「全く、何だって言うのよ…!」
影山冴子は悪態をつきながら、夜の首都高を家へと車を走らせていた。 イラついた顔で冴子は車の助手席を見た。 そこには彼氏であった山岸の姿はない。 なぜならついさっきディナーをとったイタリアン・レストランで、山岸に別れを告げられたからだった。 楽しかったはずのディナーが、彼女にとってただショックなものでしかなくなった瞬間だった。 −私の何がいけないの?− 冴子は考えをめぐらせた。 彼の好きな香りの香水をつけ、髪形も彼の好きなものにしたし、彼好みの下着も買い揃えた。 毎朝二人分お弁当を作り、昼休みには仲良くそれを食べる− そんな冴子の行為を山岸は一言で片付けた。 「重い」 冴子の愛情が「自分には重すぎる」という理由で、山岸は一方的に冴子に別れを告げたのだ。 冴子にとって、好きな男性に尽くすことは彼女の一番の愛情表現であり またそうしていることで自分自身が幸せに感じていた。 だが、しかし今まで付き合った男のほとんどがその冴子の愛情を拒絶したのである。 色んな感情がこみ上げる。 悲しみ、怒り、苛立ち、憎しみ…彼女にとって自分を否定されることが最も屈辱的で 耐え難いことであり、そういったときには感情を昂らせ乱暴的な衝動にかられるのだった。 今も高速を、制限速度をはるかにオーバーしたスピードで走っている。 だがその感情の昂りのせいで彼女はいつものことを忘れていた。 このすぐ先にカーブがあることを。 人間というのは感情的になると普段の行動さえ忘れるものである。 そしてこのときの冴子もそうだった。
大きな衝撃のあと、彼女が目を覚ましたのは、集中治療室のベッドの上だった。 うっすらと開いた目に涙を流しながら彼女の手を握る母親と、その後で安堵の 表情を見せる父親の姿が映った。 「もう大丈夫です。しかし、正直今回は驚きました。
一時は心配停止でどうなるものかと思いましたが…いや、ほんとによかった。」 そう言う担当医に両親は何度も何度も頭をさげ感謝の言葉を繰り返した。 高速の壁に猛スピードで衝突した冴子の車は原型を止めないほどに大破し 冴子自身も後続の車の通報のおかげですぐに病院に運び込まれたが、そのときには心配停止に陥り もう助からないかと思われていた。 だが奇跡的に、心配が復活したため緊急手術が施され約1週間ぶりに彼女は目覚めたのである。 目覚めてからの彼女の回復ぶりは驚異的なものであった。 次の日には一般病棟に移り、複雑骨折だった両脚と右腕の骨も治り、臓器の損傷も目覚しく回復した。 常人なら数ヶ月かかるリハビリも、冴子はわずか2週間ほどで事故以前と同じくらい動けるように なっていた。 その回復ぶりを知るたびに、担当医は彼女に 「君は奇跡的な人だ」
「今までない事例だよ」などという賞賛の言葉を言ってくれたが それと同時にどこからか 「人間じゃないんじゃないの?」
「化物みたい」といった言葉も聞こえてきたのである。 しかもそういった言葉の方が多く、大きく、まるで耳のすぐそばで話しているかのように聴こえたのである。 冴子は事故の後遺症みたいなものかとも思い、担当医に相談したが 「入院のストレスのせいですよ。ゆっくり休んで元気になれば消えます。」と言うだけだった。 やがて冴子は退院して、しばらくは自宅療養をすることにした。 そのころには担当医の言うようにどこからともなく聴こえる罵声も無くなっていた。
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