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第22号 2005年7月1日発行
今年は愛知で万博が開かれている。連日賑わっていることだろう。それとは直接関係ないけれど、今回は、高度成長まっただ中の1970年大阪千里丘陵で開かれた大阪万博の跡地を訪ねることにした。
そんな、世界各国、地域、企業グループのパビリオンが並んだ跡地は、35年経つ今、緑豊かな森や芝生広場になって、春の桜をはじめとして、季節ごとの花々の咲く公園として多くの人が訪れる。
万博公園の外周道路から北に1kmほどのところ、住宅街のまんなかにあるのが「光の教会」。ご存じ安藤さんの代表作のひとつ。規則正しく並んだ型枠やセパレーターの打設痕がとてもきれいです。道路から見たとき、コンクリート壁で囲われた建物は、すごく閉鎖的な感じを受けるが、建物内部へのアプローチから一歩うちにはいったとき、そのことによって十字のスリットからはいる光が劇的な効果を生むんでしょうね。
JR茨木駅の東側にある四角いコンクリートの箱にドームが載っかっている建物がある。2つあるドームのひとつは、コンクリートの箱ともども半分は切断された格好になっている。これは、1974年に竣工した渡辺豊和先生設計になる建物での建物で「
」という作品。
京都から西国に通じる山陽道、西国街道とも呼ばれ、江戸時代には西国の大名が参勤交代に利用したという。そのひとつの宿場が郡山宿で、いまも史跡として本陣が残る。椿の木があるところから「椿の本陣」と呼ばれたそうで、西国の大名らの名が記された宿帳など貴重な史料が残されているらしい。
国道171号線が整備されて、クルマはそっちに移った。旧街道は農村集落を結びながら伸びている。かつては農地だったはずの集落と集落も間も新興住宅が進出してきて、あまりおもしろくないが、むかしからの集落には、常夜灯や道標が残っていたり、社寺があったりする。
萱野の集落には、萱野三平旧邸が残されている。萓野三平は、この地で生まれ、播州赤穂浅野家に仕官、元禄の赤穂事件にさいして、松の廊下の刃傷を赤穂に知らせるべく早駆けをした人で、赤穂城開城後は、大石内蔵助を中心とした仇討ち一党に名を連ねた。しかし、父の許しが得られず、忠義と孝行の板挟みから、討ち入りに加わることなく、長屋門の自室で自刃したのでした。
阪急桜井駅前から北に伸びる道路を行くと箕面川を渡り桜ヶ丘。この一角は1911(大正11)年に「桜ヶ丘住宅改造博覧会」が行われたところだ。25戸の住宅作品が建てられ、そのほか、当時の住宅設備などが紹介された。博覧会終了後、建てられた住宅は販売され、その一部が今も住まわれ続けている。一角に箕面市教育委員会が立てた案内板があって、これらの住宅は文化財として認知されているようだ。
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