このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください






- 明日香村 歴史の旅 -
(1999年03月21日〜22日)


明日香村 春の石祭り┃新横浜→京都→飛鳥…明日香村

今回の旅行は「研修」の目的で、うちの中学校が主催したものである。しかしのんきな中坊に研修などという堅苦しい雰囲気などまるでなく。僕たちは全くの観光気分で新幹線ひかりに乗り込んだ。

久しぶりのひかり号とあって気分はハイである。友人としゃべりながら東海道を駆け抜ける。空が曇っているので富士山はさっぱり見えない。そういえば以前乗ったときも見えなかった。どうも富士山に縁がない様だ。

京都駅に到着し、近鉄京都線に乗り換える。車両は近鉄自慢のビスタカーで、4両のうち中2両が2階建てになっている。京都駅を滑り出し、住宅の中を走りぬける。

だんだんと車窓には田園風景が広がるようになり、そのうち終点の橿原神宮前に到着。途中、大和西大寺と大和八木の2駅にしか停まっていない。ここで吉野線に乗り換えて2つ先の飛鳥駅で下車した。

本当はここからレンタサイクルで史跡を回る予定だったのだが、雨のため徒歩で移動することに。ちなみに、何年か前の旅行では100人近くがチャリに乗って走っていたらしい。正直、不気味すぎる。

駅近くの博物館のようなところで少し案内を見た後、明日香村を徒歩で散策する。途中に「鬼の雪隠(せっちん)」と「鬼のまな板」といわれる石があった。もとは雪隠がまな板の上にのっていたそうだが、大雨で雪隠が流されたらしい。トイレがまな板の上に載っていたというのもおかしな話ではあるが。

その後小雨の降りしきる中を歩き、石舞台古墳に到着した。蘇我馬子の墓とも言われている。中に入ることもでき、内部の高さは5メートルくらいあって広々としている。さりげなく花が生けてあったのが印象的であった。

明日香村はひたすら"緑"が目に付く。それは田んぼの緑であり、小高い丘の緑でもある。本当に静かで、ゆったりとした時間の流れる歴史のあるところだというのが、僕の明日香村に対する印象である。

しかしただの丘だと思ってみていたものが実は古墳だったり、酒船石や閻魔地蔵など突然妙な石像が現れたりと、ミステリアスな雰囲気に包まれたところでもある。今後も様々な発見がなされていくだろう。そして明日香村は、これからも古代史のロマンに満ちた村であり続けるに違いない。

そんな不思議な雰囲気に触れることができただけでも、ここに「研修」にきた甲斐があったというものだ。


結構速いです
▲近鉄の特急ビスタカー


鬼さまが料理するところ
▲鬼のまな板


鬼さまが用を足すところ
▲鬼の雪隠


裏側からのアングル
▲石舞台古墳 裏側から


千と千尋?
▲閻魔地蔵(複製)
…ちなみに、この後3日ほどかけて奈良の寺などを散策したのですが、あまり記憶に残ってないので公開はしないでおきます。すみません。まあそれだけ明日香村の印象が強すぎた、ということで…

 - 今回の旅の経路 -
新横浜→(東海道新幹線)→京都→(近鉄特急)→橿原神宮前→飛鳥…明日香村めぐり

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