このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 神社・仏閣参拝記(18)         

出雲大社(その2)

島根県出雲市
国譲りって無事に終わったの?
 
 古事記では、オオクニヌシは国土をアマテラスに謙譲し、自らは長しえに隠れたことになっています。しかし、オオクニヌシの息子のタケミナカタ(建御名方)とコトシロヌシ(事代主)は抵抗したようですね。

 一応アマテラスは武闘派のタケミカヅチ(建御雷)、なかなか勇ましい名前の神様です、を派遣してきました。場所は出雲大社近くの稲佐の浜(否(イナ)か然(サ)、ノーかイエスの浜ですね)で、談合したわけです。
 その時の様子は、なかなか面白そうです。

 タケミカヅチは剣を抜いて波の上に逆さに立て、その上にあぐらをかいたそうです。上海雑技団もできそうにもない技です。
 これに対して、「和をもって尊し」とする国の代表者らしく、オオクニヌシは、一人では決められなく息子の意見を聞きてくれとの返事をしました。

 そうして、コトシロヌシは「この国はアマテラスの子孫に譲るべきです」と答え、船の上で、天の逆手という、上下を逆にした柏手を打った後、海に身を投げてたそうです。この変な柏手は、呪いの所作だそうです。アッカンベェーして逃げ出した喧嘩相手みたいですね。ちなみに、コトシロヌシは恵比寿様として信仰を集めている神様です。海に身を投げた結果、鯛を持っているのでしょうか。

 次のタケミナカタは、タケミカヅチと力比べを挑んだが、タケミナカがタケミカヅチの腕を掴むと氷や剣に変じたそうです。びっくりしたタケミナカタの腕をタケミカヅチが掴んで引き抜き投げ捨ててしまったそうです。これでは敵わぬと逃げたしたタケミナカタを信州の諏訪湖まで追い詰めて、この地からいっさい外に出ないことを約束させたそうです。このタケミナカタを祀っているのが諏訪神社です。
 
 そんな次第で、オオクニヌシはこの世のことから引退して、霊界の政治を行うこと、つまり、「長しえに隠れ」たわけですが、そんなわけで、人間の運命や結縁(つまり縁結び)といった、幽事の取り扱いを行う神になったのですね。

 そんなわけで、多少のすったもんだはあったことは想像できるのですが、まあ
それほどの大乱があったような記述は神話ではみつかりません。


出雲大社の拝殿

たたりを鎮める

 むりやり国を奪い取られたオオクニヌシの立場からみれば、いわゆる「この恨み」という感情は残るでしょうし、恨みを持って死んだ人間は祟るというのが、日本人の心情ですね。
 また、出雲いう名前も考えてみれば、太陽であるアマテラスを遮る、雲の出るところですら、なんとかしておきたい所だという大和朝廷の気持ちが汲み取れそうです。
 つまり、出雲という国は、今のアメリカに対する中国みたいな、或いは、そのむかしの冷戦時代のアメリカに対するソビエトみたいなものだったのではないでしょうか。

 
そんなわけで、オオクニヌシの祟りを鎮め封じ込める装置が必要となったわけで、それが出雲大社というわけではないでしょうか。また、息子のタケミナカタとコトシロヌシもそれぞれの神様として、祀られているわけですね。
 
神社とは、こういう風に、恨みを持って死んだ人の祟りや怨念を鎮める機能を有しているようです( 神社仏閣参拝記(4) 吉備津神社 参照



建築当時の出雲大社の創造図

雲太 和二、京三

 平安時代の源 為憲(みなもとのためのり)という人が書いた「口遊」(くちずさみ)という本の中に「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)という言葉がでてきます。

 雲太とは、出雲太郎、出雲大社のことです。和二とは大和二郎で東大寺の大仏殿のこと。そして京三は京三郎で京都御所にある大極殿のことだそうです。
この「口遊」は、当時の社会の常識をわかりやすく、暗誦しやすい様に語呂を整えてまとめた本ですが、ここでは出雲大社が日本最大の建物であるといっているそうです。
 
 出雲大社の発掘調査で、建物の大きさについては 山陰中央新報のサイト  http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/taisya/ で色々紹介されています。 その発掘調査の結果からの想像図は上にあるようなもので、今の形とは違いますね。でもなかなか立派な建物です。本当なら・・・

 要は、むかしは出雲大社は日本で最も高い建物だと信じられていたことです。これは、大した抵抗もなく「国譲り」をしたオオクニヌシを讃え、かつ、オオクニヌシは、アマテラスの公式な後継者という天皇の住まいである御所よりも大きいところに住まわせているという点で、オオクニヌシの祟りを押さえるという意図の為せる結果かもしれませんね。


御本殿は変な形です

大社造りのご本殿ですが

オオクニヌシはそっぽを向いています

 さて、上の写真は、 出雲大社のホームページ にあるリンクしていますが、御本殿の御神座とされるオオクニヌシのいる場所は、参拝者に横顔を向けて西の方、つまり稲佐の浜の方に向いています。つまり、参拝者はオオクニヌシを拝んでいるようで、実は御客座五神を拝んでいるのです。

 実に、不思議ですね。オオクニヌシを拝んではいけないのではないか、そんな感じです。ちなみに御客座五神とは、アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)、タカミムスビノカミ(高御産巣日神)、カミムスビノカミ(神産巣日神)、ウマシアシカビヒノミコト(宇麻志阿斯詞備比古遅神)、アメノトコタチノカミ(天之常立神)です。
 この5人は、天地開闢の時に、最初に生まれた五人の神のことで、 この神々は男女の性別のない独り神として,身を隠したとされている。このことから,特別貴い神であるとしてこの後に続く神々と区別して別天神と呼ばれています。
 見ようによっては、オオクニヌシはこのような別格の神様により監視されているというわけでしょうか。


出雲大社で演じられていた神楽
 その他出雲大社の特異な点

 その他にもこの出雲大社の特異な点があります。
 

注連縄(しめなわ)

 出雲大社の注連縄は太いです。まあ、それはデザイン的な話ですが、聞くところでは、注連縄は、普通、社殿に向かって右側からないはじめるそうだが、出雲大社では、逆にしているそうである。
 

二礼、二拍手、一拝か二礼、四拍手、一拝

 こうみえても、神社へのお参りの作法は詳しいのですが、一般に神社では、二礼、二拍手、一拝といって、二回お辞儀、二回拍手を打つ、そして一回お辞儀というのが、一般的なのですが、出雲大社では、二礼、四拍手、一拝で拝むように書いてあります。
 このような特別なお参りをするのは、九州の宇佐八幡宮で経験しましたが、これはどのような共通点があるのでしょうか。

出雲大社へは、とにかく一度はお参りを

 そのような次第で、出雲大社にお参りして感じたことを書きましたが、やはり神社への参拝とは、大変面白いですね。

トップページに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください