このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

お宝その1 ディスカバージャパン時代のスタンプ


ディスカバージャパン時代のスタンプから見てみます。当時あった各管理局ごとにオリジナルデザインのものが見られ、比べてみると興味が尽きません。収録スタンプはかなりの量にのぼるので、その中から数点お目にかけます。
なおスタンプノートの余白には、当時いろいろな書き込みをしていました。
今回スタンプをデジカメで撮影する際、それらの書き込みを消去する技術が私になく、書き込みの一部が画像に写り、お見苦しくなっております。どうぞご勘弁ください。


▲スタンプ収集ごく初期の昭和46年2月に押した
名古屋駅のものです。駅員の方が「押してあげましょう」と声をかけてくれ、その結果きれいに押すことができました。
スタンプは直径が10㌢以上あるものが多く、しかも取っ手を持つとずしりと重く、慣れないとうまく押せないものでした。スタンプ設置当初は駅員による捺印サービスが、かなりの駅で見られました。
鉄道ファンの心をくすぐる、0系新幹線と、天井の高さが気持ちよかった旧名古屋駅舎が描かれていて、今見ると懐かしさがこみ上げてきます。
▲ 昭和46年のゴールデンウイーク、亡き父の運転で伊良湖岬までドライブに行ったとき舞阪駅に立ち寄り、押したものです。スタンプは改札口を入ってすぐのところにおいてあることが多く、クルマで乗り付けた場合、駅員に「スタンプを押したいのですが」と声をかけると、気軽に改札を通してくれました。
私のお気に入りのスタンプの一つで、うなぎが丸いカーブを描くことで、外側の枠が省略されています。デザインは一体誰が考えたのでしょうか。中には素人ぽいデザインのものもあり興味は尽きません。


▲スタンプノートの1ページ目には、全国約1400の駅にスタンプを用意したとありますが、番外編が青函航路・宇高航路と(あさかぜ)(さくら)に用意されたスタンプでした。写真のスタンプは、昭和47年8月、(さくら)に乗車したときのものです。私にとって生まれて初めて乗る寝台車でした。
(さくら)は当時14系の三段ハネ。14系は、この年の3月改正で20系から置き換わったばかりの、蛍光灯の明かりのまばゆい新車でした。寝台幅も従来のBネの52㌢から18㌢ワイドな
70㌢に広がり、寝返りができると好評でした。当時の時刻表には「新型寝台」と呼ばれていました。
スタンプは、オシ14の食堂車待合室においてありました。桜の花びらが外枠になっている、決して駅スタンプではできないデザインになっています。
▲昭和47年8月の九州旅行の時押した熊本駅のスタンプです。DJの字体が純正のものではなく、なんだか、街のハンコ屋が彫刻刀で彫ったような素朴なスタンプです。
当時のスタンプは、DJの字体が純正のものと、そうでないものがあり、デザインも機械できれいに彫ったと思われるものから、手彫り風のものまで、バラエティーに富んでいました。


▲熊本駅と同じく、昭和47年8月に押した、豊肥本線阿蘇駅のスタンプです。JNRのマークが入っているところが珍しいです。
豊肥本線はキハ10などの細身の気動車がまだ活躍していました。キハ10は、天井のドーム型の白熱灯が味わいがありました。窓をいっぱいに開け、高原の冷気を楽しみました。はえたたきと呼ばれた電信柱が線路から10メートルほど離れて線路に寄り添い、どこまでも続いていました。

▲昭和50年8月に押した西那須野駅のものです。DJの文字の代わりに、サブテーマであった「美しい日本と私」と彫られているところが変わり種です。

▲昭和50年9月に押した八王子駅のものです。スタンプの外枠はほとんどが丸形、そして次に四角が多く、八王子駅のような八角形のものはとても珍しいです。八角形にする必然性は何だろうとずっと考えていましたが、もしかして八王子の「八」からきているのでしょうか??
八王子駅は中央線ホームから、北口本屋まで、クレオソートで塗られた茶色の細い跨線橋がずっとつながっていて昭和20年・30年代の雰囲気を色濃く残していました。


▲DJのロゴが太字から、細字にマイナーチェンジされたのが、昭和49年。スタンプノートも三代目が発売され、駅スタンプのデザインも改まりました。
三代目スタンプノートは初代から数え、11版目であって、スタンプノート発行から、わずか3年にして、10版以上版を重ねるとは、相当なベストセラーだったと思います。スタンプ収集が、一大ブームだったことが裏打ちできます。
新ロゴ入りのスタンプが私のノートにはじめて登場したのは、
矢板駅のもの。東京北鉄局は新スタンプの導入に熱心で、管内の駅のほとんどのスタンプが、新型に変わりました。
新ロゴは、版画風のくねくねした文字で、ちょっとしゃれけをもたせたつもりでしょうが、私としては初代のロゴの方が強烈なインパクトと、懐かしさがあります。
▲昭和53年3月に押した門司駅のスタンプです。
関門トンネルを走るED1牽引の正体不明な客車列車を見ていると楽しくなってきます。
きっと、鉄道に詳しくない素人がスタンプを彫ったのでしょう。
▲昭和54年3月に押した大畑駅のスタンプです。
図案は、大畑ループのまわりがゼンマイ畑になっていて、真ん中には梅の花が咲いているもので、大畑駅ののどかさが伝わってきます。ループ線の中に蒸気機関車のイラストが入っている別バージョンのスタンプもありました。

                        

                       
        

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