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13年  8

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1287.  8/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   線路際を歩かないのが自己防衛か

1286.  8/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   次の列車の発車準備ができるまでまだしばらくかかります

1285.  8/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   列車種別は少ないほうが親切だと思う

1284.  8/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ビル窓アートでハートとかクリスマスとか季節感充実だわな

1283.  8/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   身近に使える気軽さと速度向上は両立できると思うのだ

1282.  8/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   身近に使える気軽さでは表定速度を上げられないのだろうか

1281.  8/9  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ダイヤを乱す怖いもの、地震かみなり火事花火

1280.  8/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ながらやサンライズが遅れは目立つが、貨物の遅れは話題にならない

1279.  8/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   地方路線では災害対策の予算に限界があるのだろうけれども

1278.  8/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   観光の団体も宗教の団体も今や中心は中高年層

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   線路際を歩かないのが自己防衛か

8/30

大阪22:403542M1号車に乗って帰る。

大阪ではそれなりに混んではいるが、高槻でまとまった降車があり、京都も乗車より降車のほうが多い。

というか、さすがに23時を回って京都でわざわざ最後尾まで来る客はほとんどいない。

地下鉄からでは後ろは遠すぎるし、石山も草津も階段は前よりなので、車内はどんどん客が減っていく。

おかげでどこかで座席4席を独り占めできるなんとも優雅な通勤電車なのだ。

 

そして定刻に野洲に着く頃にはもう車内は数人の客しかない。

しかしその一部の客が困ったもので、駅に着いても自主的に降りない、

つまり車内点検の際に決まったように車内から追い出される客が現れる。

単なる寝過ごしと酔った寝過ごしは明らかに行動が違う。

単なる寝過ごしはまず時刻表を見るか、携帯などでとりあえずこれからどうするか考える。

ちなみにこの3542Mの野洲着と同時に下り最終の923Mが野洲を出ていくので乗り換えはほぼ不可能。

つまり野洲まで来た時点で既に下り方向へは列車がない。

よってまずは改札でどうするか思案する、これがまだ意識のある寝過ごし客の姿。

一方酔ったまま、状況の把握できない客はまずホームの椅子に座る。

で、たいていそのまままた寝てしまう。

もっとたちが悪いのはホーム上をふらふら歩く客。

本人は気持ちいいのか、あるいは意識がないのか、でも傍目で見ているとあぶないこと甚だしい。

いつ線路に落ちてもおかしくないような人間もいる。

ちなみに3542Mの野洲着語すぐ後ろから52列車、吹田発の東京行き貨物がやってくる。

福山通運の大型コンテナばかりを積んだ迫力あるもの。

これが高速で通過していくから、足取り怪しい客が線路近くにいると少しひやりとする。

確かにそんな様子を見ているとホームドアの必要性を考えてしまう。

昔なら自己責任で済んだ話なのだが。

 

名鉄金山駅でホームから転落した女性を誘導した客とその女性に手当てをした客が表彰されたそうだ。

わだらんはいざという時とっさに動けるだろうか、と考えてしまう。

でも押されてホームから落ちるのは怖いなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   次の列車の発車準備ができるまでまだしばらくかかります

8/26

さて先週の金曜日は夜になって茨木高槻あたりで雷雨を伴う局地的な大雨になった。

この落雷のために阪急京都線の振替輸送になったわけだ。

梅田21:40の通勤特急に乗って、地下鉄京都が22:36

おおよそ1時間の行程になったが、烏丸でそんなに待たずに新田辺行きが来たし、

まずまずの移動であったと思う。

何より幸いだったのは京都で2/3番のりばに上がると

間髪入れずに琵琶湖線上り電車が入ってきたことである。

階段規制もあるのだろうか、と心配していたわだらんはありがたいやら拍子抜けやら。

とにかくこれで野洲まで帰れる、と一安心。

 

やってきた上り電車は正規の402運用2218両の828Tであった。

本来京都21:37で、およそ1時間遅れ。

その後も遅れ828Tは順調に走り、野洲が+65であった。

もっとも本来828T3532M受けのために野洲で5分ほど停まっているので、

その分を加味すると遅れ70分ということになる。

梅田から野洲まで1時間40分、まずまずであろうか。

ちなみにこの828Tの遅れを野洲で車掌氏に聞いてみたところ、大阪は定刻だったそうなので、

大阪京都で+60、つまり大阪京都間をおおよそ1時間45分かかっていることになる。

なので、この日は振替阪急利用で正解ということになる。

 

しかしいろいろ不思議なことは起こるもので、わだらんの乗っていた828Tのすぐ後ろに

どこで順序が変わったのか、なんと30分前を走っているはずの824Tがやってきた。

野洲で一旦出発停止現示だったので、通告券か何かあるのかと思い、

改札からホームに降りようとした途端、出発が開通して824Tは出ていってしまった。

ところが、駅では824T車掌に「遅れ3536M接続を取れ」と業務放送。

もちろん824Tは既に動き出していて、今更停めるのは無理。

かくして上り電車は二本続けて出ていき、あとの電車はしばらく来ないという状況になった。

さらに不思議なのは野洲で下り電車の発車見込みが立たないと案内していること。

828T乗車中に下り電車と何本もすれ違ったのでもう下りは順調に出せるのかと安心していたのだが、

どうやら出しすぎて今度は次の電車に充てる車がいなくなったようだ。

野洲では次の下りは野洲着新快速が車庫で折返しのうえ新快速西明石行きになる、

と案内しているが、肝心の野洲着3536M1時間も遅れているのでは話にならない。

本当はその後の列車の動きを野洲駅で見ていたかったのだが、

あまりに次の電車まで間隔が開いてしまいそうなので、あきらめて家路へと着いた。

もし以前のように野洲駅で信号扱いをしていれば、824T3536Mを待っていただろうし、

下りの出発列車をもう少しセーブして後の列車用に回せたかもしれない。

もちろん結果論、妄想の話であるが、でも本来集中管理で

線区内の列車全体を見ることのできるはずのシステムがありながら、

現場で次がどうなるかわからないというのも困ったものだ、と思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   列車種別は少ないほうが親切だと思う

8/23

金曜日、阪急京都線で振替輸送をしていると知り、梅田21:40の通勤特急に滑り込み乗車。

先頭近くまで行けば空いているだろうと予想はしたのだが、

何しろ乗った位置が最後尾の中扉で、先頭まではとても遠い。

そんな最後尾だからなのかどうなのか、とにかく車内はよく乗っている。

といってもかつての夕刻8両新快速程度の様子で、呼吸がしんどいとかいうレベルではない。

何かしら体を預けるスペースか掴むものがある状態なので、通勤電車にぜいたくは言えまい。

どうせ高槻市までくれば空くのだろう、と思っていたのだ。

 

しかし阪急京都線は昔の頃に比べて迫力がなくなったようにわだらんは思う。

特急は十三から大宮まで停まらないから特急なのであって、

あちこち停まるのは特急のレベルではないように感じるのだ。

少なくとも昼間の特急、淡路・茨木市・高槻市・長岡天神・桂はかつての急行停車駅であって、

つまり今の特急は昔の急行レベル、ということになる。

もちろん諸般の事情で停車駅が増えるのは理解できるし、また停車駅が増えるのは

JR民鉄を問わずどの路線でも同じ傾向なので、別に阪急京都線が特別というわけでもない。

とはいえ、今の阪急京都線の列車種別はちょっと多すぎるように思える。

流動で言えば現状のダイヤが最適なのだろうと思うのだが、

列車種別が多いのは余計な混乱を招くのではないだろうか、と思う。

ましてや外国人観光客の利用も少なくない路線である。

Expressfastlocalの三本立て程度になれば、とわだらんは思う。

オランダでもドイツでもデンマークでも都市近郊の通勤電車は快速と普通、

または速い快速と遅い快速と普通の二本または三本立てで、停車駅数が違う単純な区分なのだ。

まぁ外国人観光客と通勤利用客のどちらを優先するかなど疑う余地もないが。

 

しかし驚いたのは乗っている通勤特急の最後尾が高槻市をでてからも空かないことである。

日頃12両新快速の最後尾に乗っていると高槻で着席できるのが常識である。

ところがこの電車、高槻を出ても安心して着席できるほどまでに空かない。

桂を出ても状況変わらず、こんなに京都市内まで乗っているものだ、と驚いた矢先、

ほとんどの客が西院で降りて行った。

つまり西院は大阪よりにしか改札がなく、改札に近い最後尾に西院降車の乗客が多数いた、というわけである。

なるほど、と納得したものの、逆に疑問が湧いてくる。

西院にそれなりの客がいるのなら、思い切って日中も西院大宮に特急を停めてやったらどうだろう。

市バス205206系統と乗り換えがスムーズ、

というのは京都旧市内北部への阪急電車PRにはならないのだろうかなぁ。

金閣寺へは梅田から阪急+市バスで、と。

日中西院大宮を通過するのが特急の見栄なのかもしれないが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ビル窓アートでハートとかクリスマスとか季節感充実だわな

8/23

毎日通勤利用の車中でたくさんの川を渡っている。

野洲川が始めで、草津川や瀬田川、鴨川桂川、そして淀川。

考えてみれば渡る川はすべて琵琶湖淀川水系のものばかりであるが、

琵琶湖のみならず亀岡盆地や伊賀盆地などからの水も桂川や淀川で渡っている。

琵琶湖博物館に琵琶湖淀川水系の大きな航空写真が床に敷き詰めてあり、

まるで飛行機からのように上空を歩けるのだが、地元のなじみ深い地域故、楽しさ百倍である。

しかし水辺というのはやはり何かしら心を柔らかくしてくれるものである。

都市の川、例えば隅田川だったり長良川であったり、あるいは太田川であったり、

それぞれの街に何かしら川はあるし、逆に自然豊かな田舎では川や水辺の風景が日本の原風景だったりする。

だからこそ川を渡るのが気になったりするのである。

 

さて水曜日の夜、届け物があって塚本まで出かけた。

大阪駅からわずか一駅であるが、まったく様相が違う。

もちろん塚本の駅自体は都市の中の小駅そのもの、つまり通勤客など駅の利用客は多いのだが、

駅時代は簡素で、駅前も商店街やコンビニ、居酒屋などが多数あるものの、

でも華やかさはほとんどない、生活感漂う駅である。

そんな塚本へのわずか一駅の小旅行であったが、ふと普通電車の窓から見る淀川の上、

下淀川橋梁から見る梅田のビル群のなんとも美しいこと。

そういえば野洲大阪間、いや米原大阪間であっても、川面に街灯りが映る場所はほぼない。

瀬田川も鴨川もなんとなく川の両側に明かりは多数あるが、でも川面に映して美しいとまではいかないように思う。

その点、この神戸線側、あるいは阪神電車でも同じだが、梅田のビル群を見ながら川を渡るのは一つの沢に思う。

そう、川面の向こうにビル群が負ければ絵にならない。

いつも通る上淀川橋梁ではビル群は見えても橋梁に平行な方向なのだ。

だからこそ神戸線利用者がちょっとうらやましく思えたりする。

まぁほとんどの通勤客はそんなビル群の夜景に気を留めることはないだろうし、日常の風景だからこそいいのだ。

まぁわだらんはビル群の夜景は見えなくとも、鴨川や桂川で桜や菜の花を見ることができるのだから良しとしよう。

ビル群夜景には季節がないが、堤防横の斜面には季節がある、と強がりひとつ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   身近に使える気軽さと速度向上は両立できると思うのだ

8/20

地方鉄道では都会で働いた電車の再利用の話が豊富である。

富山地鉄では京阪特急3000系のミニ、まるでプラレール版ができたし、

えちぜん鉄道でもJR東海から車両を購入したし、

近江鉄道では元西武車の改装工事が終わって運転を開始したし、と。

第二の人生があるのは幸か不幸か。まぁ金沢敦賀にいた419系や

岐阜に来た札幌市電のように第二の人生のほうが長かった車もいるし、

近鉄2000系(二代目)のようにもともと電装品の再利用で長生きの車もいるし、

人生いろいろのように車両の生き様もいろいろである。

といっても車両の転用は基本的に同じ軌間、または同じような車両限界(車体寸法)で成立するのであって、

極端に車両の大きさが違ったりしたものの再利用は難しい。

ましてや762mmの軽便軌間となれば、既存の車両を転用するのはまず不可能である。

近鉄内部八王子線のバス化議論も結局軌道車両があまりに特殊であるが故の話で、

もしこれが1067mmまたは1435mmであったらまた展開は変わっていたと思われる。

 

ところで三重県は762mm軌間の宝庫と言えるかもしれない。

実際観光用を除く通勤通学に供せられる鉄道で762mmはこの内部八王子線と

隣桑名市いなべ市の三岐鉄道北勢線のみだが、さらにかつては今の近鉄湯の山線も、

松阪港から大石に伸びる三重交通大石線も762mm軌間であった。

(他にも中勢鉄道・安濃鉄道の内燃機関762mm軌道もあったが、これらは戦時中に消えてしまった。)

これらかつて三重交通の鉄道線であった大石線と湯の山内部八王子線、

そして北勢線はかつて車両のやりとりが行われ、転籍車がいろいろいたものである。

最近も北勢線が近鉄から分離された際、

新たに経営を請け負うことになった三岐鉄道は改軌の計画を持っていたそうで、

北勢線の車が大挙して内部八王子線に来るかもしれなかったのだが、

これも今のところ話が具体化する雰囲気はない。

 

となると内部八王子線は存続が決まったとしても当面現状の車両施設を使わねばならず、

いまだに冷房のない車両が受け入れられるのだろうか、と心配になる。

何しろ今の世の中、762mm軌間用の車両など高くついて

とても地方鉄道に投入できるような金額にはならないようだ。

でも今の車両がそのまま生きた博物館になるのも生活路線としては無理があるだろうし。

 

ところで先日内部線に乗った際、データにある利用者数に比べてもっと乗っているような気がした。

そう、車内は混雑など無縁だが、かといって無人でもなかったのである。

車両が小さいから人が多いように見えたのか、実際に数えているわけではないので不正確だが、

でも意外と乗っているのである。

最高時速45kmとお世辞にも速い電車とは言えないが、でも高い定時性と

安価な駅施設が持つ平面移動のみの気軽な乗降など、それなりに固定客はいるようである。

 

ちなみにこの内部八王子線は他の近鉄路線より定期客比率が高いのだそうだ。

この先新たに投資することが是か非かわだらんには判断できないが、

でもこのまま単純に廃止ではちょっと欲求不満になりそうだ。

決して乗客がいないわけでない都市近郊の鉄道故、何とか残ってほしいものだと思う。

いや実際四日市市の決心ひとつで存続はできると思うのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   身近に使える気軽さでは表定速度を上げられないのだろうか

8/19

勤務先が一週間の夏休みだったので、しばらくの間野洲大阪間の通勤はなし。

仕事は別にして電車に乗らないのは少し寂しいところもあるが、やはり休みとなればうれしい。

本音はオランダへ出かけたいのだが、なかなか事情が許さない。

 

ならばどこかへ出かけようと津の実家から車を転がし、着いた先はイオンタウン四日市泊。

いや、買い物が主目的ではなく、とりあえず車を停めて近鉄内部線に乗ってみよう、という話である。

実はこのイオンタウンに車を停める前に内部駅に車を入れてみたのだが、

まぁとにかく駅前に車を停めるところがないどころか、自転車置き場もない。

自転車は旧国道を渡ったところにあったのだが、あれでは雨の日など大変だろうに、と思う。

もっとも雨の日なら自転車利用そのものがしんどいだろうから、車で送り迎えかな。

といっても内部駅に車を入れるのは暴挙みたいなもので、とてもP+Rなどできる状況でもない。

わだらんは駅の構造を知らなかった、つまり怖いもの知らずなので内部駅前にミニバン車を入れてみたが、

知っていたならまず車を入れることなどなかろう、というとにかく狭い空間である。

もっとも駅前が狭いのは近江鉄道でも、あるいは廃止された名鉄岐阜600V線でも

おなじみの光景だから驚くことはないが、

ただこれからの時代いまのままで行けるのかどうか、いやこの先がないから廃止論議が出てくるわけだが。

 

そんなわけで、イオンタウンから徒歩5分ほどで近鉄泊駅へ、そして泊-内部-四日市-泊と一時間で小旅行。

以前内部線に乗ったのはおそらく30年近く前。

近鉄四日市駅が高架になって内部八王子線駅が高架下に動いたころで、まだモ220の電動車しか運転台がなく、

従う付随車は運転台もなく、四日市の高架下で電動車が機回し、まるで機関車のように付随車を従え走っていた頃。

その後車両は新しくなったが、その車両がそろそろ更新時期。

この先どうなるか、そして乗った話はまた次回。

しかし野洲に帰っていつものように野洲駅を利用していると、

鉄道に必要なのはやはり速さなのだろう、と送迎の車を見ながら実感するのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ダイヤを乱す怖いもの、地震かみなり火事花火

8/9

久しぶりに浜大津、大津港まで出かけてみた。

もちろん花火を見に、である。

ここ最近いつも大津駅裏とか膳所駅裏とか、昨年は瀬田の某平和堂立体駐車場から花火を眺めていたので、

本当に久しぶりである。

瀬田の某立体駐車場は帰宅に混雑の心配がなく、適度に花火を見、

そして下を通る207系や321系も眺めることのできるなかなかのロケーションである。

まぁそもそも花火が目的なのか、花火のための多客輸送を見るのが目的なのかと聞かれると

後者になってしまうから、単独行動しかできない。

もちろん花火大会大好きわだらんからすれば、そんな臨時電車より純粋に花火を楽しんでもいいのだが、

何しろ一年に一回、4扉電車が走り回る日なので、やはり電車が気になってしまうのだ。

 

ところで、今年の88日は特別な日として記憶される方も多かろう。

何しろ震度7クラスの地震が来る、と四方八方の携帯が鳴ったのだから。

もちろん電車もいったん止まり、運転再開までしばしの時間がかかる。

そして大津市内、特に大津駅や大津港一帯は夕方雷混じりの雨が降ったのである。

これでは遅れた電車から吐き出された花火見物客が駅舎からでない。

となるとホームの人はけず、そして電車は進めない。

わだらんが大阪から乗った30分遅れの3498Mは山科で足止めを食らって遅れ45分に拡大のありさま。

なんといっても京都山科間は電車が渋滞、山科場内ももちろん、さらには山科の築堤上に

後続電車が停まっているのが山科駅ホームからも確認できるほど。

乗客もけないが列車もけない。

おまけに近年臨時電車は207/321系ばかりで面白みがない。

そんなわけで、山科でしばらく行きかう電車を眺めていたわだらんは山科の改札を抜けて京阪山科駅へ。

 

京津線にとっても一年に一度のおおお祭りの日。

もちろん京阪山科駅もいつもなら見ることのできない人だかり。

それでも19時半を回っていたこともあったか、やってきた電車は大きな混雑もなく、あっさり浜大津に着いた。

駅から大津港への跨線橋も進みがよく、そんなわけで久しぶりに大津港で花火を堪能したのである。

やはり近いと迫力が違う。

駅で電車を見ながらの花火見物とは較べものにならない迫力で十二分に堪能したのであった。

 

ところがその余韻も冷めやらずに花火が終わって向かった浜大津駅への乗車列は進みが想像以上に悪く、

比較的早い位置にいたわだらんが浜大津のホームに入ったのは花火が終わって1時間20分も立った21:50であった。

まだ後ろに相当の列があったので、この調子だと終電に間に合ったのかどうかもちょっと心配である。

その帰りの話はまた別の機会にするとして、石山で乗った826T

地震の見合わせと花火客輸送で野洲着は45分遅れであった。

もう指令は無理にダイヤを触らず、どんどん遅れたまま列車を動かしているような印象である。

それもいい方法だろうとは思うし、45分遅れなど花火帰りの客には意味のない数字に思える。

 

が、何か地震の遅れか花火後の電車待ちのせいか、

野洲に着くと異様に疲れを感じてしまったわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ながらやサンライズが遅れは目立つが、貨物の遅れは話題にならない

8/7

火曜日の朝、いつものように野洲駅へ向かうと4番線に上り貨物が停まっているのが見えた。

また兵庫岡山県境で鹿とけんかしたのか、いつも遅れているのを見る1064列車あたりかと思ったがどうも様子が違う。

ざっと眺めると韓国のコンテナが載っているのに気がついた。

ということは、下関からの列車だろうかと朝仕事場に着いてJR貨物の輸送情報を見ると

やはり野洲にいたのは1060列車だとわかった。

この1060列車は下関を夕方に出て東京に朝着くもので、

フェリーを利用して韓国からやってくるコンテナを積んでいることが多い。

といっても野洲を通過するのは深夜3時半なので、めったに見ることはできないのだが。

 

しかし最近の天気は困りものである。

ごく限られた範囲で思いもかけぬ大雨が降る。

5日は京都駅地下街に水が入ったとか、夜から朝にかけて名古屋市内であちこち冠水したとか、

そんな話題ばかりである。

かわいそうなのはその大雨に行く手を遮られた夜行の貨物列車たちで、

朝の713Mからの車窓でも野洲をはじめとして、草津・石山と退避のできる駅に貨物列車が停まっている。

もちろん河瀬や彦根にも停まっていだそうで、先へ進めない貨物列車が団子状態になっていたようだ。

名古屋周辺の運転見合わせは6日の早朝には解除されたようなのだが、その後もダイヤの混乱は続き、

18時の時点の輸送情報でもまだ1060列車は野洲に停まっていることになっていた。

わだらんが野洲に戻った20時前にはやっと動いたのか既に姿は見えなかったものの、

のちに輸送情報を見ると1060列車は静岡貨物18時間遅れとある。

まだまだ東京まで先は長そうだ。

 

しかし天候がおかしいとは言え、こうも遅れが当たり前のようにあって大丈夫なのだろうか、

とちょっと心配になる。

新幹線のように高架にしてしまえば、少々の雨でも水が線路に入ることはないだろうけれども、

とても在来線を全線高架にできるはずもないし。

とはいえ、低い地域だけ、あるいは津波の恐れのある所だけでも

そんな線路の付け替えができないだろうか、とあれこれ夢物語。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   地方路線では災害対策の予算に限界があるのだろうけれども

8/6

特定の日曜日朝、野洲駅の周囲にちょっとした人だかりができる。

しかも子供が多いのが特徴である。

その人だかりのお目当てはSL北びわこ号用C56の回送を見るためである。

梅小路からの機関車単機回送列車は野洲駅4番に一旦停車し、新快速3200Mに道を譲って発車していく。

基本的に前にいるEF65かれる形なので、力行といってもあまりパッとしないのだが、

それでも間近に見る蒸気機関車の起動のシーンは子供たちに人気である。

いったいどこでそんな情報を取ってくるのか、回送列車に人が集まってくるのは不思議である。

 

しかしこの野洲で見る蒸気機関車、どうもC56というのには違和感がある。

もともとC56は地方の閑散路線、または低規格線で使われる機関車であって、

東海道線では現役時代列車をいて走ることはなかったのではないかと思うのだ。

野洲のあたりは東海道線最後の電化区間、つまり東海道線の最後まで蒸気機関車がいた区間になる。

その頃、昭和31年秋までの期間、蒸気時代末期の主力は旅客がC59C62、貨物はD52であったようで、

とてもC56のような小さな機関車の出番はなかったように見える。

わだらんはC59の生きている姿を見たことがないのだが、長身の美しい姿の後ろ向きで

野洲京都間区間運転の普通列車をこなしている情景などちょっと憧れてしまうのだ。

まぁ亀山や奈良にD51C58、そしてC57がいて、

列車の先頭に立っているのが日常だったころをかろうじて知っているのがいいのか悪いのか。

そう、やはり蒸気機関車は生きていて列車をいていなければその迫力や美しさはわかるまい。

 

ちなみに動画サイトで「鉄道文化映画集 鐵道信 1/2」と検索すると、

おそらく昭和15年製作と思われる鉄道映画が出てくるのだが、ここの10分ちょうどくらいから最後にかけて、

まだ新製間もない梅小路区のC57123かれた普通列車が

草津駅中線でC53く急行列車を退避している場面が連動装置の説明とともに映っている。

確かにC53とかC62のような急客用大型機も魅力的なのだろうけれども、

どうもなじみの深いC57に肩入れしてしまうわだらんである。

願わくは山口線運休中だけでもC57に北びわこ号をいてもらえるとうれしいが、

そんなことを言うと山口県の観光業界に怒られるかな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   観光の団体も宗教の団体も今や中心は中高年層

8/4

先日30日のことである。

大阪20:153524Mに乗って大阪駅を出てすぐ、まだ環状線が隣にいるところで、不意に電気機関車の笛が聞こえた。

こんな時間にしかもなんで電気機関車かと不思議だったのだが、下り快速と並走する形で

どうも大阪行きトワイライトが走っていたようで、最後尾のカニらしき姿がちらっと見えた。

トワイライト自体は決して珍しい話ではないが、さすがにいつもと違う時間に通るとちょっとびっくりする。

もちろん最近はトワイライト編成を使った山陽線団体とか、

あるいは10月には出雲大社参詣のトワイライトとか、と珍列車ネタはいろいろあるのだが。

結局この日は信越線内の大雨で大幅遅れになっていたそうだ。

 

ちょっとその電気機関車笛で驚いた矢先、今度は京都で遠くにDD51らしきライトを見つけた。

何か訓練運転か、あるいは工事臨時かと見たがどうも機関車は単機らしく、

ライトだけで実機も引列車も見ることはできなかった。

さてなんだろうと気にしながら京都駅を離れるその時、

7番のりばにEF81とそれにつながる24系寝台車を見ることができた。

なるほど天理の団体臨時か、と納得。

そしてその列車を取り巻くヲタの群れにびっくり。

昔の基準をどこに置くかにもよるが、昔は京都駅で寝台車など当たり前にいたのに、

今やネタ列車として追い回される存在になったのか、と思う。

そして2006年の出雲や2008年のあかつき廃止で京都駅の機回しももう見られなくなってしまった。

だから確かに寝台車が、しかも機関車の付け替えまでする臨時列車はネタとして十二分に価値はあるのだろうけれども、

逆に日常の機回しなどを当たり前に見ていた感覚からすれば、そんなに大騒ぎしなくても、と思ったりする。

 

ただ、考えてみると宗教団体の持つ輸送需要自体が小さくなっているようにも思える。

それこそ身延線の線路配置を変えてしまうほど強大だった某富士山ふもとのお寺詣では

宗教内路線対立からすっかりなくなってしまったし、もちろんすべての宗教の事情を知る由もないが、

でもその他も同じように集客移動のパワーが落ちているように思える。

今の若い世代はあまり宗教に関心がないようで、それがいいのか悪いのかはここでは論じても仕方がない。

でも宗教に絡む臨時列車がネタ列車として存在し続けるのはこの先難しいように思うし、

それは案外鉄道側の理由だけではないだろう、と妙な心配をしてしまうのである。

 

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