このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



コロ記

プロローグ


都電(昭和55年頃) 昭和55年、おおきな青空を見上げると真っ黒い煙突が建ち並ぶ東京下町。かみそり堤防の隅田川、そのほとりにはビール工場にレコード工場、石鹸工場が並んでいる。夕日が沈む路地裏、お豆腐やさんがラッパを吹き、自転車で通り過ぎるなかでの鬼ごっこ。買い物かごの間をすり抜けて、商店街の真ん中を駄菓子やさんへと走っていった毎日。子供の声とラッパの音と、井戸端会議のお母さん達の声。そんな、ちんちん電車が走るこの町で私は育った。かぎっこのひとりっことして。

 そんなある日、私に兄弟ができる、一匹の子猫。ちんちん電車の踏み切りのそば、ひとりさまよっていた子猫。産毛だらけでまんまるの子猫。捨てられたのか逃げたのか、親と離れて何日が過ぎているのだろう。なにかの縁だとは思うのだが、私はその子猫と出逢った。かぎっこには変わりはないが、その日からの毎日、家に帰れば「ただいま」が言える。うれしかった。

 あれから20年、昭和が平成に変わって10年が過ぎていた。大きな工場は郊外へと移り、その後にはマンションが建ち並ぶ。高齢化や塾通いからか、路地裏で遊ぶ子供達は姿を消し、公園にはお年寄りの姿がちらほらしている。買い物かごはスーパーのビニール袋へと変わり、今ではおおきかった青空を隠すように高層マンションと大型スーパーが並んでいる。

 小学生だった私はすっかり成長し、すでに30歳。その人生の半分以上をその子猫と過ごしていた。もちろん、こんなに一緒にいられるとは思いもしなかった。あれだけ小さな体の子猫が、20年も生きていられることなど、考えもしなかった、と言うのが正解であろう。

 過ぎてみれば、あっという間の20年。その歳月とは比べる事ができないくらいたくさんの出来事。そのひとつひとつの想い出をふりかえっていこうと思います。





 もうすでに

コロとの生活の折り返し地点は過ぎているのであろう



もしも神様が

「豊かな想像力」という力を

私に与えてくれていたとしても


その時のことだけは

考えないことにしている


koro



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