このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ディスカバージャパンキャンペーンにかわる国鉄増収策の第二弾は「一枚のキップから」のキャンペーンでした。昭和52年2月のことです。確かに「ディスカバージャパン」という英語のキャッチフレーズは、インパクトがありましたが、当時の半数以上の人は「ディスカバー」の意味がよくわからなかったはず。それに引きかえ「一枚のキップから」のキャンペーンは、意味がとらえやすく、そしてイラストもキップにはさみを入れた、誰にでもわかりやすいものになりました。。 スタンプノートの「一枚のキップから」の改訂版は、昭和52年7月に発行されています。DJの初版ノートから数えて四代目のイメージチェンジでした。そして、ノートの巻頭ページには、全国地図が描かれて、スタンプ設置駅が表示されているのは、初代からかわっていないのですが、設置1400駅中、約300の四角で囲まれた駅に「一枚のキップから」の新型スタンプが設置されていることが明記されました。 | |
---|---|
▲宇野駅がにぎやかだった頃のスタンプです。 昼間はグリーン車連結の113系が、夜は25系化されて間もない (瀬戸)が、そして153系の夜行(鷲羽)も健在でした。 スタンプの図案にも(鷲羽)らしき電車と、宇高連絡船、ホーバーも描かれています。 昭和53年3月の押印です。 | ▲福山駅山陽新幹線3周年の特別バージョンです。 スタンプの外枠が数字の3になっています。 改めてみてみるとJNRのマークが新鮮です。 福山駅は当時クモハ41などの、水色で塗られた福塩線の旧型国電が 高架ホームから出ていました。 昭和53年10月に押印。 |
▲九州総局のスタンプはなんと!カラー版で登場。あのシャチハタのスタンパーを使って作られていました。 もちろんインク不要で、そのままノートに押せばいいので気楽です。 見た目がきれいで人気があり、スタンプ台はいつも混んでいて、新しいスタンプにもかかわらず、摩耗が激しかったのが欠点でした。 長崎駅、昭和53年3月押印。 | ▲昭和53年3月青梅鉄道公園を訪れたときに押した青梅駅ものです。 東京西鉄道管理局内では青梅駅のように上にローマ字で何線の何駅、 その下に「一枚のキップから」のロゴ、一番下に漢字で駅名を配した統一したデザインのスタンプを各駅に置いていました。 |
▲国鉄PRコーナーにもスタンプがありました。 国鉄PRコーナーは、東京駅丸の内北口国鉄本社内一階にあった、 小さなギャラリーだったのですが、パンフレットも何冊か置いてありよく利用しました。 スタンプノートの設置駅一覧には記載のない、もぐりのスタンプ設置場所でした。 | ▲国鉄PRコーナー二つ目のスタンプです。昭和53年9月特急展が行われたときのものです。駅スタンプでもないのに、「一枚のキップから」のロゴも忘れず彫り込まれています。 |
▲足尾線足尾駅のスタンプです。昭和52年5月に訪ねました。 「一枚のキップから」と手彫り風に横書きされているところが珍しいです。日付印が別に用意され、「日付印はここに押してください」と丁寧な注意書きがありました。 | ▲昭和55年9月大曲から福島まで、オハ61などで組成された8連の茶色ばかりの客車鈍行に揺られました。 オハ61はTR11という古い台車を履いており、走ると座席の上で10㌢以上縦揺れがした楽しい客車でした。 福島駅のスタンプは街のハンコ屋さんが彫ったような手彫り風のもので、東北地方らしい素朴さにあふれています。 |
▲昭和55年3月北海道を旅したときの札幌駅のスタンプです。時計台とポプラ並木という北の都らしいしゃれたデザインです。 どちらかというと野暮ったいデザインの多い駅スタンプの中で、私のお気に入りです。そのまま額に飾っても悪くないと思います。時計台の文字だけ余分な気がします。 | ▲ 昭和55年9月に押した成田駅のスタンプです。千葉鉄道管理局内のスタンプは、写真のようにすべて四角で、左下に「一枚のキップから」の文字が入り、駅名の上には必ず「ようこそ房総へ」と添えられているスタイルに統一されていました。 DJ時代の成田駅のスタンプは、新勝寺が大きく描かれていましたが、このスタンプでは当時話題になった新東京国際空港が中心に描かれています。 |
New!!▲昭和53年9月山形駅のスタンプです。 東北地方の各駅は「一枚のキップから」のスタンプが新調されました。 山形駅も例外ではありませんが、ハンコ屋さんの気まぐれでしょうか、「一枚のキップから」の「一」が漢字ではなく数字の「1」になっているところが変わり種で、何となく違和感を感じます。 | New!!▲昭和52年7月大社駅のスタンプです。 出雲大社を模した天井の高い気持ちのよい駅でしたが、残念ながら廃線になってしまいました。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |