このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



●守山点描 その3


▲森孝西コミュニティセンターと桜と元補道路(森孝三地内) コミセン前の道路は戦前東西に位置した旧陸軍兵器補給廠の連絡道路として拓かれた道。桜並木は1979年(昭和54)天子田小学校の分校開設(翌年森孝西小として独立)を記念した植樹された。写真左のコミュニティセンターは1983年(昭和58)に開設された。

▲金城学院大学ランドルフ記念講堂(大森二地内) 金城学院の創立者アメリカ南長老教会宣教師アニー・ランドルフの名にちなみ、1889(明治2)年開設。1949(昭和24)年大学が設立された。キリスト教精神に基づく一貫教育の名門女子校となる。写真は彼女の名を冠した学院の象徴的施設。(名古屋市都市景観賞受賞)

▲学校法人菊武学園 菊華高等学校(小幡5) 1962(昭和37)年2月3日、守山女子商業高等学校として開校。1992(平成4)年、菊華高等学校に校名変更。
総合進学コース、福祉・保育コース、スポーツ、アクトコース、情報ビジネス科を有する、男女共学。

▲愛知県立緑丘高等学校※旧緑丘商業高等学校(緑ヶ丘) 2018年(平成30)商業課程を廃止し58年の歴史に幕を閉じ総合高校となった。1960(昭和35)年創立(守山市立東中学校の仮校舎にて開校)。男女共学。

▲愛知県立守山高等学校(中志段味字元屋敷) 1974(昭和49)年創立。普通コース、情報活用コース、男女共学。

▲名古屋国際学園(名古屋インターナショナルスクール・中志段味地内) 中部地方唯一、米国西部地域私立学校大学協会正式認可を受けた学校。全ての授業が英語で行われている。

▲志段味西小学校壁画(下志段味地内) 学区の様子を現した壁画。とても良く出来ている。

▲熊野神社奉納額(大永寺町地内) 鎮守の森の小さな神社に奉納された色彩豊な奉納額。現在は収納庫に保管されている。幕末の多くの古文書を所蔵。1617(元和3)年創建。

▲玉野川学園(下志段味地内) 家庭及びその他の環境上の理由などにより生活指導などを必要とする児童が入所または通所し自立を目指す児童自立支援施設。

▲上志段味・吉根 歩行者・自転車専用道路[都市計画道路志段味線](吉根・上志段味地区) 完成時には東谷山まで約5kmに及ぶ専用道路となる(現況は志段味支所付近まで)。一般道路と平面交差する事なく快適な人優先道路。途中市道アンダーパスには吉根小、志段味西小、志段味東小、志段味中学の皆さんが制作したタイル壁が明るさを添えている。

▲アサヒビール名古屋工場(西川原町地内) 1973(昭和48)年4月竣工。完全ノンフロン化工場を実現。年中無休で工場見学(要予約)が開設されており、ビール等の製造工程が見学できる。

▲メグミルク名古屋工場(幸心地内) 旧雪印乳業名古屋工場が日本ミルクコミュニティ名古屋工場(通称メグミルク)となり、2009(平成21)年10月1日より雪印メグミルク(株)と改組となり復活した。


▲興旧山歓喜院大森寺(だいしんじ・浄土宗) (弁天が丘地内) 尾張藩二代藩主徳川光友公が1634年(寛永11)に亡くなった生母歓喜(かんぎ)院様(乾の方・お尉(じょう)の方)を1637年(寛永14)江戸小石川伝通院に葬りその後1661年(寛文元)生地大森に信誉大龍上人を開山としてあらたに祀った。
1875年(明治8)火災にて焼失、2015年(平成27)本堂など『尾張名所図会』と同じ位置に再建された。
写真中:本堂「大森寺」の山額は光友公揮毫による。写真下:鐘楼の鐘を突くときの覚えの玉。現在は周辺への配慮から除夜の鐘のみが突かれる。

▲吉根地区の疫神除(えきしんよけ・吉根地内) 吉根地区四ヶ所の道路際に置かれ、毎年8月の吉根八幡神社の夏越祭・雲霞祭のおり疫病・厄除けを祈願し村境に祀られる。(写真は吉根橋袂のもの、雨などによる破損を防ぐため袋が被されている。竹に疫神の護符が挟まれ注連縄状になっている。)


▲斎穂社と千手観音(大森五地内) 676(天武天皇白鳳5)年の頃、新嘗祭に供えられる新穀を作る斎忌斎田が印場渋川(尾張旭市)に設けられ刈り取った稲穂がここで精選され天皇に献上された。同社は伊保利里(いぼり)塚、疣(いぼ)塚と呼ばれ信仰を集めていたが一時荒廃、その後大森八剣神社の末社となり1973(昭和48)年区画整理により北西の現在地に祀られるようになった。境内には1717(享保2)年に造られ綺麗に飾られた千手観音や色彩豊かな額が多数奉納されている。※疣塚は「斎穂−いほ」の転嫁であろうと言う。
写真右下は斎忌斎田跡、現渋川神社(尾張旭市印場)に有る「天武天皇悠紀斎田跡」記念碑。



▲小幡北消防団詰所のラッピング(竜泉寺地内) 小幡北小学校学区を管轄とする小幡北消防団。消防団詰所のラッピングシールは平成27年度守山北中学校美術部のデザイン画を元に創られた。

丸形ポスト(森孝三地内)名古屋市内6本中の5本目として森孝西小学校に教材用として保存されていた物を2014(平成26)年に小学校東会社前に設置された。

▲長慶寺無縫塔(むほうとう)(小幡中二地内) 長慶寺開山南山和尚の墓標。京都東福寺で1335(建武2)年に没。鎌倉建長寺に同様の物が建立されており、長慶寺の墓標はそれらを元として南北朝の頃建立された。(1964(昭和39)年県指定文化財)

▲倶利伽羅不動寺(本山修験宗・吉根地内)チベット寺院(強巴林・チャンバリン) 修験宗倶利伽藍不動寺住職がラサ(チベット)のチベット仏教総本山大昭寺で修行。チベット仏教で初の外国人女性受戒者となり同寺の協力を得て日本初唯一の本格的チベット寺院を2005(平成17)年3月に建立。入口にマニ車、堂内には極彩色の仏画や資料が展示され爽やかなお香の香りと共に心休まる空間。


▲東寺名古屋別院跡の地蔵尊(翠松園三地内) かつてこの付近にあった東寺名古屋別院にあった物とも、交通安全地蔵ともいわれ、台石には寄付された40数名の名が彫られている。(高さ2m余、昭和11年4月建立 現薫澄正)

川村地区【余慶の碑・川嶋神社・長命寺】
余慶之碑のある白沢川余慶橋(余慶山)一帯は古くは川村一帯の共有地であり川嶋神社は白沢川の畔にあった。
その後1967年(昭和42)環状二号線の道路用地として名古屋市に売却され川島神社は現在地に移った。
また川嶋神社の現在地は古くは長命(明)寺の跡地といわれる。

▲餘慶之碑(松坂町)白沢川余慶橋の東、御嶽神社内にある村人(川村・二城)のために尽くした安藤忠三郎氏(旧二城村々長)の徳をたたえた頌徳碑。余慶とは祖先の善行のおかげで、子孫がその福を授かるという古代中国占書の言葉。

▲川嶋神社(川村町)延喜式神名帳(905年より編纂)に見る古社で鳥居脇には棒の手記念碑があり御嶽講関連の碑も多く、元は白沢(旧余慶山)付近にあった駅は廃止される事となり同駅は廃止された。


▲川嶋神手洗い社(川村町)本殿右の幅1m余の手水鉢には旧社名「熊野宮」とあり1787年(天明7)銘を持つ。

▲長命寺「蓬莱七福神 寿老尊天奉安殿」(白沢町)
古くより寿老人が祀られており、蓬莱七福神霊場巡りが作られたおり「寿老尊天」の寺となった。寿老殿まえの線香立てには玄鹿(げんろく)が彫られている。

▲長命寺「長命水」(白沢町)
1987年(昭和62)雪峰惇效和尚が境内に井戸をほり「長命水」と命名。その名から長命に通じるとおおくの参拝者が訪れた。

▲川村、前野の道標(川村町地内)
江戸時代川村中心地、小牧道と名古屋道の十字路にあった。「表-右 かち川 あしま せこ石山 左 なこや道 裏-享和元年辛酉三月」。現在は東島天王社内に移転されている。



第10師団創立記念祭
(守山三地内)

基地内を一般開放して行われる秋の記念祭には観閲式、模擬訓練、装備展示、アトラクションと盛り沢山の行事が有り、マニアを始め区民の多くが参加し秋の一日を過ごし、また夏には一般参加の盆踊り大会も行われている。




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