このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



2.村上の憂鬱


7年前−村上は国内の名門高校とアメリカの大学を卒業した学歴を買われ

共栄メディカルコーポレーションに入った。

そして彼が最初に配属された東京支社の営業課で、上司だったのが川淵だったのである。

村上は川淵から営業のノウハウから、社会人としての常識や生き方を教わった。

川淵の真っ直ぐで潔い考えと生き方に村上は共感し、一人の人間として川淵のことを尊敬していた。

5年前、村上は業績を認められ本社への配属が決まった。

それは栄転であったが尊敬する上司の下を去るのは少し寂しかった。

だが、川淵はそんな村上を知ってのことか、ことさら明るく彼の栄転を喜び見送ってくれた。

それが村上にとって何より励みになり、背中を押しくれる人のありがたさを感じた。

現在−村上は本社の公安内部監査部に所属していた。

もちろん、それは秘密裏なことである。

そして今回の東京支社転勤はその公安内部監査部の仕事でであった。

その業務内容とは、東京支社新薬開発プロジェクト部内の使途不明金の使い道と

裏ルートとの繋がりがあるという噂の真相を探ることであり、その中心人物と目されるのが

他ならぬ川淵であったのだ。

つまり村上は社内スパイとして配属され、かつての上司の行動を監視するのである。

それが村上の心を憂鬱にしていた。

「あのー、もしもし…」

村上はまた華菜絵の言葉によって思考の世界から現実に引き戻された。

「あっ、すいません。ちょっと考え事をしていて…」

そう言いながら村上は頭をかいた。

「フフフ、おかしな人」

華菜絵がまた笑った。

それから二人は本社のことや、東京支社の新しい社員食堂のことなど止め処も無い会話をしながら

会社へと向かった。

「おぉー!村上君、久々じゃないか!」

満面の笑顔で川淵は村上を出迎えた。

「ご無沙汰しておりました川淵部長。今日からまたお世話になります。」

村上は頭をさげると微笑んだ。

「うんうん、まぁ硬い挨拶は無しとしようじゃないか!そうだな、まずは皆に紹介しなければな…」

そう言うと川淵は軽く咳払いをした。

「えー、皆。今日からうちの部署に配属となった村上峡児君だ。
 彼は元々私の部下だったがとても優秀な男でな。
 まぁ私が追い越されるのも時間の問題だが、ひとつ仲良くしてやってくれ」

言葉の後に豪快な笑い声で川淵が紹介の言葉を言う。

その笑い声を村上は懐かしく思った。

「今日からこちらに配属となりました村上峡児です。
 久々の東京支社で戸惑うこともあるかもしれませんが…皆さん、よろしくお願いします。」

村上はそうはっきりとした声で挨拶し、深々と頭を下げた。

新薬開発プロジェクト部の面々から大きな拍手が起きた。

ひときわ大きな拍手をしていたのは、今朝知り合った華菜絵であった。

村上の最初の仕事は、この東京支社の開発した薬品の勉強であった。

村上にとって新薬開発プロジェクトの仕事は初めてであり、それを知っている川淵の計らいである。

「村上さんは何にします?」

村上が資料に目を通しているとそう女性の声がした。

華菜絵である。

「うん?」

村上が顔を上げると丸いお盆を抱え、華菜絵が微笑む。

「コーヒー、紅茶、日本茶どれにします?」

華菜絵がまた訊ねた。

「あー、お茶汲みか…私はこれがあるから…」

と村上が机の上に置いているミネラルウォーターを指差した。

「あっ、それは冷蔵庫に入れておきますね。」

と手を伸ばしミネラルウォーターを取りお盆に乗せた。

「う〜ん、本社じゃお茶汲みはセクハラだって言われるけどね。」

そう村上は苦笑した。

「本社は本社、うちはうちです。お茶汲みは立派な私の仕事の一つなんです。」

華菜絵がきっぱり言い返した。

「それじゃあ…日本茶をもらえるかな?」

根負けしたように村上が答える。

「かしこまりました。」

華菜絵がニッコリ微笑み、顔を近づけると小声で

「今日は特別にお客さん用の一級品のお茶を入れますね。」

と言った。

「あぁ、よろしく頼むよ。」

と村上も小声で言った。

華菜絵はクスクスと笑うと給湯室へと消えていった。


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