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近畿日本鉄道モ16000形電動制御車です。近鉄では1947年の特急運行開始以来、名阪特急主体の特急運行戦略により当時の国鉄としのぎを削ってきましたが、1964年の東海道新幹線開業に伴い、名阪での競争から、新幹線で遠隔地から大阪・京都・名古屋の各都市に到達した人々を、それらの各駅で接続する近鉄各線の観光地へ誘致し、近鉄線の輸送需要向上に役立てようとしました。このため上本町、名古屋から、宇治山田をそれぞれ結ぶ阪伊・名伊のいわゆる乙特急の増発のため、11400系の大量投入と、旧奈良電気鉄道承継車からの改造による特急車(680系)による京都 - 橿原神宮駅間を結ぶ京橿特急の新設により、近鉄特急ネットワークの開始しました。当初6往復でスタートした京都発着の京橿特急特急と、京橿特急の間合いを利用した京都 - 奈良間を結ぶ京奈特急5往復が開始され、京都を発着する体制が整えられました。これに伴い、近鉄は、狭軌線の南大阪線と吉野線についても、京都線・橿原線と同様の有料特急を計画しました。軌間の相違で他路線からの直通不能な南大阪・吉野線系統については、独自に1959年8月からの一般車による快速「かもしか」、次いで1960年2月には旧伊勢電気鉄道モニ231形の改造による専用車(モ5820形)を用いた不定期有料特急「かもしか」を運行、この「かもしか」の実績をもとに、橿原神宮駅での京橿特急との接続を基本としたダイヤ編成とすることで、南大阪線・吉野線用として大阪線特急車に準じた接客設備を備える本格的な特急車のモ16000形を新造しました。モ16000形は当時の大阪線特急車の11400系並みの車体を新たに設計し、まず1965年2月にモ16000形2両 ク16100形2両の2編成を新造し、1965年3月から、定期3往復、不定期3往復での吉野特急の運行がスタートしました。この吉野特急も京橿特急同様に利用が多いことから、不定期特急の定期特急への格上げや増発が求められるようになったため、京都線系統の特急と同様に、予備車として「かもしか」号に用いられていたモ5820形を起用しました。もっとも、旧式かつ低性能な吊り掛け駆動車であったモ5820形は16000系と同じダイヤで走ることができず、さらに同形式は非冷房で接客設備面でも極端な格差があったことから、1966年3月1編成2両が増備されました。この第3編成の竣工で検査時の予備車が確保され、さらに多客時の増結による4両編成化が可能となった。こうして吉野特急は定期7往復体制となりました。その後も特急の増発や増結が実施されたことから、16000系は9編成20両の陣容となり、吉野特急の中心的存在として活躍しました。車体形状は正面貫通路、貫通幌付き片運転台車で、車体長20000mm、車体幅2740mm、新造時にはデッキ付き車両は製造されていません。主電動機はWNドライブ135kW動輪径が910mmです。主制御器は電動カム軸式自動加速制御器を電動車に搭載、ブレーキ南大阪線では初めての抑速発電ブレーキ付き電空併用電磁直通ブレーキを搭載しています。台車はKD-52シュリーレン式空気ばね台車です。なお4両編成製造時に中間電動車、付随車が製造されました。16000系は9編成20両の陣容となり、吉野特急の中心的存在として活躍しました。製造後小改造の後に1997年年に後継車となる16400系が製造された際に、第1・第2編成の2両編成4両が廃車され、大井川鐵道へ譲渡されました。さらに2002年に第3編成が廃車され、第1・2編成同様大井川鐵道に譲渡されました。2005年1月には第4編成が廃車後解体されました。更に、2013年11月第5・第6編成の2両編成4両が廃車解体されました。残った車両は現在も吉野と級として活躍しています。図面上段は4両編成の中間電動車モ16050形、下段はモ16000形です。
実車は、南大阪線特急車として1965年に製造されました。車体形状は正面貫通路、貫通幌付き片運転台車で、車体長20000mm、車体幅2740mm、新造時にはデッキ付き車両は製造されていません。側窓幅を1620mm、窓高さを700mm、車内はシートピッチ935mmの回転クロスシートで、乗降扉は車端部に取り付けられた折り戸で、デッキはありません。製造当時は連結面車端部に車販準備室が設置されました。走行機器は当時の南大阪線一般形の6900(6000)系とほぼ同一で、特急用に一部変更を加えたもので、主電動機はWNドライブ135kW動輪径が910mmです。主制御器は電動カム軸式自動加速制御器を電動車に搭載、ブレーキ南大阪線では初めての抑速発電ブレーキ付き電空併用電磁直通ブレーキを搭載しています。台車はKD-52シュリーレン式空気ばね台車です。16000系は9編成20両の陣容となり、吉野特急の中心的存在として活躍しました。1997年年に後継車となる16400系が製造された際に、第1・第2編成の2両編成4両が廃車され、大井川鐵道へ譲渡されました。さらに2002年に第3編成が廃車され、第1・2編成同様大井川鐵道に譲渡された。2005年1月には第4編成が廃車後解体されました。更に、2013年11月第5・第6編成の2両編成4両が廃車解体されました。残った車両は現在も吉野と級として活躍しています。
近鉄モ16000形PDF図面 A4 1/120
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