静岡鉄道駿遠線(5/6 昭和42年の記録を中心に)




▲玄保駅の駅名標。
玄保駅は駿遠線の中でも戦後最初の昭和39年に廃止された堀野新田〜新三俣間に存在した駅で、
駿遠線の中でも知名度が低い駅の一つでした。
現在、モータースの方の厚意により、その敷地に立派な駅名標が再建されて、
駅名標の隣には当時の玄保駅の写真もパネル立てられていました。







▲その玄保駅の駅名標の隣には、こんな写真パネルが立てられています。
子どもたちが鈴なりになって列車を待つホームは玄保駅。
町内の子ども会の遠足だそうです。
後ろに立つ「さくら美容院」は現存しませんでした。







▲新三俣の車庫にたたずむハニ1。
のっぺらぼうなエンドが特徴的です。
昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







▲新三俣での転線作業中のキハD5です。
前面のバスケットにはおきまりの自転車が積まれています。
管理人はこういう光景を、模型の世界でしか見ることができませんでした。
昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







新三俣の側線にはエンジンを外されたキハD13が留置され、
一足早く廃線を待っていました。

昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







蒙古の戦車と呼ばれたDBはすべて袋井工場の手作りでした。
1両ごとにスタイルが異なっていました。

昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







▲袋井に留置された古典客車。
ツートンカラーに塗装され、しかも妻面が非貫通で三枚窓とくると、
何となく路面電車を連想するスタイルでした。

昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







▲こちらは新横須賀に留置された古典客車。
貫通型で二重屋根の両端が落ち込んで、こちらの方が客車らしいスタイルをしています。
昭和42年8月27日 袋井〜新三俣間営業最終日
上條健一氏撮影







▲昭和42年8月27日をもって廃止された、袋井〜新三俣間の袋井よりに位置していた五十岡駅の遺構。
当時の簡素なホームがまだ残っていました。
駅名標は平成の世になって有志が立てたものです。
平成19年撮影







▲袋井市内の新幹線の架道橋名に今も残る「駿遠線」の文字。
写真手前が新三俣側,写真奥が袋井側で,
県道に寄り添うように,向かって右側に駿遠線のレールが続いていました。
平成19年撮影






▲駿遠線の列車に使われていたサボ。
鉄板に白いペンキで手書きされ,車体横にフックで引っかける仕組みになっていました。
阿形昭氏主宰の軽便展にて展示されていました。
平成19年撮影



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