このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(このページでは昭和30年代から40年代にかけての東急の乗車券を紹介します。)
1.東急線内乗車券
![]() | 「洗足池→東急線10円」 昭和34年当時の普通乗車券。当然の事ながら硬券。 東急線内でも当時は地図式だった模様。 地図には鉄道線だった「砧」の文字もあり。 現「多摩川園」は「多摩川園前」だった模様。 |
![]() | 「奥沢→東急線10円」 昭和38年当時の普通乗車券。当然の事ながら硬券。 金額方式に変更された模様。 (保存状態不良) |
![]() | 「武蔵小杉→東急線50円」 昭和48年当時の普通乗車券。硬券。 上の乗車券と同様な形態。同時期は既に自販機や主流だったと思われる。 南武線との連絡改札口脇で発売されたものと思われる。 |
![]() | 「大岡山→東急線10円」 昭和39年当時の普通乗車券。硬券。 硬券を使用した自動券売機から発売された珍品。 東急では早い時期から、自動券売機の導入に取り組んだ模様。 |
![]() | 「荏原町→東急線20円」 昭和40年代前半の普通乗車券。軟券。 軟券を使用した自動券売機初期のもの。 位置決めのために、券両脇に小さな穴があるのが特長。 |
![]() | 「武蔵新田→東急線20円」 昭和42年当時の普通乗車券。軟券。 俗称「もぎり券」。 ”こどもの国”や”武蔵小杉(連絡窓口)”では昭和50年代ころまで。 みることが出来た。 |
2.連絡乗車券
![]() | 「奥沢→東急線/国鉄線40円」 昭和40年当時の国鉄連絡乗車券。当然の事ながら硬券。 国鉄線内は地図式で表記。 券右の「20」は」、国鉄線20円の意味。 |
![]() | 「荏原町→東急線/国鉄線40円」 昭和42年当時の国鉄連絡乗車券。当然の事ながら硬券。 国鉄線内は地図式で表記。 券右の「20」は」、国鉄線20円の意味。 |
![]() | 「田園調布→東急線/京王線50円」 昭和46年当時の京王線連絡乗車券。当然の事ながら硬券。 国鉄線が地図式表記だったのに対し金額式の表記。 当時は田園調布駅から京王線内への切符が買えた模様。 |
![]() | 「奥沢→東急線/国鉄線90円」 昭和47年当時の国鉄連絡乗車券。硬券。 国鉄線内は地図式で表記。内訳に「国」が表記されるようになった。 昭和40年代後半は、まだ硬券が残っていた模様。。 |
![]() | 「田園調布→藤沢/160円」 昭和46年当時の国鉄線連絡乗車券。硬券。 国鉄線でも郊外?については駅名表記だった模様。 |
3.入場券
![]() | 「奥沢駅入場券」 昭和40年当時の奥沢駅入場券。当然の事ながら硬券。 赤線が懐かしい。 (保存状態がいまひとつ) |
![]() | 「奥沢駅入場券」 昭和48年当時の奥沢駅入場券。自販機による軟券。 当時の入場券は各駅とも同様に、自販機で販売されていた。 |
![]() | 「大岡山駅入場券」 昭和48年当時の大岡山駅入場券。自販機による軟券。 当時の自販機は、黄色とピンク色の券が販売されていた。 大岡山駅ではピンク色だった模様。 |
4.その他
![]() | 「東急発行・国鉄券」 昭和57年当時、目蒲線目黒駅ホーム上の連絡窓口で売られていた硬券。 晩年は軟券に変更された。 同窓口は、連絡改札口閉鎖と共に廃止された。 |
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