静岡鉄道駿遠線(2/6 昭和45年夏の記録を中心に)






並行して走る道路が整備され、自動車が普及するにつれてしだいに駿遠線は時代遅れの存在となり、
昭和45年7月、ついに最後まで残っていた新藤枝〜大井川間が廃止され、駿遠線は過去のものとなりました。
このとき、管理人は小学校6年生。
まさに鉄活動を活発に始めた時期で、その気になればお別れ乗車もできたのに、残念ながらその機会を逃しました。
しかし、上條健一氏がこの日1年ぶりに駿遠線を訪問され、そのときの貴重な一コマをカメラに収めていました。
上條氏の貴重な記録写真を紹介させていただきます。






▲駿遠線の気動車の正面にはこの日、こんなヘッドマークが取り付けられました。
まるで国鉄80系電車の準急ヘッドマークのようなデザインでした。
昭和45年 上條健一氏提供






▲駿遠線の気動車の運転も今日が最後。
チェンジレバーを握る手にも力が入ります。
運転士さんはあすからどんな仕事に就くのでしょうか。
昭和45年 上條健一氏提供






▲廃止当日の昭和45年7月31日はあいにくの雨模様。
傘をさした中学生が気動車に乗り込みます。
夏休みの最中、これから補講にでも出かけるのでしょうか。
あすからは貴重なお得意さんだった中学生もバス利用になります。
昭和45年 上條健一氏提供





▲対向の気動車のサイドには「さようなら」の大きな看板が掲出されました。
雨脚はひどくなって、
まるで駿遠線の廃止を惜しんでいるような、そんあ涙雨がフロントガラスをたたきつけました。
昭和45年 上條健一氏提供





▲車内に貼られた鉄道代行バス運行のお知らせ。
廃止翌日の8月1日より運行するとあります。
昭和45年 上條健一氏提供





▲新藤枝駅でのお別れ列車の発車風景。
ホームにも車内にも多くのお客さんが立ち会って駿遠線のお別れを惜しみました。
ミニスカートの若い娘も紙テープをもって見送ります。
昭和45年 上條健一氏提供






▲終列車が出た後、新藤枝駅構内ではすぐにレールの撤去作業が始まりました。
犬釘を引き抜き、すぐにレールを取り外しにかかります。
鉄道ファンにはいたたまれない光景ですが、
明くる日の朝一番の代行バスを線路敷から出発させるための強硬措置でした。
昭和45年 上條健一氏提供





▲静岡高校鉄道研究会(静高鉄研)が製作した、駿遠線の気動車の走行音を収録したレコード。
どんなサウンドが収録されているか聴きたいところですが、
レコードプレーヤーが姿を消した現在、それはかなり難しいことですね。
 上條健一氏所蔵


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