このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 岩国城 
岩国城
慶長6年(1600年)の関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は、領地を大幅に削減され、広島城から萩城へ移封となりました。 同時に毛利氏の家臣であった吉川広家は、出雲国富田城より岩国3万石(のち6万石)に転封されました。
岩国に移った吉川広家は、要衝の地横山の山頂に要害を、山麓に居館を築くことにし、 慶長13年(1608年)に城が完成しました。

岩国城は、岩国では横山城と呼ばれていましたが、 横山とは山の名で、高さ200mばかりの山で、西南から東北に伸びていて、屏風の様に横たわった山です。 築上に使われた石材は、この山の西南の峰づたいの岩窟から運ばれました。
また、横山の三方を迂回する錦川を外濠とし、東側川向うの錦見に町割りを行い城下町を作りました。

緑の山頂にそびえる白亜の天守は、桃山風南蛮造りの山城で藩の象徴として仰がれていましたが、 元和元年(1615年)幕府の一国一城の令によって山上の要害は惜しくも破却の運命に見舞われました。
第二次世界大戦後、再建の動きが活発となり、昭和37年(1962年)3月天守が再建されました。

 ▲ 岩国城
岩国城は、名橋 錦帯橋 を渡った先にある 吉香公園 から、 岩国城ロープウェイ で標高約200mの城山の山頂駅から 徒歩で10分程度上ったところにあります。

途中にある「大釣井」という大井戸は、慶長13年の築城と同時に作られたもので、非常時の武器弾薬の等の収納をはかるとともに、 敵に包囲されたり、落城の危機にさらされた場合の脱出口を備えた井戸でもあったとも伝えられています。

 ▲ 岩国城への道のり

 ▲ 途中にある「大釣井」







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 ▲ 岩国城天守閣からの眺め

 ▲ 岩国城天守閣からの眺め

 ▲ 岩国城天守閣からの眺め

 ▲ 岩国城旧天守台

 ▲ 岩国城ロープウェイ 山頂駅のからくり時計
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岩国城 DATA
住所山口県岩国市横山3丁目
TEL0827-41-1477
駐車場
公式HP
備考
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last visited : 2017/04/13

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