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4.村上と華菜絵


梅津は毎日出社していない。

社員の管理表を見るといつも外回りになっていた。

村上はそれを不審に思っていた。

川淵と梅津…いいサンプルとは何の話なのか?

だが、そのことを調べても解らずじまいだった。

どうやら話は二人の間で進行しているようだった。

数日が経ち、朝に梅津が出勤してきた。

しばらく自身の机で書類をまとめると川淵のもとへと向かった。

「それではまた分所の方へ行ってきます。」

梅津が言った。

「あぁ、ご苦労だがよろしく。」

川淵が答えた。

「分所?」

初めて聞く言葉だった。

村上は梅津が出て行ったのを確認すると、席を立ち給湯室へと向かった。

そこでは華菜絵が皆のお茶を用意している。

「あっ、村上くん、何?」

歓迎会の席で村上が自分と同い年で、自分の方が少しお姉さんだということを知った華菜絵は

それ以降“さん”ではなく、“くん”で呼ぶようになった。

「いや、ちょっとこいつを取りに…」

と冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出した。

村上のペットボトルにはネームタグがぶら下がり、女性の字で村上と書かれていた。

「?」

他のペットボトルを見てもネームタグはついておらず、ただサインペンで各個人の名前が

書かれているだけである。

「あっ、それ私がしたの。わりやすいでしょ?」

華菜絵がニコッと笑う。

「あっ、あぁ、ありがとう。」

村上は少し照れくさそうに微笑む。

「あっ、そうだ。」

村上は本来の用件を思い出し口にした。

「ところで、さっき梅津さんが分所に行って来るって言ってたけど
 それってどういう意味かな?」

「分所?あぁ、何かね、部長と梅津さんと二人で新しいプロジェクトやってるみたいなんだけど
 うちの研究施設は他の人のプロジェクトで詰まっちゃっていて別のとこで研究してるみたいなの。」

華菜絵はそう答えた。

「へー、そうなんだ。新しいプロジェクトって?」

村上は華菜絵から新しい情報が手に入るかもしれないと思い、続けて質問した。

「さぁ、そこまでは知らないけど…どうして、そんなこと聞くの?」

華菜絵が村上に聞き返した。

「いや、なんとなくね。ありがとう。」

村上は給湯室を後にしようとした。

その腕を華菜絵が掴む。

“不審に思われたのか?”村上は少し不安になった。だが…

「ねぇ、村上くん、今日仕事の後空いてる?」

「えっ?」

華菜絵の言葉に村上は少しホッした。

「実はね、明日お父さんの誕生日なんだ。
 今年定年でね、だから何かプレゼントしようと思って…
 けど男の人って何あげたら喜ぶのかイマイチわかんなくて…
 そこで…村上くんに一緒に選んでもらえたらなぁって。
 ほら、村上くんって他の男性社員と違ってオシャレだし…晩御飯奢るからお願い!」

少し早口で華菜絵は村上に言うと両手を顔の前で合わした。

「そういうことなら、喜んで。」

村上はそう言うとニッコリと笑った。

「やったー!」

華菜絵ははしゃぐように喜んだ。


村上は華菜絵と会社のロビーで待ち合わせ、新宿のデパートへと繰り出した。

彼女の父親へのプレゼントを一緒に探す…村上は横ではしゃぐ華菜絵をとても可愛く思った。

「今日はありがとうね。」

高層ビルの上のレストランで華菜絵はそう言うとグラスを手にした。

「どういたしまして」

そう言うと村上もグラスを手にする。

「お疲れ様」

華菜絵がニッコリ笑ってそう言い、二人は乾杯した。

「でもいいのかな、ここ高そうだけど…」

出される食事を見て、村上が少し心配そうに言った。

「大丈夫よ、大丈夫。私だってそれなりにお給料もらってるんだから」

華菜絵が村上に顔を近づけて言う。

お互いの目が合った瞬間、二人ともふきだした。

「お父さん、喜んでくれるかな?」

空いた席にカバンと一緒に置いたプレゼントが入った紙袋を見つめて華菜絵が言った。

プレゼントの中身は村上と一緒に選んだ腕時計だった。

定年を迎え、新たな人生を歩む父に新たな時間を刻んで欲しいという娘の気持ちだった。

「うん、きっと喜んでくれるよ。」

村上がニッコリと微笑む。

「そうだよね。…お父さんね、いっつも私に“いい人はいないのか?”とか
 “早く結婚しろ”とか言うんだよ。
 一人娘で可愛いはずなのに。結婚なんかしたら泣くくせに…」

華菜絵はそう言うとクスクスと笑った。

「へー、そうなんだ。」

村上は何気なしにそうこたえた。

彼女のその言葉に対してどう言えばいいのかわからないし、自分の意見を言うまでもない。

「あっ…前から聞こうと思ってたんだけど…」

何か思い出したように華菜絵は話を切り出した。

「村上くんってね、いつも私に“他の人”のこと聞いてくるよね?」

村上はその言葉にドキッとした。

たしかに彼は内部調査のために、一番親しい彼女に部署の人間のことを色々と聞き情報を

集めていたのである。

「えっ、そうかな?」

村上はいたって平静に答えた。

「そうだよ…けど…どうして私のことは何も聞かないの?
 私のことも色々聞いてほしいな…。」

華菜絵は手元のグラスのワインを飲み干すと少し寂しそうな顔をした。

「えっ?」

村上が驚いた顔をする。

「あっ、ごめん!ごめんね、私ったら何言ってるんだろ、ちょっと酔っぱらちゃったかな?ハハハ…」

華菜絵は恥ずかしそうにうつむいてた。

村上はうすうす華菜絵の気持ちに気付いていた。

だからこそ、彼女に色々と聞いていたのだ。

そして村上自身も彼女と話すうちに、彼女への思いが募り始めていたのである。

だが、それと同時にひとつの罪悪感とひとつの真実に苛まれていた。

罪悪感とは“彼女の気持ちを利用しているのではないか”というもの。

真実とは、そのせいで村上は今まで人との深いつながりを避けていたものであった。

彼は内に得体の知れぬ“化物”の姿を秘めていたのである。

村上がその“化物”を確認したのは2年前の海外出張のときであった。


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