南海本線泉佐野、関西空港に向かう電車はここで本線から分岐して空港連絡橋に向かう。現在、駅付近は高架工事が進められている。
駅から海側に出て商店などが並ぶ通りをしばらく行くかつては近畿相互銀行だった建物が馬野酒屋の倉庫に使われていた。短いアーケード街に商店が並ぶ。旧街道らしいも古びた町屋なども見られる。
 狭い脇道にはいり適当に歩いていると、市立第一小学校の前に出た。かつて食野(めしの)邸があったところだ。校門そばの松がそのなごりらしい。片隅に「食野宅趾」の碑がある。江戸時代には回船業と大名貸しを行う大商人になり「いろは四十八蔵」といわれる蔵が軒を連ねていたとか。浜手にはその名残が感じられる蔵が残っている。
ところで、上方落語に『莨(たばこ)の火』という噺がある。この噺の登場する旦那が食野佐太郎という実在人物で、鴻池家と親戚でもあったという。
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 短いアーケード街のなかほどから狭い迷路のような道をしばらく行ったところに旧新川家住宅がある。江戸中期の建物で、新川家は醤油業を営んでいたそうだ。現在、市指定の文化財で内部を見学することができる。(200円)
南海泉佐野駅から南東の方に1㎞ほど行くと泉佐野市役所がある。市役所の近くにはホール、図書館などの施設が集まり、そこに「歴史館いずみさの」がある。中世荘園である国史跡にも指定されている日根荘(日根野付近)のことを中心に紹介している。(200円)
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 市役所から少し北に寄った小高い丘の上に新井家住宅がある。昭和7年に建てられたもので、居宅と迎賓館を兼ねた木造の和風建築、「新井の別荘」と呼ばれているそうだ。門は閉ざされ、塀越しにか建物を見ることができなかったが、立派な建物だ。門のところに登録文化財を示すプレートが掲げられていた(99年登録)。
溜め池の間を抜けて1㎞ほど行くとJR阪和線熊取駅に出る。熊取から水間に向かう道を500mほど行くと国の重文に指定されている降井(ふるい)家書院がある。桃山時代から江戸時代初期の寄棟造り茅葺きの建物であるらしいが、門前に重文を示す案内柱があるだけで、その建物のことは門前からは窺うことができない。 |
 そこからさらに500mほど行くと旧中家住宅がある。国指定の重文で、こちらは町が管理しており見学することができる。入母屋造り茅葺きの現在の建物は江戸時代初期に建てられたと考えられている。中家は平安時代、後白河法皇が熊野行幸のときに立ち寄った行宮とした由緒ある旧家で、室町・戦国時代には根来衆と深いつながりをもち、秀吉とも戦う地侍だった。(公開は水・木・土・日曜日 10:00〜16:00)
中家住宅のそばに「橋本宗吉電気実験の地」という町指定の史跡がある。フランクリンが凧を使って雷の正体を確かめた実験を、中家そばの大きな松の木を使って追試したそうだ。
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 中家住宅の裏手には煉瓦造り工場の廃屋がある。一部更地になったりしているが、きれいに残っている。中林綿布の工場だったようだ。立入禁止札を見ると、現在、町が管理しているようだ。今後どうするのか知らないが、整備して郷土資料館などに活用してほしい建物だ。
 この近くには射手矢紡績工場が煉瓦造り煙突や煉瓦構造物だけを残し更地にされ、駐車場になっていた。 ここからさらに国道170号線を4㎞ほど行くと水間観音で知られる水間に至る。
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 水間寺は聖武天皇の勅願寺で、僧行基の開創と伝えられている。秀吉の根来攻めのときには、根来に組みし、大敗を喫し多くの建物が破壊された。現在、江戸時代に再建された本堂などがある。
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 水間観音への足は貝塚から伸びる水間鉄道がある。水間鉄道は水間観音への参詣客の便をはかるために設けられたもので、大正15年1月に水間まで開業させている。終点水間駅舎の外観が凝っていて、屋根が多宝塔の屋根を思わせる造りになっている。99年に国の登録文化財になっているが、もう少し手入れしてほしいと思う。
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