このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

木造駅は産業遺産
大正11(1922)年3月26日開業の日豊本線重岡駅。

日豊本線随一の難所“宗太郎越え”のサミットにある無人駅だ。佐伯市宇目町(旧宇目町)の国道10号線沿い。駅前には商店があるが、営業をしている気配はない。時折、国道をあえぐように大型のトラックが通過していくが、そういったけたたましさすら忘れさせる静かな山間の小駅である。

昔、宮崎駅から鈍行列車を乗り継いで大分を目指したことがある。その時、追い越し列車の待避、下り列車との離合のため、行き違いの設備を持つこの駅で長い停車時間を過ごしたことがあるが、乗り込み客よりも少ない降客に少々戸惑ったことがある。ホームでうろたえていた時に、下りの「 彗星 」が延岡へと峠を下っていった。

九州にある無人駅の場合、ほとんどが駅の本屋を取り壊されている。近隣では宗太郎駅、日向長井駅、北延岡駅。ホームとトイレだけになっている。そのような中で重厚な木造駅舎を残す重岡駅の存在は貴重である。そのロケーションからだろう。2002年には「時をかける少女」や「漂流教室」、「SADA/戯作・阿部定の生涯」といった作品で知られる大林宣彦監督がメガホンを取った映画「なごり雪」においてロケ地に選ばれている(駅本屋入り口にそれを示す看板が掛けられている)。
中に入ってみる。

駅本屋の掲示板。チーマー気取りの地元ガキどもの仕業だろう。芸術性のかけらもない落書きが残されていた。

筑豊の駅では見慣れていた光景であるが、このようないたずらに心底辟易していた。筑豊や久留米にある無人駅では多くの駅でガラスが割られ、ベニヤ板が窓を覆っていた。そして溢れるほどの落書き。鉄道趣味人としては悲しくなる光景だが、大抵は地元の中高生の仕業であると推測している。その延長にあったのが平成7(1995)年に不審火のために焼失した日田彦山線の香春駅だ。大正4年建築。旧小倉鉄道の名残を残す駅舎の中で代表格の物であったが、文化遺産は一夜のうちに消え去ってしまった。

この重岡駅も荒廃している。落書きはもちろん、ゴミ箱にはゴミが満載状態であった。カラスがつついたのであろうか。食料品系の包装が散乱している。私はこのゴミを片づけながら、とても暗い気持ちになった。この国は古い物に対する尊敬の念が足りないのではないか。

駅舎は人の経済活動、つまりは産業の発展と共にあるものである。ある物は近代的な姿に変身し、あるものは開業当初の姿を保っている。そして消える建物もある。その差は大したことはないのだが、共通するのは人のニーズに答える形で轍が延び、そこに駅が開業することである。

時間の経過と共に変遷を強いられるこれら駅舎の内、今もその姿のままその役割を維持する古い駅舎は産業遺産といってもはばからないのではないか。産業遺産・・・。つまりは人の連綿と続いてきた経済活動の足跡を伝える何かしらの形ある物である。長い風雪に耐え、地域の玄関として有り様を見守ってきた駅舎にはそれ相応の価値を見いだすべきではないか。

このような心ないいたずらを見る度に、やり場のない憤りと後ろ向きの気持ちを引きずってしまう。今だから光を当てなければならない物って数多くあると思う。木造駅舎も当然その中に含まれるのだ。
(05.09.19)
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