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 アンダルシア紀行Ⅰ(グラナダ)

2007年6月

 

アンダルシアは、スペインを構成する自治州のうち、最も南に位置する自治州です。

約800年に渡るイスラム支配期の歴史的建造物が数多く残り、フラメンコや闘牛の発祥地でもあります。

およそ日本人がイメージするスペインは、このアンダルシア地方だと思います。(でもパエリアは違います。)

妻とロンドン在住の友人を伴った、わずか3日の旅ですがご紹介します。

 


 

 イギリスはロンドンのスタンステッド空港から、スペインのグラナダ空港まで、ライアンエアーを利用しました。

ライアンエアーは世界一安いと言われるヨーロッパ最大の格安航空会社です。

アジアでも、エアアジアやセブパシフィックなどの格安航空が有名ですが、閉鎖的な日本では馴染みがありません。

 

まず、自由席なので、窓側に座りたければ搭乗時間前から搭乗口に並ばなければなりません。

そして座席間隔が狭いうえ、前方に詰めて座らされます。(清掃時間短縮のためでしょう。)

機内サービスなど一切無く、飲食物はワゴン販売といった具合です。

 

21時のグラナダ空港 まだこの明るさです。

 

タクシーで市内へ移動してホテルにチェックイン、そしてまず近場のバル(居酒屋)に入りました。

 

有名なイベリコ豚の生ハムをつまみながら、シェリー酒を1本飲みました。

生ハムの味は甘くて独特です。シェリー酒は甘い風味だったような・・・

※ シェリー酒とは、アンダルシア州カディス県のヘレスという地域周辺だけで作られる特殊なワインです。

 

 夜の町を散策すると、あちこちで祭壇を作る光景を目にしました。

後で分かりましたが、次の日は聖体祭という宗教的祝日、これらはその準備だったのです。

  

聖体祭は移動祝日、キリスト復活の日から数えて9週目の木曜日だそうです。

 

ホテルの近くにあった数件のバルを当てにして戻ったところ、時間が遅くてみんな閉まっていたので、

仕方なしにケバブ(トルコ料理)でお腹を満たしました。でも美味しかったです。

  

それからワインバーで、スペイン産の赤ワインを2本飲みました。

 


 

翌日はまずタクシーで、白壁の住居が密集するアルバイシンに向かいました。

イスラム政権時代に発展した地区で、世界遺産にも登録されています。

アルバイシンのサン・ニコラス展望台から望むアルハンブラ宮殿

スペイン=イスラム建築の最高峰は、宮殿として見ても要塞として見ても、素晴らしく均整のとれた外観です。

  

 アンダルシアには、定住するようになったロマ族(ジプシー)が多いそうです。彼らもそうでしょうか?

  

【左】 家の壁に張り付くように立つ道路標識  【右】 白く輝くサン・ニコラス教会

   

 【左】 聖体祭のためか?営業してないレストラン 【右】 小柄な車体の路線バス もっと細い道にも入っていきます。

  

このモロッコ料理の店に入りました。

涼しい店内で熱くて甘いミントティーを飲んで、スペインに居ながらモロッコ気分を味わいました。

陽気な主人が勧める料理は美味しかったのですが、初めて食べたクスクスは私の口には合いませんでした。

    

城郭都市として設計されたアルバイシンは、路地が細く複雑に入り組んでいます。

  

イスラムには、ザカート(喜捨)といって、裕福な者が貧しい者を助ける教えがあります。水場の設置もザカートによるものです。

   

カルデレリア・ヌエバ通り モロッコや中近東の雑貨店が並び、ちょっとしたアラブのバザールです。

  

水タバコ 吸わせてくれる喫茶店がありましたが素通りしました。吸ってみたかったです。

  

【右】 アラブから技術を受け継いだグラナダの工芸品 寄せ木細工

 

 市街地では聖体祭の行事が行われていました。

   

正装して行進する人達は皆、大きな赤いロウソクを手にしています。

  

続いて現れるこの銀色の御輿がパレードのメインです。

  

アンダルシアの日差しは強いため、パレードの順路には日除けが設置されています。

  

 出店で賑わう広場 スペインらしい青と黄色を基調とした陶器が並びます。

 

強い日差しの下での行動は体力を消耗します。

疲れたので一旦ホテルに帰ってスペイン風に昼寝(シエスタ)をしました。

シエスタはスペインの公の習慣で、家庭に限らず個人商店から官公庁までが採用しています。

大体13時〜16時の時間帯は閉まってしまう店も多いのです。

 

さて、シエスタで体力を回復させてから、いよいよアルハンブラ宮殿に向かいました。

イベリア半島のイスラム政権は、711年のウマイヤ朝の侵入に始まり、1492年のナスル朝の崩壊まで、約800年続きました。

そしてこの期間のキリスト政権側の国土回復運動(再征服運動)をレコンキスタと言います。

レコンキスタにより、イスラム政権は900年代から徐々に南に後退を余儀なくされ、

最後の砦だったアルハンブラ宮殿の陥落でナスル朝は崩壊、ここでレコンキスタは終焉するのです。

 

アルハンブラ宮殿内は、区画がいくつかに分かれています。

まずは少し離れた所にあるヘネラリフェに足を運びました。

ヘネラリフェは「水の宮殿」と称される王族の夏の別荘です。

  

ヘネラリフェに至る道には水路が走り、樹木の手入れも行き届いて整然とした美しさがあります。

  

ポロの中庭 噴水の水しぶきに心が癒されます。写真では小さいですが、壁に這って咲いている赤い花が綺麗です。

谷の向こうのアルハンブラ宮殿が見えます。

  

【左】 午前中歩いたアルバイシンです。 【右】 山側には町を囲む城壁も残っています。

  

アセキアの中庭 この中庭がヘネラリフェの中心になります。

果実が成り、花が咲き、強い日差しの下で水と緑が共演します。

2階の回廊から見下ろしたアセキアの中庭の全景 天国のような印象を受けます。

 

ヘネラリフェを辞して宮殿中心部に向かいます。

  

【左】 森にリスがいました。 【右】 修道院を改築したホテルが敷地内にあります。いくらするのでしょうか?

  

 【左】 手前がカルロス5世宮殿、奥の建物はサンタ・マリア教会です。 【右】 ブドウ酒の門(だと思います。)

 

西端は軍事要塞アルカサバ、ローマ時代からあった砦の跡に築いたそうです。

 

武器庫や食料庫の跡でしょうか?

  

【左】 ベラの塔  【右】 アルカサバ北面 これは侵入不可能です。よじ登ったら格好の標的になってしまいます。

 

ベラの塔よりカテドラル(大聖堂)を望む

 ベラの塔から見下ろすアルバイシン 右上にサン・ニコラス教会があります。

 

 次はいよいよ、アルハンブラ宮殿の心臓部にあたるナスル朝宮殿です。

カスティーリャ王国に代表されるレコンキスタにより、多くのイスラム政権が滅びゆく風雲の中、ナスル朝政権は誕生しました。

ナスル朝は1232年から1492年の260年間、イベリア半島における唯一のイスラム王朝として栄え、

そして終焉の美を飾るかの如く、要塞であるアルハンブラ城に王宮を造ったのです。

最高峰のイスラム芸術により、幻想的な世界が展開するナスル朝宮殿の内部は、

あまりの美しさに「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とさえ言われたそうです。

 

 しかしここで、大失態が発覚しました。

ナスル朝宮殿には、入場時間が決められていたのです。

目玉を最後に残してのんびり観光していたので、その時刻を大幅に過ぎてしまいました。

でも入れてもらえるだろうと入口の列に並んだのですが、入れてもらえませんでした。

諦めきれず、英語の達者な友人に交渉してもらいましたが、ダメでした。

オーマイガー!! 何という事でしょう。

グラナダまで来て、アルハンブラ宮殿まで来て、ナスル朝宮殿に入らないとは、

奈良に行って、東大寺に行って、大仏殿に入らないようなものです。

こんな失態は初めてで、途方に暮れました。

 

失意の中、カルロス5世宮殿を見物してアルハンブラ宮殿を後にしました。 

カルロス5世宮殿 建物は四角いのに内部は円形になっています。

 

市街地に戻り、カテドラルの前のカフェで残念会です。

すると偶然にも、聖体祭の行事が始まるようで、辺りが段々騒がしくなってきました。

 

やがてカテドラルから、大きな山車が姿を現しました。

実物大で何かの場面(最後の晩餐でしょうか?)を表現した壮麗な山車です。

  

ゆっくりとゆっくりと近づいてきます。

  

そして目の前まで来た時、下に足が見えました。中に人が入って担いでるんですね。

  

山車は市街地に繰り出して行きました。

 それにしても、たまたま訪れた日が聖体祭で、こんな行事が見れた事は本当にラッキーでした。

  

 

 日が暮れてから、フラメンコを観に行きました。

アルバイシンとアルハンブラ宮殿の間の谷にある洞窟を利用したフラメンコ劇場です。

フラメンコなど、興味なくて観たことなかったのですが、

力強い踊りと強烈なステップの音に、すっかり感動してしまいました。

 

フラメンコについて調べると、その歴史には不明な点も多いらしのですが、

前述したレコンキスタで追われたイスラム教徒やロマ族の影響が無視できないようです。

フラメンコが表現する物悲しさは、追放令で故郷を追われたイスラム教徒の望郷の想い、

キリスト教に改宗して残った人たちが、かつてのイスラム栄光時代を尊ぶ想い、なのでしょうか?

歌詞が分からない私は、そんな事を思うのでした。

 

 帰りにバルを2件ハシゴしました。

顔が写っているので写真は載せれませんが、妻はサングリアを飲みました。

※ サングリアとは、赤ワインを甘いソーダやオレンジジュースで割って、たくさんの果物を入れたスペインの飲み物です。

  

 肉屋ではありません。イベリコ豚の燻製がズラリと並んだバルの店内。

 

     

夜のグラナダ市街

 


 

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