このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

  

 

  シルクロード歴史紀行Ⅰ 西安

名古屋 → 西安 ( 慈恩寺 → 青龍寺 → 秦始皇兵馬俑博物館 → 秦始皇帝陵 )

2011年10月

 

まず訪れたのは西安。この地は秦・漢・隋・唐の都で、唐の時代には長安と呼ばれました。

長安はシルクロードの起点として、多くの留学生や商人が滞在する世界屈指の国際都市として繁栄しました。

当時の人口は120万人、日本からも多くの遣唐使が訪れ、唐の先進技術や仏教経典を持ち帰りました。

 


 

 【 名古屋 → 西安 】

 セントレア 朝からワインを飲みました。浮かれてます。

名古屋→北京 機内食は定番のチキン、饅頭付きでした。

北京空港 刀削麺 イメージと違いましたが美味しかったです。45元(1元=約12円)

北京→西安 機内食はハンバーガー、これはまずかったです。

鐘楼 空港からバスで45分、西安の中心部に到着したのは21時頃でした。

  

宿泊した宜必思酒店 新しくて綺麗なホテルでした。173元

小腹が空いたので、近所の商店でカップラーメンを買ってきて食べました。?元

 


 

【 慈恩寺 】

西遊記で有名な、三蔵法師こと玄奘〔ゲンジョウ〕三蔵ゆかりの寺院です。

  

大雁塔〔ダイガントウ〕は、玄奘が持ち帰った大量の経典や仏像を保管するために建立された塔で、

創建当時は5層、その後修復が繰り返されて、明代に7層となったそうです。

  

寺院にも入らず、塔にも上りませんでした。三蔵法師の像と大雁塔を見ただけで満足です。

  

面白い凧を上げている人がいたので、写真を撮らせてもらいました。

 


 

 【 青龍寺 】

青龍寺は、弘法大師こと空海が密教の教義を受け継いだ寺院です。

唐末の戦乱で廃寺となってしまいましたが、近年その跡が発掘され、空海の資料館や記念碑が建てられました。

よって当時の面影というのは全く残っていません。10元

   

左は青龍寺正門、右はその中の資料館入口です。

 

密教には2つの系統がありました。

唐に密教を定着させた不空〔フクウ〕の密教は、金剛頂経の密教。

それを受け継いだ恵果〔エカ〕は、他から大日経の密教も受け継ぎ、両系統の密教伝承者となりました。

恵果は、金剛頂経も大日経も表裏一体としながらも、金剛頂経を2人に、大日経も2人に伝授し、

両系統の密教は、1人の最も優れた弟子にしか伝授しませんでした。

 しかし、その愛弟子は不運にも病気で早死してしまうのです。

そこで登場するのが独学で密教を学んで留学してきた空海。

瞬く間に恵果に認められ、異国人でありながら両系統の密教伝承者となるのです。

 

恵果と空海の肖像画が飾られていました。

「お賽銭」って書いてある事からして、ここを訪れるのは日本人ばかりのようです。 

それもそのはず、空海は帰国して、両系統の密教を融合させて真言宗を開くに至りますが、

両系統の伝承者が居なくなった唐では、密教は道教などに押されて衰退してしまうからです。

  

曼荼羅〔マンダラ〕が飾られています。 発掘で出土した品々も並べられていました。

  

 密教の儀式に必要な法具や経典は、ガラス越しに展示されていました。

性霊集〔ショウリョウシュウ〕は、空海の詩・碑銘・上表文・願文などを弟子がまとめた文集です。

  

脱線しますが左はパンダのゴミ箱。

そして右は空海記念碑。中国語だと紀念碑なので、やはり日本人向けです。

 

この旅に出る前に、司馬遼太郎の『空海の風景』(中公文庫)を読んだので、

その表題のように、当時の空海を取り巻いた風景には強い思い入れを持って訪れました。

しかし密教に関しては、日本人観光客向けの物しか残ってないのが実情でした。

 


 

【 秦始皇兵馬俑博物館 】

時代は秦までさかのぼり、次は西安観光のハイライト、兵馬俑を見に行きます。

東に約35㎞、西安駅前からの路線バスで約1時間です。7元

  

ザクロでしょうか? バスの発着所付近は露店が軒を連ねています。 それにしても差別化が全くありません。

入場券を買った所から1㎞くらい歩かされてようやく到着です。110元

 


 

【 1号抗 】

この屋内にある兵馬俑の数は6,000体だそうです。

兵馬俑の上には丸太の屋根があったそうで、側壁の上が凸凹してるのは丸太の跡だそうです。

  

前方1/3は、復元された状態で展示されています。

  

中間の1/3は、復元せず発掘したままの姿で展示されています。

   

兵馬俑の大半は、西の秦始皇帝陵を背にして東を向いています。

編成は前方の主要部隊、左右の側面部隊、後方の防衛部隊の4つに分かれているそうです。

ちなみに後方1/3は、発掘しないままで保存されています。

 


  

【 2号抗 】

この屋内にある兵馬俑の数は1,300体だそうです。

屋根の丸太を外しただけで、発掘していない所が多く残っています。

  

発掘した所も、復元せずにそのまま展示されています。

  

何せ2200年前、兵俑も馬俑も粉々に壊れています。

  

馬車は木製のため、朽ちて無くなっているそうですが、ここには車輪跡がありました。

 


 

【 3号抗 】

 ここは軍幕(司令部)だそうです。

  

この屋内にあるのは、兵俑66体、馬俑4体、戦車1台だそうですが、戦車はどこに?

 


 

【 牛肉麺 】

牛肉麺は15元、ご飯は3元、お腹一杯になりました。

 


 

【 秦始皇帝陵 】

兵馬俑博物館から無料シャトルバスで10分程です。

左奥の山が秦始皇帝陵です。

    

    

秦始皇帝陵の麓ではショーが行われていました。男性の舞踊は格好良かったです。

    

    

女性の舞踊も綺麗でした。それにしても無料でショーが見れてラッキーでした。

 

司馬遷の『史記』によると、この陵墓の地下には宮殿があるそうです。

天井には天文図が描かれ、底には水銀で川や海が造られているそうですが、

発掘されていないため、もちろん見ることは出来ません。

 


 

 【 西安 → 宝鶏〔ホウケイ〕 】

バスで西安駅に戻ったのは5時頃でした。今日のうちに170㎞西の宝鶏まで移動します。

  

軟座(1等席)を要望したものの、軟座が無いのか?満席なのか?硬座(2等席)しかないと言われました。

しかも1時間半待ち、駅前広場で本を読んだりして時間を潰しました。

このホットコーヒー、つぶつぶのナタデココが入ってるんです。恐るべき食文化の違い!

 

西安から宝鶏への2時間半の列車の旅は最悪でした。

通路もデッキも人であふれ、自分の席まで行くのを諦めようかと思ったほどでした。

それでも頑張って中に入っていくと、指定の座席に勝手に座ってる奴が居ました。

どかして座りましたが、3人掛けの真ん中という窮屈な席でした。

そして車内が暑いのなんの、エアコンのない車両でサウナみたいでした。

 

でも正面に座っていた女性が素晴らしく美人で、目の保養になりました。

そして隣りの女性は、宝鶏への到着時間を訊ねると、わざわざ携帯で調べて教えてくれました。 

最悪ではなかったかもしれません。

 


 

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