このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 



1.迷える子羊


深夜1時過ぎ—

都内の私立高校の校舎屋上から琢磨逸郎は下を覗き込み迷っていた。

「ここから飛び降りたら本当に楽になれるだろうか…?」

フェンスを乗り越え、屋根の淵に立ってはみたものの、あと一歩踏み出す勇気が出ないのだ。

逸郎は迷いながらも今までのことを思い返していた。

−琢磨逸郎は名門の大事な一人息子である。

彼の亡くなった祖父・逸善は戦後日本の礎を作った大物政治家だったし、その息子

つまり彼の父は国立医科大学において教授を務め、循環器病手術においては

世界で5本の指に入る腕を持つ有能な医師でもある。

そんな家に生まれた逸郎は、小さい頃から厳格な祖父や父から

「琢磨家の男児は誰よりも強く優秀でなければいけない」と躾された。

物心ついたころから剣道や英語教室、小学校に入ると専属の家庭教師が付き

学校から帰ってから晩御飯の時間までみっちりと勉強をするという普通の子供では

考えられない日々を送ってきた。

そのかいあって都内で一番の有名大学進学率を誇る高校に入学できた。

そして今までつくれなかった友達もようやくできたのである。

和泉修一。

逸郎にとって初めての友達で、親友だと思っていた。

だが、その友情も裏切られることになった。

実は修一は中学時代からイジメを受けており、それが高校になっても続いていて

修一はそれから逃れるために逸郎をイジメっこグループへの“生贄”に差し出したのである。

修一より“金持ち”であった逸郎はたちまちイジメっこたちの格好の餌食となった。

他の私立高校の生徒であるイジメっこ(遠藤、南出、小池、藤本)の4人組はほぼ毎日逸郎の

高校の前で、帰り際の逸郎を待ち伏せして連れまわし財布代わりにするのである。

もしそれを拒めば“親友を裏切るのか”などと言い暴力をふるってくるのである。

遠藤たちの要求は、最初はハンバーガーをおごれだのマンガを買ってくれだのかわいいものであったが

逸郎の「財力」が豊富なことを知るとその要求もエスカレートしていった。

そして今日、遠藤は逸郎に30万近くする高級腕時計を要求したのである。

もちろん逸郎にそれだけのお金は無い。

「それだけは無理だ」と拒んだ逸郎に、遠藤たちは信じられないことを言った。

「親の金をくすねてこい」

その要求に明日応えなければ、“親友を裏切った”ということで罰を与えるというのである。

逸郎には親の金をくすねる勇気もないし、もしもそんなことがバレれば厳格な父に殴られるのは

火を見るより明らかであった。

だが要求に応えなければやはりボコボコにされるのである。

もはや進退窮まった逸郎の選んだ道は、自殺によって苦しみから逃れる道であった。

だが、本当にそれでいいのだろうか?ここに来て逸郎は考え直すことにしたのである。

いっそのこと父親に泣きつくというのはどうだろうか?

恐らく父は彼のことを叱るだろう。

イジメに屈するというのは「弱い」ことなのだ。

だが相手は4人である。

たった一人の逸郎になす術は無かった。

せめて剣道ではなく空手とかを習っていれば、喧嘩しても勝てたかもしれない。

それに父親に叱られても、その苦しみはほんの一時のことなのだ。

「よし、そうしよう」

逸郎はそう呟くときびすを返し、フェンスに足をかけた。

父親に助けを求める。

そう心に決めたとたん、何か軽くなった気がした。

そうだ何も死ぬことはない。

悪いのはあいつらなんだ…

そう思いながらフェンスを乗り越えようとした瞬間だった。

かけた足が滑り、逸郎の体は空中に投げ出された。

「そんな…」

色んなことが頭をかけぬけ、それをはるか上に置き残した感じで

目の前が真っ白になりそしてとてつもない衝撃が全身を貫いた。

そして完全な闇が逸郎を包み込んだ。


逸郎が目を覚ますとそこには父親と母親、そして医者が彼の顔を覗き込んでいた。

「…よかったですね、琢磨さん。」

そう医者が言うと両親ともうなづき、頭を下げた。

母親は涙を流している。

「自殺なんてバカな真似をしおって!…心配したんだぞ」

そう言うと父親は笑い泣きで逸郎の顔を見た。

あの状況では結果的に自殺と思われて仕方ないだろう。

だが父親はそんな逸郎を叱らずに優しくなぐさめてくれたのである。

逸郎は父親に今までのことを全て話した。

父は怒ることなく彼の話を聞き

そして「後のことは父さんに任せなさい」と言ってくれたのである。

逸郎の怪我は医者の見解では全治3ヶ月ということであったが

逸郎は驚異的な回復を見せわずか1ヶ月で退院することができた。

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