ようやく気付いたころには、もう部屋の中も真っ暗になっていた。
時計を見ると20時を少し過ぎていた。 冴子は明かりをつけると恐る恐る鏡を覗き込んだ。 そこにはいつもの彼女の顔が映っていた。 「夢…そうあれは夢だったのよ。」 だがテーブルの上には、たしかにスマートレディが訪れた痕跡として 二つのコーヒーカップと余ったケーキの入った箱が乗っていた。 冴子はそれらを片付けようと思い、キッチンまで運んだが気がのらず 思いついたように着替えると部屋を後にした。 「久々にあのお店に行こう…」 冴子には、落ち込んだときや悲しいことがあったりすると必ず行くお気に入りのバーがあった。 そこで一人ゆっくりカクテルを飲み、そういったことを忘れるのが彼女のストレス解消法でもあったのだ。 店に入り、いつもと同じカウンターの一番端の席に座る。 顔なじみの彼女はいつも決まりがあるので、バーテンもあえて注文を聞かず オリーブ抜きのマティーニを出す。 この店で冴子が最初に飲むのはこのカクテルなのだ。 マティーニを一口含むと、冴子はしばし目を閉じ口に広がる味を楽しんだ。 久しぶりに心が落ち着いた気がした。 だが、その安らぎもすぐに打ち消された。 また彼女のことを悪く言う声が聞こえてきたのだ。 しかもそれは聞き覚えのあるものだった。 「おい、冴子のやつ全然会社へ来ないらしいぜ?」 「ああ、知ってるよ」 「お前があんなメール流せば、嫌でも噂話が耳に入るって…」 「ええ、俺のせい?」 「けど、そのつもりで流したんだろう、阿部?お前もひどい男だぜ…ハハハ」 「お前には言われたくないぜ、牛島。
お前なんか冴子のやつにさんざん貢がせておいて捨てたんだろ?」 「ゲームだろ、ゲーム。これで賭けは俺の勝ちだぜ。」 「ちぇっ、結局山岸の一人勝ちかよ。」 「西山、借金あっても賭け金1万はきっちり払えよ?」 そう、冴子のことを話していたのは彼女が過去に付き合った社内の 男性社員・阿部、牛島、西山、山岸だったのだ。 「ゲーム、賭け、メール?何のこと!?」 冴子は心の中で呟いた。 そして店内を見回す。 4人は彼女のカウンターから離れた、奥のテーブル席に座っていた。 まだ冴子には気付いてないようだった。 そして相変わらず彼女の話を続けていた。 「しかしよ、お前もかなりの悪だよな、阿部」 西山がそう言うとクスクス笑う。 「俺はよ、新入社員研修のときの恥じをあいつにも味あわせてやりたかっだけだよ。」 「そうそう、皆の前で俺たち4人を名指しして“その服装は何?あなたたちはホストしに入社したの?”
とか言いやがって。
ところが、その“ホストみたいなやつ”が声をかけたら嬉しそうに尻尾振りやがって…
まぁ、傑作だったけどなぁ」 阿部に続けて牛島がそう喋った。 「新入社員研修…」 そういえば…冴子はハっと思い出した。 たしかに研修のとき、彼女は新入社員全員の前で彼ら4人の服装について “まるでホストのよう”と形容し注意したことがあった。 まさかそのことを恨んで…冴子は信じられない、そんなバカなと何回も心の中で叫んでいた。 「けどよ、普通は思い出すよな?注意した相手が次々と声をかけてくるなんてよ?」 また西山はそう言うとクスクス笑った。
「もの忘れ激しいんじゃないの?それとも欲求不満だったたとか?」 そう言うと阿部は大声で笑った。 「でも事故ったのにはビビッたよなぁ」 そう山岸が口を開いた。 「お前が“予定通り”フッた日のことだったけ?相当ショックだったんじゃないの?」 牛島がそう言うと、山岸の顔を見ながらニヤリと笑った。 「何だよ、俺のせいであいつが事故ったみたいな言い方よせよ」 山岸は少し焦りながら言った。 「俺はそう思うけどなぁ?あいつってあんがい根に持つタイプのようだから…」 そう阿部が付け加えた。 「そうなると俺たち全員ヤバくない?」 そう言うとまた西山はクスクス笑う。 「大丈夫だよ、あれだけの噂話が流れたんだから、あいつももう会社には来れないよ。
このまま退職って感じだろ?そうなりゃ万々歳だな。」 そう言うと阿部はまた大声で笑った。 「山岸のおかげで事故って、ちょうどいい機会だったし…こりゃ山岸に感謝だな!?」 そう言うと牛島も馬鹿笑いした。 4人の一連のやり取りを聞いていた冴子の中で張り詰めていた一本の線がプツリと切れた。 冴子はお金を置くと黙って店を後にした。 誰にも顔を見られないようにして…
やがて店から阿部たち4人が出てきた。 冴子が立ち去ってから1時間くらい後のことだが 彼ら4人は冴子がこの店に来ていたことなど知らなかった。 時間は22時を少し回ったくらいだったが、路地裏にある店の周囲にはあまり人気はない。 「おい、明日は休みだしカラオケでも行こうぜ?」 ご機嫌な声で阿部が声をあげた。 「そうそう、どっかで若くてかわいい〜女の子捕まえてさぁ」 と牛島が話に乗る。 それに応え4人が“おぉー”と上機嫌で手をあげた。 「ねぇ、相手なら私がしてあげるわ?」 4人の後から一人の女性が声をかけた。 その声は4人に聞き覚えがあるものだった。 「あぁ?」 4人がいっせいに振り返る。 そこに立っていたのは冴子だった。
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