このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 



2.噂


やがて気持ちも落ち着き、いつまでも会社を休んではいられないと冴子は仕事に復帰することにした。

会社には山岸もいるが、部署が違うので顔を合わすこともそうない。

もし出会っても軽く会釈をしてすませればいい。

今までの男のように。

実は冴子の社内恋愛は山岸が初めてではなかった。

今まで同じ会社に勤める3人の男と付き合ったことがある。

だから冴子は慣れっこだったのだ。

—あの事故は悪いことが重なったのだ。今まで通り、これからも普段通りにするだけ−

そういった思いで久々に出社した冴子。

周囲の人間も彼女の久々の出社を歓迎し、ねぎらいの言葉をかけてくれた。

光洋物産−

冴子の勤めるこの会社は主に世界中の名産品・物産品の輸入・販売を行うとともに

国内各地方のお土産などの企画開発をする大企業である。

冴子はそこの人事部でOLをしている。

仕事復帰した彼女は、仕事の感覚を取り戻すためまず各部署への書類配布を任された。

普段ならこの仕事は彼女の後輩のものであったが、ともかく会社復帰のリハビリとして

冴子は喜んで引き受けた。

海外事業部、企画開発部、営業部…各部署を周りテキパキと書類を配っていく冴子。

だが行く先々で、また彼女は例の“どこからともなく聴こえる声”を耳にするのだった。

—気持ちは復帰に喜んでいるのに、心の片隅にはストレスがあるのかも−

そう思い気を取り直し、廊下を歩いていたときだった。

「ねえねえ、知ってるぅ?」

「何々?」

「ほら、人事部の影山冴子、あの子復帰したらしいよ?」

「あぁ、あの年下好きの?」

「そうそう、海外事業部の牛島君に、営業部の西山君に、企画開発部の阿部君…
 あとは国内事業部の山岸君だっけ」

「しかも次から次へと手をつけてったって話じゃない?尻軽女ってああいう女のこと言うのよねぇ」

「え〜、よっしーだって三股かけてるって言ったじゃない、あんま人のこと言えないよ」

「あのね、私は本命の剛としかエッチしてないの、一緒にしないで」

「それもどうかと思うけど、キャハハ」

二人の女の会話がはっきりと聴こえてきた。

冴子は声の主を探した。

ふと廊下の先、角を曲がったところにトイレがあるのを思い出した。

次の瞬間には衝動的にその場所まで走っていた。

そうするとトイレの入口で二人組みの女とばったり鉢合わせになった。

冴子は二人に面識はなかったが、二人は冴子の顔を見るやとっさに顔をそむけ

「すいません…」と小声で言うと慌てて小走りで去っていった。

「今のって影山冴子じゃない?」

「うそ、ひょっとして聴こえたのかな?」

そうヒソヒソ話す二人の声も、冴子にはしっかりと聴こえていた。


昼休み−

冴子は屋上の一角、誰もいないベンチに腰かけひっそりとお弁当を食べていた。

幻聴だと思っていた声…だがしかし、それはどうやら彼女を悪く言う人間の本当の声だったらしい。

しかし何故あんな遠くからトイレの中の二人の会話が聴こえたのだろうか?

そして何故面識のない人間までもが私の社内恋愛のことを知っているのだろうか?

箸を置きゆっくりと目を閉じる冴子。その耳にさっきまでの色んな罵声が蘇る。

「何でもスゲー回復力だったらしいぜ?」

「ねぇねぇ、知ってるあのこ、山岸君にフラれて、そのショックで事故ったらしいよ」

「心配停止してたのに生き返ったって話らしい。超人的だって」

「自分より年下のイケメンばっかにちょっかい出してたみたいだぜ?相手は十数人だとか…」

「あのこ人間じゃないんじゃないの?」

「化けモンだぜ」

「次から次へと…こりない人よねぇー」

冴子の目に涙があふれる。

ひょっとしたら私はあの事故で死んでいたのかもしれない−

今ここにいる私は全く別の“何者か”なのかもしれない−

冴子は立ち上がると屋上の端、フェンスにしがみつき、眼下の光景を眺めた。

何も変わらぬ光景−だが自分だけは全く変わってしまったのかもしれない。

本当はあの時…

「無駄ですよ」

女性の声に冴子は感情の世界から現実へと引き戻された。

「自殺しようとしったって無駄ですよ」

そう言うとニッコリと微笑む女性−ブルーのタイトなスーツに身を包み

ブルーのアイシャドーに、銀のカチューシャをつけた髪の一部もブルーに染めている

−その女性がスマート・レディと呼ばれる、大企業スマートブレインのスポークスマンだということは

冴子もTVCMなどで知っていた。

うちの会社ってスマートブレインとの取引なんかしていたんだっけ?

それよりこの人、普段もこの姿なの?恥ずかしくないのかしら?

冴子の頭の中でそういったことが次々と浮かんだ。

「自殺…?何のこと、別に私はそんなこと…」

そう言う冴子の言葉をさえぎるようにスマートレディが口を開いた。

「影山冴子さん、あなたは今とても悩んでいます。
 例えば“何故遠くの、聞きたくない会話までもハッキリ聴こえるのだろう”とか
 “私はあの事故で死んだ人間なのだろうか?”とか…」

スマートレディが自分の名前を言ったことと、自分が疑問に思っていることをズバリ言い当てたことに

冴子は動揺した。

「な、何故私の名前を知っているの?それにまるで、その…」

冴子は動揺したままスマートレディに疑問の答えを訊ねた。

「フフフ…影山冴子さん、あなたは2ヶ月前の事故で“オルフェノク”になったんですよ。
 これはと〜ってもラッキーなことなんです。
 あなたの“異常なほどの聴力”も、そのオルフェノクの持てる特性の一つです。
 研ぎ澄まされた感覚が、あなたやあなたの周囲のことについて話す会話を
 遠くでもハッキリと聴き取るんです。」

そう言うとスマートレディは冴子に顔を近づけにっこりと笑った。

「…オルフェノク?何のこと?そんな言葉聴いたこともないし
 それに私はそんなものになった覚えはないわ!」

初対面の相手に対し、まるで全てわかりきったような感じで話す目の前の女性に対し

冴子は苛立ちと恐怖を覚えていた。

「そうですね、まずはオルフェノクについての簡単な説明が先でしたね、冴子さん。
 人間の中にはごくまれにオルフェノクという人類の進化形へと変化する者がいます。
 その確率はとても低いものですが…そしてその変化は一度死を経験することで現れる。
 あなたの場合はそれがあの事故だった。
 オルフェノクは人間をはるかに凌駕する能力を持っています。
 そう冴子さん、あなたにもその能力が備わっているのですよ。
 とてもステキなことだと思いませんか♪?」

そう言うとキャッ♪とスマートレディは両手を顔の前で開いた。

「バカバカしい!そんな話、信じると思う?悪いけど私忙しいの、それじゃあね。」

冴子はそう言うと機嫌の悪い顔でスマートレディの横を通り抜け

食べかけの弁当を片付けると屋上を後にした。

その時、たしかに後からスマートレディの声で

「また会いましょう、影山冴子さん♪」という声が聴こえた。

−ただのストレス−そう思い続けていた冴子だが、一向に彼女に対する悪口や罵声の“幻聴”は止まない。

最近ではそればかりではなく、そういったことを聴く度に暗い衝動が起こるのだった。

—自分のことを悪く言う者は許すな。殺せ−

冴子の出勤は1週間ほどで終わった。

「まだまだ本調子ではないので、またしばらく休養させてください」

という冴子の言葉に上司は嫌な顔をせず、快く許可してくれた。


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