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![]() (長栄地内) 本来この地にあった本光山長栄寺(日蓮宗)は江戸時代前期に創建さた成瀬正親の母栄寿院殿の菩提所であった。しかし江戸時代中頃には移転(現名古屋市中区栄四付近)後廃寺となった。 現在の紫雲山長栄寺(真宗大谷派)は大正時代に同寺跡に開設されたもので地名にちなみ1965年(昭和40)紫雲山長栄寺となった。 現在墓地入口右側に御経塚、題目塔、開山日啓大和尚碑があるが現在の長栄寺とは関係ないもの。※写真は本光山長栄寺開山日啓大和尚の碑。 | ![]() (瀬古二・森孝地内) 1929年(昭和4)10月、ニューヨークウォール街株価暴落に始まった世界不況は日本にも波及し昭和恐慌が始まった。農村ではおりからの豊作による米価の下落、生糸・繭価の暴落が起こり、1932年(昭和7)斎藤内閣は「農山漁村救済更生運動」を提唱し農民の結束をはかり各種農村振興策が施行された。区内でも瀬古地区で用水工事、森孝地区では道路開削など振興事業が行われた。写真は瀬古二に建てられた農村振興事業記念碑。同様のものが森孝八劔神社内にもあり、香流川には振興橋が架橋されている。 |
![]() (竜泉寺二) 土葬が行われた時代、埋葬地と墓参の場所を分ける両墓(りょうぼ)制が各地で行われていた。埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(祭地・たてはか)などと呼んでいたが火葬が一般的となると両墓制は次第に廃れていった。 写真奥の円形の台座に棺(座棺)を置き、手前の四角い台座に線香・供物などを置き野とむらいが行われ、後同墓地に埋葬され詣り墓は寺に建てられた。※写真は竜泉寺二の野墓、他に森孝新田、中志段味にも現存する。 | ![]() 守山区が森林公園(尾張旭市)と接する区内最深部に位置するため池。 かつては多くのため池があったが現在名古屋市内に116、区内に28あると言われる(2004年調べ)。 1980年代同池で高木典雄愛知学院大教授(当時)により「オオミカンムリゴケ」という当時世界最小のコケが発見され話題を呼んだが外来魚の侵入、宅地造成また安田池緑地が計画されるなど池の環境悪化が進行している。また同池一帯は近年まで亜炭採掘が行われ廃坑による陥没事故なども懸念される。 |
![]() 約1万年前氷河期の生き残り植物と言われ、旧東海湖をとり巻く周伊勢湾要素植物、東海丘陵要素植物と呼ばれ、主に愛知県、岐阜県、三重、長野県の東海地方を中心に生育している。 環境省レッドデータブックには「絶滅危ぐIB類」、将来絶滅の危険性が高い部類に指定され、その数は近年では350本位ではないかと言われ、区内には小幡緑地、大森等の湿地帯に150本程ある。 春、桜の頃を過ぎた辺りに左写真の様な白い花を咲かせ、秋には7〜1.4mmほどの梨に似た堅い実を付ける。 守山区以外の自生地では天然記念物等に指定されている場合が多く、区内においても保護、育成がなされているが年々生育地の宅地化など環境悪化は否めなく、何らかの対策が必要と研究者は言っている。尚「マメナシ」についての詳しい情報は、Harumasa Yokoi氏の 「守山花紀行・まめなしの部屋」 にあります、ご参照ください。 ※近年「東海湖」の存在及びその名に否定的な意見もある。 |
庄内用水頭首工(瀬古地内)
※庄内用水元杁樋門詳細は「守山の近代化遺産」の頁を参照
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