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●守山の近代産業遺産 平成2年文化庁の近代化遺産(建造物等)総合調査費国庫補助制度が施行され、平成8年には文化財保護法一部改訂により近代化遺産の文化財登録が容易になった。 愛知県においては平成14〜16年にかけ明治期から昭和20年代のそれら建造物等の「愛知県近代化遺産(建造物等)総合調査」が実施された。 ●庄内用水元杁樋門(瀬古地区) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1892年(明治25)木製で造られたが、1910年(明治43)6月、当時革新的な消石灰と土を混ぜ固めた人造石工法「たたき」と切石積み工法により改築された取水口。 (設計:愛知県土木工手石黒亀吉 施工:栗田末松)。 ※1914年(大正3)年、日本車輌製造製の流量調整用手回し式昇降機4基が設置されている。 ※名古屋市「都市景観重要建築物等指定物件」 ※土木学会選定「現存する重要な土木遺産2800選」Aランクに選定されている。 ここより取水された庄内川の水は庄内用水となり南西へ600m程行き暗渠にて矢田川を潜り黒川樋門(名古屋市北区)を経て現黒川(堀川)上流部となる。 1877年(明治10)用水が開削された頃、黒川樋門辺りには調整池(分水池)があり、ここより黒川、御用水、志賀用水、上飯田用水と分水されていた。 この池はまた「天然プール」と呼ばれ子供らの格好の水遊び場となっておったが現在は取り除かれている。※写真右下:かつて名古屋市北区上飯田通三にあった天然プール碑。 庄内用水は木曽川犬山地内より取水する新木津(こっつ)用水が1883年(明治16)に改修され、これにより木曽川−新木津用水(八田川)−庄内川−庄内用水−黒川(堀川)−名古屋港(納屋橋経由)へ至る大運河が1886年(明治19年2月6日県令より許可)に愛知県技師黒川治愿(はるよし)の手により開通。愛船株式会社(発起人:愛知県小牧市二重堀、松永左衛門ら)により物資(材木・薪炭・米・麦・石材など)の運搬事業が始まり(当初の運河計画は水利用の少ない9月20日から翌年の6月10日まで運河としての使用を想定)、従来木曽川中流域から陸路7日程かかった行程が一挙に4〜5時間に短縮された。 1909年(明治42)年頃には乗客(1890年/明治23年の記録、年間5千人)も乗せるようになり、庄内川・矢田川の暗渠部分には人力で舟を引くための鎖が壁に取り付けられていた。また水量の少ない所では堰を造り一時的に水位を上げ船を停留させ後堰を切り水流に乗せ船を下流に移動し、帰路は船頭が両岸から綱を引き遡上した。 しかしこの運河も陸上交通網が整備されると共に1924年(大正13)年姿を消したが、舟運は1935年(昭和10)頃まで利用された。その後運河は農業用水とされたが、その後の都市化とともに農業用水としての利用も少なくなった。 写真上左 庄内用水元杁樋調整樋。 (大正3年日本車輌製造製の流量調整用手回し式昇降機4基が設置されている。) 写真上中 庄内用水元杁樋門出入口。 写真上右 元杁樋門出入口 右水路が名古屋方面、左水路は庄内川方面。 (奧に明るく見えるのは庄内川方面開口部。) 写真下左 左水路庄内川方面へは水路を遡るため鎖が取り付けられ、船頭はそれを掴み上流へ船を進めた。 (壁面に残っている鎖を通したリング部分。) 写真下中 矢田川河床下を暗渠で川越する工事。(明治時代) ●庄内用水元杁樋門(平成5年 名古屋市都市景観重要建築物等に指定) 人造石・切石積 明治43(1910)年築造 設計:愛知県土木工手石黒亀吉 施工:栗田末松 ●矢田川伏越樋 人造石・切石積 明治44(1911)年築造 設計:愛知県土木工手石黒亀吉 施工:栗田末松
●JR中央線下り線矢田川橋梁(新守山地区) ![]() ![]() ![]() 明治33(1900)年7月25日開通以来煉瓦造の橋台。 小判形断面の橋脚などほぼ原型を保ったまま現役として使用されておったが、補強工事の為平成18(2007)年2月コンクリートで橋脚部分が覆われた。 現在は建造当時の姿を保った橋台部分を見るにすぎない。 平成18(2006)年5月撮影 ●中央線矢田川橋梁下り線 JR中央線新守山−大曽根間 明治33(1900)年7月25日開通 橋長138m、単線上路鈑桁6×22.1m、煉瓦造下部工 桁製作J.L.Lecoq/1898、溶接補強 図面番号よはふ522-40,522-41 (開通当時の英国式70ft鋼定規桁。建造後100年以上経過した現役の貴重な橋梁。 桁の銘板に記された「J.L.Lecoq/1898」という製造会社の詳細は不明) ※左上画像にマウスを乗せると現在の橋梁画像になる。 ●名鉄小牧線庄内川橋梁(瀬古地区・現存せず) 名鉄小牧線庄内川橋梁関連記事は 「沿革-名鉄小牧線」 の頁を参照。 ●名鉄瀬戸線矢田川橋梁(町南地区) ![]() ![]() ![]() 名古屋鉄道(名鉄)の橋梁としては最も古い部類に属し、橋台部分は当時の煉瓦がむき出しのまま。 橋脚部分は全てコンクリートで補強されており、昭和4年開通の下り線は橋脚間が上り線の2倍有り全体としてややアンバランスな感じがする。 ●名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線矢田川橋梁上り線・下り線 矢田−守山自衛隊 上り線 明治39(1906)年3月 158.30m 単線上路鈑桁 15×9.47m 下り線 昭和4(1929)年12月 159.20m 単線上路鈑桁 1×9.75m 7×19.14m ●名鉄瀬戸線喜多山変電所(小幡発電所)跡(喜多山地区・現存せず) ![]() ![]() ![]() ![]() 名鉄瀬戸線喜多山駅北。瀬戸電気鉄道の火力発電所として明治42(1909)年に工事が始まり翌年竣工され後変電所に改造された。 昭和53(1978)年3月、架線電圧が1500Vに上がった事により閉鎖され一時倉庫として使用されていたが現在は撤去され見ることは出来ない。 写真(室内):発電所・変電所当時使われていたモーター ●名鉄瀬戸線の詳細は「 瀬戸電(せとでん) 」の頁を参照。 参考文献 「愛知県の近代化遺産」 愛知県近代化遺産(建造物唐)総合調査報告書 編集・発行 愛知県教育委員会生涯学習課文化財保護室 平成17年3月発行 |
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