ウソ駅 1/2

鉄道写真のジャンルにウソ電というのがありますが,こちらはウソ電ならぬウソ駅です。
パソコンの画像編集ソフトを活用して,デジタルカメラで撮影した画像を合成したり,
白黒写真に変換したりして,昭和のころの雰囲気に仕上げたまったくのウソ写真です。


私の思いつきではじめたもので,「ウソ駅」というタイトルも勝手につけたものです。
ろくな作品はありませんが,息抜きのつもりでご笑覧ください。

フィクションが嫌いな方には,おすすめできない内容ですので,
どうぞパスしていただくようお願いします。


【昭和46年 東海道線静岡駅】
地平ホーム時代の静岡駅。撮影は昭和46年。80系300台急行(富士川)が健在で,
ホームの片隅にはそのヘッドマークが何気なく置かれています。

というのはウソで,木造のホーム上屋が健在な沼津駅での写真に,
駅名標や「電報取扱駅」の琺瑯板を合成してみました。
アクセサリーにこれも本物を撮影した(富士川)のヘッドマークを置いてみました。
写真をよく見ると,昭和46年当時はなかった
視覚障害者用の黄色いタイルが写っていますが,
そこはご愛敬ということでお許しください。






【昭和48年 東京駅3・4番線ホーム】
国鉄時代の東京駅の3・4番線ホーム。
東京駅というと,今も昔も日本の鉄道の代表駅ですが,
昭和48年にはこんな木造のホーム上屋も残っていました。

実は,今もこの木造のホーム上屋は5・6番線ホームに健在です。
その事実を近年知った私は大変驚き,さっそく撮影した次第です。
写真を白黒にして,うるさい看板を消して,琺瑯風に作った駅名標を貼り付けると
昭和の東京駅といった感じになりませんか。
うぐいす色の103系電車でも合成できたら最高なのですが・・・





【昭和23年 東京駅山手線架線柱】
終戦直後に撮影された東京駅山手線架線柱。
当時はこんなモダンな架線柱が東京駅構内に林立していたのですね。
丸いアングル,柱にも簡素な飾りが施され,設計者の遊び心を感じます。

実は,この架線柱も5・6番線ホームに今も健在です。
このタイプの架線柱は,東京駅の古い写真を見ると必ず写っているもので,
その架線柱が今も健在なのにうれしさを覚えます。
とは言え,さすが平成の世になってはあと数本しか残ってませんでした。

高層ビルが入らない角度で撮影して,あとは白黒に変換しただけで,できあがり。
まったく写真を合成していない,ウソ駅ならぬ平成19年撮影の真実の姿です。






【昭和43年 東京駅(あさかぜ)発車風景】
新幹線が開通したとは言え,夜出発して,朝には目的地に着くという便利さが受けて,
まだまだ旅客需要の多かった寝台特急。
昭和43年,博多行き(あさかぜ)の発車風景です。
当時の寝台特急はすべて20系客車で組成されていました。
展望コーナーはカーテンまで取り付けられていたのですね。
ここにソファーが装備されれば,まさに密封形の展望室です。

というのはウソで,鉄道博物館に展示されているナハネフ22の写真を使い,
バックの画像は夜のプラットホームの写真を合成してみました。
ちらっと見える番線表示も鉄道博物館展示のもの。
国鉄時代は白地に黒のシンプルな番線表示でした。





【昭和34年 米原駅】
今では車両の窓ガラスははめ殺しが常識ですが,
昭和30年代の車両は冷房装置も一部の車両にしか装備されず,
三等客車での夏の旅行は窓を開け放して乗るのがあたりまえでした。
写真は米原駅での真夏の急行列車の発車風景です。
オハ35主体の編成ですので,北陸本線の列車かも知れません。

というのはウソで,大井川鉄道千頭駅で平成19年に撮影した一こまを少々細工したものです。
大井川鉄道は車両もさることながら,駅舎や架線柱もレトロ感がたっぷりで,ウソ駅の素材の宝庫です。






【昭和48年 米原駅】
もう一枚米原駅ホームの写真です。
米原駅7・8番ホームから神戸寄りを撮影したものです。
鉄骨のアーチ形上屋が,木造の上屋にはない美しさを醸し出しています。
白地の国鉄形の時計も今ではほとんど見かけなくなりました。

この眺めはほとんどそっくりそのまま,今の米原駅で見ることができます。
平成19年撮影の写真に,ぶら下げ式の駅名標を加えたのみです。
新幹線との乗り換え客でにぎわう米原駅のホームですが,
上りの大垣方面への電車はほとんどが短編成化されて,
さすがにホームのはずれは閑散としていました。







【昭和31年 京都駅 急行(高千穂)】
昭和31年,京都駅での急行(高千穂)の姿です。
   3号車は当時一般的な寝台車であったマロネ29。
   そして4号車は食堂車のスシ28がたが,連結されています。
   側面の端がすぼまってデッキのない眺めはちょっと新鮮です。

大阪交通科学館の屋外に展示されている,スシ28とマロネフ58をサイドから撮影し,
適当に愛称札と号車札を合成した,いい加減な一枚です。
当時はこのようなぶどう色に塗られた旧型客車の全盛時代でした。
お客はもっと明るい車両に乗ることを望んだのでありましょうが,
平成の世から見ると,このような優等客車や食堂車にあこがれるものであります。





【昭和35年 多度津駅 急行(四国)】
四国は多度津に飛びました。
準急色も懐かしい急行(四国)。
前面には四国独特の簡素な丸形ヘッドマークをつけています。
四国の鉄道に気動車が大量に配置され,気動車王国幕開けの頃の一枚です。
  
というのはウソで,よく見ると車両はキハ55形にあらず。
みなさまご存じの茨城交通は那珂湊での写真を合成したものです。
那珂湊の駅舎側から撮影した写真に,適当に駅名標や乗り換え案内の琺瑯板をでっちあげて作った一枚です。

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