優人がもうすぐ5歳になるある日のこと−
一人でパズル遊びをしていた優人が急にかんしゃくを起した。 うまくピースをつなぐことができないのである。 組みかけたパズルをくずし、手当たりしだいに投げ始めた優人を優子は叱ることなく、優しく抱きしめた。 だが−優人の手が母の腕に触れたとき、その箇所から灰が流れ落ちたのである。 「きゃーーっ!」 急な出来事に優子は驚き、気付けば優人を突き放していた。 「ママ…?」 優人は大好きな母親に乱暴に突き放されたことに驚き泣きながら優子の顔を見ていた。 我に返った優子だったが、部屋を見回してみると、優人の投げたパズルのピースが消え その代わりに小さな灰のかたまりが散らばっていた。 「…ごめんね…優人、ごめんね…」 優子は泣きながら優人に謝った。 だが彼を優しく抱きしめることはなかった。 優人の5歳の誕生日。 その日は平日だったが、父・寛人は有休を取り優人の誕生日を祝おうと言い 「今日は好きなものを買ってやるぞ!好きなもの何でも食べていいからな?
それで優人の大好きなあの公園で遊ぼう!」と優人に笑いかけた。 大好きな公園−それは3歳のとき初めて家族で訪れた海辺にある公園だった。 ブランコやすべり台、ジャングルジム…そして何よりも気持ちのいい潮風が心地よくて 優人はその場所がとても好きになった。 寛人の運転する車で郊外の大きな玩具屋に向かい、優人はそこで大きなヌイグルミを買ってもらった。 両親は男の子なのに変な子と笑ったが、優人は抱き心地のいいヌイグルミを選んだのだ。 あの日以来、大好きな母親が抱きしめてくれることがなかったから−。 ファミレスでは大好物のハンバーグとミートスパゲティを食べた。 そして心待ちにしていた海辺の公園についた。 優人は大きなヌイグルミを両手に抱え、両親と共に公園のベンチに座った。 別に遊具で遊ばなくても、優人はこうやって潮風に当たっているだけで満足だった。 「それじゃあ、何か飲み物買ってくるね。」 寛人がそう言うと 「あっ、一人で持てるかしら?私も一緒に行くわ。優人はここでいい子で待っていてね。」 と微笑み、二人は飲み物を買いに行った。 優人は少し不思議に思った。 いつもならパパだけで行くのに…どうして二人で行くんだろう? だがその疑問も気持ちのいい潮風に吹かれているうちに消え去った。 しかし、どれだけ待っても二人が戻ってくることはなかった。 「どうしたんだろう、パパとママ?」 いつしか真上で輝いていたお日様もかたむき、向こうの海に沈もうとしている。 それなのに一向に二人は戻ってこない。 優人は心配になったが、「いい子で待っていてね。」という母親の言葉を信じ じっとヌイグルミを抱きしめ待った。 やがて日は沈み、すっかり周りは暗くなっていた。 誰もいない公園で、優人は寂しさと寒さに震え、ただ泣いていた。 抱きしめたヌイグルミの顔が優人の涙ですっかり湿っていた。 どれくらいの時間が経ったのだろう。いつしか泣きつかれ眠ってしまっていた 優人の名前を誰かが呼んだ。 「ママ!パパ!」 その声に気付いた優人はそう言いながら目を覚ました。 だが彼の目に見えたものは果てしない闇と、その中に浮かぶ影であった。 闇の中に浮かぶ影−それは普通ならあり得ないことだろう。 だが優人にははっきりとその闇と影の境が確認できた。 そしてその影は巨大な怪物のような姿をしていた。 そしてその顔らしき箇所に灰色の光りが二つ、目のように光り優人を見つめていた。 優人は不思議とその影を恐いとは思わなかった。 逆に何故か懐かしくさえ思えた。 「優人」 また影がそう呼びかけた。 その声は聞いたことのある声だった。 パパが録ってくれた自分の映っているビデオから聴こえた自分自身の声だったのである。 「誰?君は誰なの?」 優人は影に問いかけた。 「僕…僕は君だよ。」 影はそう答えると少し笑ったように見えた。 「君は僕…?ねぇ、パパとママはどこ行っちゃったの?」 優人は自分だと言うその影に聞いた。 「パパとママ…もうパパとママは帰ってこないよ…」 影が答えた。 今度は少し悲しそうな顔になったように見えた。 「どうして…どうしてパパとママは帰ってこないの?」 優人はまた泣きそうになった。 「…僕は…パパとママに捨てられたんだ…」 影がそう答えた。 「嘘だ!…パパとママが…そんな…」 優人はそう言うと泣きはじめた。 「…パパとママはね…僕が恐かったんだよ」 影はそう言った。 その声には何か優しい感じがした。 「恐い…どうして、恐いの…」 優人は泣きながら聞いた。 「…僕は誰よりも強いから…それが恐いんだよ…」 影が答える。 「…誰よりも強い…?」 優人の涙が少し止まった。 「そう…だからもう泣かないで…僕は世界で一番強いんだ…
パパとママが居なくても大丈夫…僕は一人で生きていけるから…」 影はそう言うと優人を抱きしめた。 その感触はまるで母親のようだった。 「そう…僕は世界で一番強いんだ…」 優人はそう呟くと微笑んだ。 やがて空が白みはじめ、朝の光が海辺の公園を照らし出した。 そこには何も無かった。 ベンチもテーブルも、すべり台もブランコもジャングルジムも… 全ては跡形も無く消え去り、ただ潮風に灰が舞うだけだった。 朝日を背に優人は一人歩き始めた。 その後に続く影−その影は小さな体からは想像もつかない大きなものであった。 その形はまるで彼が闇の中で出会った影のようだった−。
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