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コロ記

ジステンパー

<昭和55年6月1日>スヤスヤ
 〜九時ごろから20分間、コロにはおどかされました。コロは自分のかごのベッドでねていました。すると九時ごろ、すごくいきがはやくなり、なんか、しょくよくがなくなり、ぐったりしてしまいました。〜

 コロ記、6月1日の書き出しの部分である。コロとの生活が始まって10日を過ぎた頃だろうか、当初から下痢、寄生虫と体調の悪かったコロ。この日は、それ以上に元気がなかったのである。さて、話しはこう続いていく。

 〜ぼくは、猫の本の「ネコ殺しナンバーワンのジステンパー」のページをすぐあけました。するとこうかいてあります。「ジステンパーにやられると、何となく元気がなくなり、食欲がなくなったな、と思っているうちに、もう死がやって来る」ちょっと食欲がなくなり、元気がない。もう一つ「特にこのジステンパーに弱い生後六ヶ月以内の子ネコの場合、何かの症状が現れると、十二時間から三十六時間が勝負」とかいてあります。コロは生後二ヶ月です。三ヶ月になればジステンパーの予防注射ができます。〜

 猫の事をまったく知らない私には、とても心に不安を抱く文章だ。私の心配は頂点へと達する。コロとの生活が始まった次の日、私は自分のお小遣いから猫の本を2冊買った。マンガで猫の事を紹介している本と、猫の飼いかた事典。家に着くなりいそいで読みはじめた。夏休みの宿題の読書では全く本を読まず、本に書かれているあらすじを書きながら、最後に「感動しました。」などと必ず書く手段で読書感想文を書いて済ましてきたのだが、さすがにこの本は、その日のうちに全て読み終え、なおかつ頭に入っているのだから驚きだ。
 そう言えば、コロの前にいた動物達は、すべて何の本も読まずに飼っていた。もちろんそのほとんどが、私が飼っていた、と言うのは語弊があるのであろう。実際の世話は母親だったのだから。ただ、コロの場合は違っていた。一応、私が飼い主と言う事となっている。ただ、結局のところ、私が大人になるまでのそのほとんど、いや今に至っても、家族全員での世話に変わりはないのだが。
 コロの飼い主。その責任感からか、今までのペットの中で一番大きいという不安感からか、私は猫の本を買っていたのだった。今で言うマニュアル人間となってしまうのかも知れない。
 その本には、猫の種類、猫の歴史、行動、飼いかたをはじめ、病気の事まで書かれている。既にその病気の、それも寄生虫の所は完全に一致しているのだ、その本に。単純な私の頭では、この本が完璧なものとなっている。その本の言う事によると、今のコロはなんと、ジステンパーにかかっている事となる。生後2ヶ月のこのコロをなんとか、いや絶対助けたい。私は母親に頼んで、動物病院の先生の自宅へと電話をしてもらった。

身長測定 先にコロ記の、そのページの最後の一行を紹介しておこう。そこにはこう書かれている。 〜そして病院にきくと、ねぶそくといわれました。〜 そう、私の心配は獣医さんとの電話が終わるとすぐに解消した。寝不足・・・コロのかわいさのあまり、コロと遊び過ぎた私がいけない理由だった。反省する。
 その一ヶ月後、念願のジステンパーの予防接種を受ける事となる。これでネコ殺しナンバーワンも恐くはなくなったのだった。念願と言っても、コロには迷惑な注射だったとも思うのだが。

 この時の検診で獣医さんより、拾った当時のコロは生後2ヶ月である事を教えていただいた。よって、コロがうちにやって来た記念日は5月20日、単純にその2ヶ月前の3月20日を誕生日にする事とした。
 標準的な大きさで育っていますよ、と言われたコロ。前足と後ろ足をピンと伸ばしたコロの体長はこの時、57センチになっていた。



あたたかいお留守番

<昭和55年 冬>くたぁ〜
 コロとの生活が始まってはじめての冬の事だったと思う。当時の私は鍵を首からぶら下げた、かぎっこだった。両親は共働きだったので、遊びから帰ると家には誰もいない。コロが来るまでは、無言で帰宅し、両親の帰りを待つだけだった。「ただいま〜」コロが来てからの毎日、家には必ずコロが待っている。無言の帰宅をすることはもうなかった。
 すでに家にも慣れていたコロ、コロもひとりぼっちのお留守番は嫌いなようだ。特に真っ暗になる夜、きみの目は暗くても周りが見えるんだよ、とも思うのだが、どうも暗いのは嫌いらしい。家へと帰るために階段を上がる私の足音を覚えているのか、玄関を開けると、そこにはすでにコロがいた。一緒に中へと入り電気を点けると、待ってましたとばかりに家中を走り回る、うれしさの表現。すこしの間コロと遊んで両親の帰りを待つ毎日だった。

 その日もそんな冬の日だったと思う。いつもより少し早く帰った私は、まだ明るい室内でコロと遊びはじめた。天井からぶら下げている玉を揺らしたり、家の中での追いかけっこやかくれんぼ。そのうちにお互い疲れてしまったのだろう。私はそのままうつ伏せになり眠ってしまっていた。
 数時間後「ただいま」と母親の声、とっくに暗くなっていた暗い室内の電気を点けたようだ。ぱっと明るくなり私は驚いて目を覚ます。しかしそのまま起き上がる事はできなかった。
 目を覚まして気がついた事がある。私のまだ小さな背中の上にコロが丸くなって眠っていた。寒さとさびしさからなのだろう、いつからかコロは私の背中の上で眠っていたのだった。コロと私がお互いに温めあって母親が帰るまで、寒さを感じる事もなく眠りつづけていたのだ。私はもう起きたかったが、眠りつづけるコロのために、コロが起きるまでの間、私もそのまま眠る事とした。

 あの感覚と温かさはいまでも私の背中に残っている。とてもあたたかくとても楽しいお留守番だったからだ。これからもずっと忘れることは・・・ないと思う。



ペット禁止

<昭和56年9月5日>なあに
 ペット禁止。今でも良く聞く、これからもあまり変わる事が無いであろう言葉。汚い、臭い、うるさいなどと嫌いな方の意見もわかるが、飼い主側のモラルでかなり控えられる問題だとも思う。
 何を隠そう、実はうちも、である。もちろん胸を張って言える事では無いのだし、本来の規則に違反している、劣等住居人なのである。もしも家に住む事に、免許が必要なのであれば、私はとっくに免許停止処分となっている事であろう。もちろん、最大限に清潔に、臭くならないようにし、音も出さないようにはしている。ただたとえ、どのような事をしていても、違反には変わりはない。大人になると、いろいろな所が丸くなり、今ではこの様な意見も言えるのだが、昔は違っていた。もちろん今でも、前記の意見は、あくまでも、たてまえとなるのだが。

 同じ団地の中の、とある家での出来事だった。その家は、犬と猫と鳥を飼っていた。そこへ一人のお客様がやって来たそうだ。玄関では犬が吼えはじめ、座ると猫が膝に乗り、お茶を飲むと鳥が飛んだ。それぞれの動物達の普通の行動。私に同じ事が起こったら、犬には恐くないよと言い、猫の体をやさしく撫で、鳥の飛ぶ方向を目で追うだけで、事無きを得るだろう。しかし、そのお客様は違っていた。大の動物嫌いだったようだ。人にはそれぞれ好き嫌いはある。私もいまだに、イナゴの佃煮は食べられないし、無理に食べようとも思わない。できれば、このままずっと、私の口へは入らない事を願っている。多かれ少なかれ嫌いなものを無理矢理に押し付けるのは、良い事とは思わないが、このお客様は、夏の虫になっていたようだ、火の中へと自ら飛んできた。
 さて、そのお客様は、相当憤慨したらしい。怒りは収まる事が無く、大家さんの元へと伝わっていた。ただ、もちろんこの話しは、私が人づてに聞いた話しであって、そのお客様がおっしゃる事がどこまで本当の事なのかは、私が知るよしも無い。動物が嫌いだったら、私ならその家にあがらせていただく事はしないと思うからである。ただ、私もたまには、物事を誇張して発言する事もあるのだから、素直にその話しを信じることとしよう。
 私の家の大家さん、その時は多分、鈴木さんと言われた方だったと思う。余談になるが、大家さんはよく変わる。最近まではイジワル婆さんだったし、最近は発言が問題な事もある裕次郎さんの兄さんである。そう、ここは東京都の住宅、都営住宅である。大家さんはもちろん都知事さん。ただ、どこまで一般の人の意見が伝わるのかは知らないが、書類のほとんどは大家さんである都知事さんの名前で来るのだから、この書類も都知事さんからの書類であろう。


さんぽ 「この住宅での、動物の飼育は禁止されています。」この様な文字が書かれた紙切れが、回覧版に洗濯挟みで挟まれて、玄関から家の中へとやって来られた。もちろん私もコロも見てはいるが、気にはしていなかった。もちろん入居時から動物の飼育は禁止されているのだが、やはりあの事件が原因で、再び「ペット禁止」を周知する為の紙切れなのであろう。
 その数日後の出来事だった。東京都の係の人が突然、家へとやって来た。何度も止めようとしたが、次の瞬間コロはゲージへと入れられて、どこかへと連れて行かれてしまう。私は何度も泣き叫びながらしがみつく、しかし子供の力は大人にはかなわなかった。コロはどこへ連れて行かれたのだろう、それからの数日間、食べ物が喉を通る事はなかった。小学生の私には、その目の前で起こった現実を受け止められるだけの余裕はなかった・・・・・と、この様な事が起こっていれば、これから始まるドラマはかなり悲劇的な展開へとなっていくのであろうが、実際はそんなに深刻な問題ではない。もしも、その様な事が起こっていれば、今コロはいないはずである。信じて読んでいた方へのお詫びをこめて、元へと戻ろう。
 その数日後の出来事だった。家の隣にあるグラウンド、毎年夏にお祭りが開催される。盆踊りがはじまると、家の中のテレビの音よりも大きく聞こえる音楽。「炭坑節」「大東京音頭」「オバQ音頭」などなど。ついつい、家の中で踊ってしまうほどの勢いだ。そんなお祭りが年に数回開催されているのだが、その日もお祭りの日だった。母は抱きながらコロをグラウンドへと連れていく。私はグラウンドで友人達と遊んでいた。すると、コロを抱いている母の周りに人だかりが出来ている。それが例えば、近所のおばさん達や子供達なら、なんの疑問も持たないのだが、周りを囲んでいる人達は、町会の役員のおじさん達である。町会のおじさん達が「かわいいねぇ、名前は何て言うの」と揃いも揃って言っている光景は考えられない、いや考えたくもない。不思議になった私は、帰宅後、母に聞いてみた。
 例の前日の紙切れの事だった。「禁止」の2文字が光る中へ、コロを連れていくとは何事だ、と言う意見らしい。矛先はこちらへと向けられていた。おっと、私が規則に違反しているのだから、私が被害者意識を持つのは間違えだ。今でこそ、冷静にこの文章を書いているのだが、当時はそれどころでは無い。最悪の事態、私は前記のみなさんを驚かせた内容を想像していた。
 「田舎に預けよう」「ついていく」「友達の家に」「嫌だ」永遠に変わらない平行線な親子の会話、話しがまとまる訳が無い。「何があってもコロはうちのコロ。絶対に離さない。ずっと守る。」泣きながら叫ぶこのガキは、大人に食って掛かろうという意気込みなのだから、そうとうの決心であろう。この時町会の役員さんの頭の上に、鬼の様な2本の黄色い角が見えていた。

 その後、恐れていた事は何も起こらずに、コロとの毎日は続いてゆく。あまり大きな声では言えないのだが、回覧版が回ったその後、団地内の動物達は増えていく事となる。その一因としてコロが絡んでいる事も嘘ではないので、やはりあまり大きな声では話さない事としよう。

うぎゅ
 さて、泣き叫びながら過ごした日の出来事、コロの事を絶対に守ると誓った日の出来事、私の12回目の誕生日の日の出来事、その出来事を私は、相当のショックとして記憶しているのであろう。小学校の卒業文集、普通なら、学校生活で起こる様々な楽しい出来事を書くのであろうが、私の卒業文集は、恥ずかしながらこの出来事である。この文章を書くのに当たっては、とても役には立つのだが、今思うと、とても恥ずかしい内容である。
 その卒業文集の最後に私はこう語っている。「トキ、さんざん好きなだけ殺しておいて、数が少なくなってから保護して下さいなどと、よく言えるものだ。このままでは犬や猫でさえいなくなってしまう、人間は勝手な生物だ。」
 しかし、この私も同じ、ただの人間であることに間違いはない。


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