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シルクロード歴史紀行Ⅱ 宝鶏 宝鶏 ( 五丈原諸葛亮博物館 → 釣魚台風景区 ) → 敦煌 2011年10月
宝鶏は、周王朝や秦の発祥の地ですが、目立った観光地はほとんどありません。 当初は、西安から敦煌行きの列車で通過する予定でしたが、 近くに『三国志』で有名な五丈原〔ゴジョウゲン〕があることを知って、出発前に急きょ予定を変更しました。
【 錦江之星 】
全国チェーンのホテルで、安くて広くて綺麗でした。昨日からホテルにはツイでます。 35$(1$=77円) 朝食は18元でバイキング、お腹一杯食べました。
【 五丈原諸葛亮博物館 】 『三国志』ファンなら誰もが知る、クライマックスの五丈原、諸葛孔明終焉の地です。 ここまで長い階段があるのですが、タクシーで上まで来てしまいました。
五丈原からの展望 足元はトウモロコシだらけ!
時は西暦234年、諸葛孔明率いる蜀軍はここ五丈原に布陣して、司馬懿仲達〔シバイチュウタツ〕率いる魏軍と対峙しました。 蜀軍の再三の挑発にも魏軍は応じず、対峙すること100日余り、諸葛孔明は陣中で病没してしまうのです。 蜀軍は撤退、魏軍はそれを追撃しましたが、蜀軍が孔明の人形を使って反撃の形勢を示した事で、 仲達が慌てて軍を退いたことは、「死せる孔明、生ける仲達を走らす。」で有名です。 また、蜀軍撤退後の陣営跡を視察した司馬懿仲達が、「まさに天下の奇才」と感想を漏らしたことも有名です。
五丈原諸葛亮廟 『三国志』の史跡を訪れるのは初めてで緊張しました。20元
山門の裏側には、馬岱〔バタイ〕と魏延〔ギエン〕の像がありました。 孔明に愛された馬岱はいいとして、蜀軍の結束を乱した魏延の像は要らないと思います。
拝殿の中は土産屋です。その奥では岳飛の書の「前出師表」「後出師表」の拓本を取る作業をしていました。 ※「前出師表」「後出師表」・・・孔明が出陣する際に皇帝に奏上した文章で、名文として名高い。
左は中庭の八卦亭 右は八卦亭からの正殿 正殿の中に祭られている諸葛亮 人形の顔が金色で「何これ」って感じでした。
蜀軍の陣営跡が残っていたら最高なんですが、もちろん残っていませんでした。
【 釣魚台風景区 】 太公望と呼ばれる周の賢人ゆかりの地です。50元
オブジェがたくさんあります。
太公望の呼び名はたくさんあって、石碑の「姜子牙」も門の「姜太公」も太公望のことです。 ちなみにウィキペディアで調べると、 「姓は姜、氏は呂、名は尚または望、字は子牙または牙。 謚 は太公。斉太公、姜太公とも呼ばれる。」 と書いてあって何が何だか分かりません。
殷の紂王〔チュウオウ〕に仕えていた太公望は、紂王が暴君と化したために、隠居して釣り三昧の日々を過ごしました。 周の文王は、釣りをしている老人を大賢人と見抜き、周の軍師として迎えました。 太公望は、優れた軍略をもって強国の殷を倒し、周に覇をとなえさせました。 これが『史記』にある太公望の話です。
右の写真の岩が、太公望が毎日釣りをしていたという釣魚台。
衣装を借りて、太公望になることができます。 上流にはこんな巨石がありました。
【 宝鶏駅 】 タクシーでホテルを出たのが8時、宝鶏駅には予定通り12時に着きました。 メーターは276元、高速道路代と2か所の駐車場代を含めて、全部で300元払いました。
右は、お好み焼きならぬ、お好み揚げですね! 食堂車を楽しみにしているので、これは食べませんでした。
大きな駅だと軟臥(1等寝台)客専用の待合室があるそうですが、宝鶏駅にはありませんでした。
中国では、飛行機のように列車ごとに改札が行われるので、まとまってゾロゾロとホームに入っていきます。
そして車両ごとに車掌が居るので、切符を見せて乗り込みます。 宝鶏発13:05、敦煌到着は翌朝9:30、20時間半の旅の始まりです。
【 敦煌行き K591 】
これが軟臥(1等寝台)です。2段式の4人部屋になっています。 昼間は車窓を楽しみたいので、下段を取りたかったのですが、残念ながら上段しか取れませんでした。 でも幸いなことに、日が暮れるまで貸し切りだったので、しっかり車窓を堪能できました。
子供みたいに探検です。 廊下、トイレ入ってますのランプ、折りたたみ椅子。
洗面所、灰皿、そして車掌さんに頼んで記念写真を撮ってもらいました。
探検に満足してから食堂車に行くと、なんと営業時間は13:30で終わっていました。 さっさと行けば食べれたのに、、、仕方なしにワゴン販売でカップラーメンとコーラを買いました。10元 右の緑のカードは、車掌さんから乗車券と引き換えに渡されるカードです。 降りる駅が近づくと、また車掌さんが来て、カードと乗車券を交換してくれます。
左は2等寝台の硬臥、3段式で最上段はかなり狭そうです。右は綺麗に片付けられた食堂車。
車窓① 田畑が広がっていますが、緑は薄く、とても痩せた大地です。
車窓② 日が傾いてきた頃の車窓は、ますます緑が薄くなっていました。
18時頃、営業の始まった食堂車に行きました。 ところがそこで、写真を撮るなと注意されてしまい、料理の写真を撮れませんでした。 失意の中、回鍋肉と御飯を食べました。35元で美味しかったです。
蘭州〔ランシュウ〕着18:46、13分停車するので、ホームに出て酒とつまみを買いました。22元
ここでようやく下段に乗客が入ってきたのですが、英語を話せる若いカップルでした。 しかも私の事をとても気にかけてくれて、うづらの卵のつまみを買ってくれたり、 チョコレートをくれたり、夜食には持参したすっぱい麺を分けてくれました。 さらに翌朝には、食堂車で朝食をご馳走してくれました。
お互い英語が堪能ではないので、筆記を交えながらのコミュニケーションですが、 楽しい時間を過ごし、帰国してからもメールをやり取りする仲になりました。
朝起きると、風力発電の風車が見渡す限り並んでいました。 日の出 時刻は8時頃です。 その後は、この何もない景色がずっとずっと続きました。 定刻通りに敦煌到着、20時間半の鉄道の旅は終わりました。
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