このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

3ヶ月遅れで 『つばめ、翔んだ。』
平成16年3月13日、JR九州と鹿児島経済界が待ち望んだ九州新幹線が西鹿児島までやってきた。その日を境に、最果ての駅名として地元にも深く浸透していた「にしえき」という駅名は消え、代わりに「ちゅうおうえき」となった。その日、中南九州では新幹線開業に合わせていくつかの特急列車が設定され、いちローカル線にすぎなかった吉都線にもキハ40系改造の“ はやとの風 ”が走り出した。

この“はやとの風”については運転初日に実物を見ることができた。しかし、このダイヤ改正の目玉。九州新幹線“800系つばめ”は今まで見ることができなかったのである。先日の研修の最終日、研修そのものは昼で終了する。風邪によるダウンを含めて同僚には非常に迷惑をかけたので、絶対に土産を買って帰らなければならない。鹿児島といえば明石屋の“かるかん”でしょう。“明石屋”の店舗が中央駅のコンコースにあったな・・・。というわけで、正当な理由をひっさげて堂々と開業3ヶ月後の新幹線を見ることにしたのだった。
駐車場に車を止め、駅前をブラブラ歩いた。駅に隣接するテナントビル“アミュプラザ。ダイヤ改正前に見た時はまだ観覧車の姿もなく、ビル壁面には大きなブロントザウルスの描かれたシートがかけられていたが、秋のオープンを目指して工事は順調のようだ。

この観覧車。遠く離れた鹿児島県庁の最上階展望台からも見ることができ、どこに駅があるか分かってしまうのである。ランドマーク・・・。

それにしても真上から見た駅構内はどんな感じなのでしょうか。そのうち、なにやら理由をつけて乗ってやろう(爆)。

この他、駅前には立派な地下通路ができており、駅と県内各方面を結ぶバス停とを繋いでいた。
入場券160円を購入し、自動改札をくぐる。これは改札の内側より駅コンコースを見た物。

人があふれるのは西駅であった頃から変わらない。
改札から新幹線ロビーへと続く廊下。鹿児島交通南薩線、焼酎づくり、竹細工・・・。消えてしまった、もしくは消えつつある鹿児島の風俗記録写真が“薩摩・大隅・島嶼に生きる”というタイトルの元に展示されていた。
ホームに上がると、ちょうど新八代行きの列車が発車したところ。次は30分後の13時16分発の“つばめ48号”。

仕方ないので誰もいない、ただ真っ白な新幹線ホームを観察する。
ホームの縁は転落防止のため、透明の板による仕切り。搭乗口付近も自動開閉式の金属扉で仕切られている。私が知っているJR西日本の博多駅とえらい違いだ。
13時を回った。車内清掃の準備が始まり、駅員がホームの安全確認を行う。程なくアナウンスが流れ、騒音問題でもめている薩摩田上トンネルに白色のランプが光った。すぐに古代漆という赤と金の細帯をまとった純白の編成が速度を落としてホームに入ってきた。第4編成。鳥をまきこんだのだろうか、先頭部が汚れている。

撮り方によってはきれいに編成を納めることができたのかも知れないが、最先頭のノーズ部分で勘弁下さい。
JR九州の車輌デザインを“ドーンデザイン研究所”の水戸岡鋭治氏が手がけるようになって、車輌側面が情報で彩られるようになった。好き嫌いが分かれるところであるが、私は好きなのです。他の鉄道会社が結構意識してデザインにロゴを取り入れているところを見ると結構な影響力があったと思われる。

往年の東海道特急「つばめ」のヘッドマークを取り入れたエンブレム、大書き「つばめ」、「KYUSYU SHINKANSEN TSUBAME 800 SINCE 2004」、号車番号・・・。見ていて飽きない。、
出発までのわずかな時間を利用して、車掌さんと客室スタッフの打ち合わせ中。1992年の787系登場以降、国内最上の鉄道車内サービスを提供した“つばめレディ”は新幹線になっても受け継がれたようだ。提供するサービスは寄り洗練された物となっているはずだが、ビュッフェの廃止以降、その存在理由が薄らいでしまった様に思える。
一日30往復を数える運転ダイヤである。そのためもあって、利用者は増えたが乗車率にはあまり反映されていないとか。確かにつばめ48号に乗り込む乗客も多くは感じなかった。平日の昼間というのも関係しているのだろうか。

しかしながら、人の関心というのは集めるようである。先頭部に携帯電話を向けて撮影している人も多く、カメラを持った人間は私一人ではなかった。この親子(と思うけど)のように何をするわけでもなく、列車を眺める人もいくらかいたようだ。

たしかに新幹線開業後、鹿児島の街は明るくなったと思う。新しい街の顔(というか西駅時代よりもよりその性格が強くなった)となった鹿児島中央駅を中心にガラリと雰囲気を変えている。アミュプラザのオープン後はさらなる彩りが加わることだろう。北部九州にとっては南九州がより身近な地域であると感じるようになった重要なイベントとなったが、開業後、九州一の消費地“福岡”が日帰り圏となっただけに、地元商店がかなりの危機感を持っているらしい。実際にその影響が出始めているという話も聞いた。

10年後を予定している博多までの全通だが、もっと大きな変化が訪れる事は想像に難くない。走り去っていく白い車輌を見送りながら、少し複雑な気分になった。
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(04.06.14)

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