当時海外事業部に入っていた村上はアフリカにおいて、現地の森の木から取れる薬の原料を
抽出するための工場建設プロジェクトに携わっていた。 そして出張で赴いたさい、ハエによる伝染病で倒れ生死の境をさまよったのである。 奇跡的に回復した村上。 しかしそのころから彼は“灰色の化物”へと姿を変える能力に目醒めていたのある。 それはとても異様で醜い姿であった。 村上は自分の内なる化物を認識した時から人との深いつながりを持たないようになった。 誰にもその姿を見せたくないしその姿を見たらきっと誰もが自分から遠ざかり二度と 近寄ってはこない気がしたからだ。 それは華菜絵にも同じだった。 “もし彼女が僕の中の化物の姿を見たらどう思うだろうか?きっと拒絶されるだろう” そう思うのだった。 村上はその日、寮に帰ってからも華菜絵のことを考えていた。 Yシャツの袖のボタンを外そうとした時、手が止まった。 彼の袖には今日のお礼と、華菜絵がプレゼントしてくれた四つ葉のクローバーの カフスボタンが光っていた。 “愛おしい…” 村上の中で華菜絵への思いが一層強くなった。 彼はひとつの決心をした。 それは人間として当たり前のものだった。 その夜はいつも欠かさず行っていた石野への報告も忘れていた。
数日後の朝− 「鬼塚さん、今日の夜は空いてるかな?」 いつものように給湯室で皆のお茶を用意している華菜絵に村上は声をかけた。 「えっ?うん、空いてるよ。」 華菜絵はいつもの笑顔で返事した。 「そうか…よかった。実はさ、これのお礼に今夜映画でもどうかなぁって思ってね。」 村上は袖口のカフスボタンを華菜絵に見せながら言った。 「お礼のお礼って…アハハ、村上君っておかしい人」 そう華菜絵は笑った。 が、その顔には明らかに嬉しさを込めていた。 「そうかな…ハハ。ほらこの前観たいって言ってた映画。あれを観に行かない?」 村上は少し照れたように言った。 「うん!もちろんOKだよ。楽しみだねぇ。」 そう言うと華菜絵は鼻歌を歌いだした。 「ちょっと、ちょっと鬼塚さん、部長が呼んでるわよ。」 給湯室へそう言いながら女子社員が入ってきた。 二人の会話を聞いていたのか、少し虫の居所が悪そうな表情をしている。 「えっ、は〜い!」 華菜絵は村上に小さく手を振りながら、ご機嫌で出て行った。 村上も笑顔で小さく頷いた。 だが部長のもとへ行った華菜絵はすぐに浮かない顔をした。そして 「わかりました。」 と言うと残念そうな顔で村上の机までやって来て、村上の横にしゃがみ込んだ。 「あのね、村上くん、今日の夜部長が空いてるか?って…」 そう言うと華菜絵が少し恨めしそうな顔で部長を見た。 部長はご機嫌な顔をしている。 「それで?」 村上が聞く。 「なんかね、龍頭貿易の社長さんの接待に是非付き合ってほしいって言われたの…」 寂しそうな顔で華菜絵は村上を見つめた。 「そうなんだ…それじゃあ、仕方ないんじゃないかな?
うん、仕事だし、それに映画はいつだって観に行けるじゃないか?」 華菜絵の瞳にドキっとしながらも村上はそう華菜絵に言った。 「…う〜ん、そうだよね…よし、ゼッタイだよ、約束!」 華菜絵が左手の小指を村上にさし出した。 「えっ?」 村上は周囲を気にしながら華菜絵と“指きり”をした。 「よしっ!」 そう言うと華菜絵は立ち上がり給湯室へと入って行った。 村上はその背中を見送りながら、ふと考え込んだ。 “龍頭貿易…聞いたことあるような…” 村上は席を立つと部屋を出て、非常階段へと向かった。 そこで石野へ電話をかけた。
|