出入り口には、三段寝台を表す「☆」のマークがつけられました。 昭和50年3月の撮影です。 |
▲方向幕です。愛称表示が単に「あさかぜ」ではなく、「あさかぜ3号」となっているところが珍しいです。 昭和47年10月静岡停車中に撮影しました。 |
▲(あさかぜ3号)を牽引するのはEF65 500番台です。当時の花形電機機関車です。 昭和47年10月に静岡停車中に撮影した上り(あさかぜ3号)です。 名古屋から運転してきた機関士は静岡で交代し、終着東京まで運転しました。 特急の機関士は一番輝いていた存在でした。 |
昭和47年3月ダイヤ改正で14系客車に置き換えられ、以後廃止まで一貫して14系客車が使用されました。 寝台利用客の落ち込みから平成3年に廃止されました。 |
▲昭和50年3月静岡駅での上り(みずほ)です。 最後尾の1号車はスハネフ14で、床下にディーゼル発電機を積んでいて、その運転音はかなりのものでした。 2号車はオロネ10からの血筋を引く全室プルマン式寝台を備えたオロネ14です。 (みずほ)はネームバリューの高かった(あさかぜ)(さくら)(はやぶさ)の影で、その愛称の由来からしても地味な存在でした。 |
なかっちょさま提供 14系(みずほ)活躍のころ |
▲朝日を浴びて東上する(みずほ)です。 昭和50年、金谷駅での撮影で、右に見える架線柱は大井川鉄道です。 |
▲14系(みずほ)がきれいなカーブを描いて、金谷駅をあとにしていきます。 (みずほ)は客車だけで14両の長い長い編成でした。 昭和50年の撮影です。。 |
▲朝東上した(みずほ)が夜には西下していきます。 昭和55年、焼津駅を通過する(みずほ)です。 このころには牽引機がEF65 1000に変わっていました。 以上の三枚は、 『線路際のピンぼけ写真館』 のなかっちょさまより提供いただきました。 |
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