このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



1.朝のラッシュにて


「千駄ヶ谷ぁー、千駄ヶ谷ぁー…」

JR中央線・千駄ヶ谷駅−朝。

村上峡児は人に押されながらホームへ降りた。

“相変わらず東京は人が多い…”

そう心の中で呟きながら、先週まで居た神戸を懐かしく思った。

同じ朝のラッシュでも東京と神戸では人の数に格段の差がある。

“皆、正義の顔をして我先に生き急いでいる”

駅の階段を降りながら村上はいつも考えることを頭に浮かべていた。

“この中でいったいどれだけの人間が必要な存在なのか?”

誰もが目的地に向かって急ぎ足で歩いていく。

周囲の人間や止まっている人間など彼ら彼女たちには、ただ単なる障害物でしかないのではないか?

「キャッ」

村上の前方で女性が階段から落ちそうになった。

村上はとっさにその手を掴み、彼女が転がり落ちるのを防いだ。

それでも周囲の人々は少し二人を見るだけで、足早に改札へと向かって行った。

中には邪魔だと言わんばかりの表情をしながら見てくる者もいた。

村上はそういった視線に対して嫌悪感を抱き、少し険しい表情になった。

「あの…」

女性の声にふと村上は我に返った。

「ありがとうございます。私、そのドジなもので…」

そう言うと女性は照れくさそうに笑った。その顔がとても愛らしい。

「いえ、これだけの人の数ですから仕方ありませんよ。何事もなくてよかった。」

そう言うと村上は軽く会釈をしてその場を後にしようとした。

「あっ、あの…」

そう言うと女性は村上の胸元のバッジを指さした。

村上のスーツには共栄メディカルコーポレーションの社員章であるバッジが付けられていた。

「私も…」

そう言うと女性もスーツに付けたバッジを村上に見せた。

彼女の胸元にも共栄メディカルコーポレーションのバッジが付いていた。

「あぁ、同じ会社の…」

そう言うと村上は少し可笑しく思った。

共栄メディカルコーポレーションといえば、薬品業界でもトップの会社で東京支社だけでも

社員数はかなりの数になる。

その会社はこの千駄ヶ谷にあり、社員のほとんどが通勤に電車を利用している。

だから別に駅で同じ会社の人間に出会うことなど珍しいことではないのだ。

だが、どうもこの女性はそれが嬉しいらしかった。

「そうです!あの私、新薬開発プロジェクト部の鬼塚華菜絵と言います!」

そう彼女が自己紹介した頃には二人とも改札を通り抜けていた。

「えっ…」

村上は彼女の所属している部署を聞いて少し驚いた。

「新薬開発プロジェクト部所属の方でしたか、それは偶然ですね。

実は私、今日からそちらに配属された村上峡児と言う者なんですよ。」

と村上は自己紹介した。

それを聞いて華菜絵の顔がますます嬉しそうになった。

「えっ、そうなんですか!?あの、話は聞いてたんですけど…

あなたが本社からいらっしゃる村上さんだったなんて、すごい偶然ですね!でも、よかった…」

そう言うと華菜絵は少し笑った。

「何がです?」

村上はわからないという感じで華菜絵に訊ねた。

「気難しそうな人じゃなくて、よかったなぁと思って」

そう言うとまた華菜絵は嬉しそうに笑った。

「はぁ?そうですか…本社ってそんなイメージありますかね?」

村上は苦笑した。

「ところで…」

「はい?」

今度は村上から話を切り出した。

「川淵係…いや部長はお元気ですか?」

「部長ですか?えぇ、元気ですけど…
 あっ、そういえば村上さんって昔、部長の部下でいらっしゃったんですよね?」

「はい。川淵部長にはとてもお世話になって…。私の恩師なんですよ。」

そう言うと村上は少し考えるふうな顔になった。

「そういえば部長も村上さんが戻ってくるって喜んでましたよ。」

村上の表情に気付くことなく華菜絵は話した。

だが村上にはその言葉も聞こえていなかった。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください