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お宝その5 旧型マルス発行の寝台券・指定席券
          

私がはじめてみどりの窓口に出向いて指定券を購入したのは、昭和46年12月31日、翌昭和47年1月7日に乗車する名古屋〜博多(金星)581系電車寝台のキップの購入でした。残念ながら当時は乗車したキップを駅員に頼んで記念にいただくという知恵はなく、(金星)のマルス券は当然ながら改札係員に回収されてしまいました。
当時のみどりの窓口は発券機が
マルスV形と呼ばれる日立製の旧型でした。この旧型マルスから発券されるチケットは、縦型であること。駅名と列車名は、活字棒と呼ばれるゴム印のようなものを係員が機械につっこんで印字されることに特徴がありました。
その後数年でV形は国鉄駅から淘汰され、昭和49年頃より
マルスN形と呼ばれる横長の新型に置き換えられていきました。N形(お宝その6で紹介)は、列車名、駅名ともにコンピュータで自動的に印字されますが、駅名と列車名がカタカナで印字されるために、直感でわかりにくい欠点がありました。当時のコンピューター技術では、すべての文字の漢字変換は容量の関係で無理だったのです。
私は、旧型マルスで発券されるされるチケットを好んで収集しました。旧型マルスは、前述したとおり、昭和49年頃よりの国鉄駅では姿を消していきましたが、交通公社や日旅、近ツーのカウンターには、依然として旧型マルスが昭和50年の半ばあたりまで使われていました。これら旅行エージェンシーでは電話一本でチケットを手配してくれ、ちょっとした穴場でした。
指定券を手配するときに、国鉄駅のみどりの窓口に行かずに、これら旅行会社で購入し、下車時に旧型マルス券を記念にいただくという行為をせっせと繰り返しました。そのとき収集したマルス券の一部をお目にかけます。
マルス券収集第一号のものです。昭和47年当時寝台券は売り切れ満席!!の盛況で、(さくら)の寝台券をとるために、一週間前の朝5時にみどりの窓口前に並びました。7時になると係員が来て、先着順にあらかじめ書いておいた申込書(第三希望まで書ける。)を渡して、9時から発売される寝台券をとってもらうというシステムでした。2時間待ったおかげで1番に受け付けてもらい、寝台券を引き替えに出向いたとき、係員から「早かったね」とお褒めの言葉をいただきました。昭和40年後半福岡に親類の家があった関係でよく来博しました。昭和48年の旅行では、帰路がお盆の最中になってしまうため、親類に頼んで交通公社で(つばめ)の指定券を確保してもらいました。旅行業者では3週間前発売の特例があったのです。
当時の山陽筋の特急は、岡山始発で九州まで入るのが
(つばめ)、下関止まりなのが(はと)、新大阪始発で下関止まりなのが (しおじ)となっていました。

特別急行券と明示されていることに風格を感じます。長年の保存で国鉄の地紋が退色し始めました。
高知から岡山に出て、博多の親類の家に行くとき岡山から455系の(玄海)を利用しました。
新幹線は岡山止まりのころで、岡山駅には直流、交流の特急形・急行形電車が入り交じって発着し、新幹線乗り換えコンコースは今以上の混雑で活況を呈していました。
高知の交通公社の旧型マルスで発券してもらいました。
昭和49年夏、大阪仕立ての夜行急行を使って、九州入りしました。
(つくし)はスハネ16やオロネ10、オロ11を連結した客車急行で、52㌢の10系寝台でたっぷり朝寝をして博多入りしました。
この半年後の新幹線博多開通で、大阪仕立ての旧型客車急行は全廃され、二度と手に入らない寝台券になりました。
▲昭和50年夏、中尊寺を訪ねた帰路のものです。一週間前に申し込んだにもかかわらず、定期の(はつかり)が満席で、(はつかり51号)という季節列車になってしまいました。もっとも車輌は定期と同じ583系でしたが。
購入した静岡駅みどりの窓口の②番カウンターは50年代に入っても旧型マルスを使っていて、好んでこの機械で発券してもらいました。
▲年末に高知の親類を訪ねたときの帰路の(南風)特急券です。昭和51年の元日に乗車しました。土讃線特急(南風)は当時キハ181系による3往復の運行。土讃線では、急行色のキハ58系が目立つ中で、赤とクリームに塗装された(南風)は上品にうつりました。車内では「われは海の子」「ふるさと」など唱歌のBGMが流され、落ち着いた気分で旅行ができました。
▲年末に高知の親類を訪ねたときの往路の(瀬戸)の特急券です。(瀬戸)は20系が使用されていました。宇野着が早すぎて、早々にベッドから起きなければならず、なんだか寝台料金が損した気持ちになりました。
当時東京を発着する寝台特急の中では一番格下でしたが、それから30年、車輌はサンライズ形になって東京口では一番輝いている列車になりました。
乗車券・特急券・寝台券がいっしょになったタイプです。金額7110円の「ワ」はこれらの合計つまり「和」の意味です。

▲昭和55年の春休み九州にスタンプ収集に行ったときに利用した(あかつき3号)2段ハネの寝台券です。
昭和55年になると指定券は一ヶ月前発売になり、早くから旅程が決まっていれば、指定券が手配しやすくなりました。
宇都宮駅は市内の東のはずれにあり、キップを買いに行くのが面倒で、中心街にある日本旅行宇都宮支店で購入したところ、旧型マルスで発券してくれ、感激でした。生涯最後の旧型マルスでの購入でした。

  

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