静岡鉄道駿遠線(1/6 昭和44年夏の記録を中心に)




静岡鉄道駿遠線。全盛期には大手(藤枝市内)〜袋井間64.6キロを結んでいた軽便鉄道でした。
昭和39年から部分廃止が始まりましたが、
私が鉄道に興味を持ち始めた昭和40年代初頭には、
まだ新藤枝〜地頭方(現在の牧之原市)間に軌道が健在でした。
ドライブと魚釣りが趣味だった父と休日には御前崎に海釣りに出かけ、
当時の榛原町〜相良町間で国道150号線を併進していた駿遠線のか細い軌道を,飽きずに眺めたものでした。
残念ながらこの区間で一度も列車に出くわしたことはありませんでしたが、
恐ろしく長くて貧弱だった大井川橋梁の光景とともに,まだまぶたの裏に記憶しています。

今回,上條健一氏・ホームページ「鉄道ファン半世紀」のなまちゃん氏より
お写真の提供をいただきましたので、
ここに静岡鉄道駿遠線のアルバムをごらんにいれます。







▲駿遠線の旅はここから始まる。昭和44年の新藤枝駅の光景です。
新藤枝駅は現在のJR東海道線藤枝駅北口東側にありました。
写真に見える「靴の東京屋」「メガネのヒキノ」「お買い物田中屋」
すべて懐かしい静岡市内の商店の広告があふれています。
上條健一氏提供






▲上條健一氏撮影の新藤枝駅頭にちらり見える乗り場案内の看板。
この看板は駿遠線廃止とともに取りはずされ、今でも大切に保存されています。
平成18年夏に御前崎市立図書館で開かれた阿形昭氏主催の軽便展に堂々と飾られていました。







▲昭和44年上條健一氏撮影の新藤枝駅のお写真に、管理人が阿形氏主催の軽便展に飾られていた乗り場案内を合成したところ、
田駄雄作氏のご厚意でフルカラーで再現していただきました。
撮影の上條健一氏のお許しを得て公開させていただきます。
左側の湘南顔のキハD18型は駿遠線主力の気動車で、自社の長沼工場製の自慢の車でした。
この電車版が静岡鉄道静岡清水線のモハ20型になります。







▲同じく新藤枝駅の構内。
湘南顔の気動車に501型というDD型ディーゼル機関車という当時の主力車両の勢ぞろいです。
昭和44年上條健一氏撮影







▲廃止の一年前、昭和44年夏の新藤枝駅のホームです。
普段どおりの活気がありました。
このときすでに大井川までわずか4駅間を運行するだけでした。
上條健一氏撮影






▲昭和44年夏、当時の終点だった大井川駅での一こま。
駅員がキハD18の車体をお化粧直し。
上條健一氏撮影






▲そのキハD18の運転席。
機械式気動車だったキハD18。
レバーはギアチェンジ用でしょうか。
昭和44年上條健一氏撮影







▲線路敷は小学生の遊び場でした。
高学年の男の子が数名、楽しそうになにやら遊んでいます。
ちょうど管理人と同じ年頃の子どもたちです。
昭和44年上條健一氏撮影






▲高洲付近をのんびりと走るキハD20先頭の3両編成。
静岡鉄道お得意の湘南顔。垢抜けしない列車にかえって魅力を感じます。
昭和44年上條健一氏撮影






▲新藤枝を出ると、終点大井川までは志太平野を坦々と進みました。
非電化単線の細いレールが田んぼの向こうへと伸びていました。
昭和44年上條健一氏撮影


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