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コロ記

事故

<平成10年3月6日>
おすわり あたり前がどんなに大切な事か、あたり前があたり前である事の大変さをその後に思い切り知らされる事となる出来事が起こった。
 3月の寒い、いつもと変わる事の無い朝。起きてコロに「おはよう」、するとコロが「にゃお」。その日もはじめはいつもと変わる事の無い朝だった。会社に出掛ける私に、いつもなら玄関まで見送りに来てくれるコロが、その日は来ない。私はこたつ布団の上で横になっていたコロに、「行ってくるね」と言い会社に出掛けた。今思うと、その時のコロの目はなんとなくさみしそうだった。
 会社に着いた私は、いつもの様に仕事をしている。すると、突然携帯電話が鳴り出す、自宅からだ。なんだろうとのんきに電話に出る私の顔は一瞬にして豹変したに違いない。電話からは、母の声で「コロが落ちた」と聞こえる。とにかく場所を、誰もいない会議室に移し、詳しく話しを聞いた。
 母は5年前下咽頭ガンを発病し、声帯を摘出している。つまり声を失っているので会話は出来ない。ただ、本人の努力により食道を使った発声法を習い、なんとか日常会話が出来るようになっていたが、さすがに慌てているので聞き取りづらい。何度も聞き返すうちに、コロが自宅の4階から1階に落ちた事、それでも命だけは助かっている事を知る事が出来た。「病院に連れて行って、獣医さんには連絡をしておくから」の一言が、気の動転している私にとっての精一杯の一言だったと思う。この時ほど、119番を回せば救急車が来てくれる人間のシステムがどれだけうらやましく感じられた事だろう。動物病院と自宅に連絡をし、事無きを得たような顔をして、自分の座席に着いた私だったが、どうもそうではなかったらしい。
 仕事中は仕事に熱中する。いつもなら普通にできるこの事が、どうしてもできない、涙こそこらえていたが、パソコンに向かう私の目は天井を見上げ、マウスを握る私の手は小刻みに震えている。仕事が手に付かなかったのだ。私のただならぬ気配に「どうしたの」と同僚。コロの事は以前から話をしていたので、事故の件を伝えると、「早退したほうがいいんじゃない」と言ってくれた。忙しい仕事とコロ、天秤にかけて悩んだが、私はその時一番大切なものを選んだ、早退。「母の具合が悪いので」と上司に嘘をつきながら。
 前日の夜、東京は雪だった。自宅へ向かうタクシー、その車窓から見える積もった白いキャンバスには、コロとの数え切れない程たくさんの思い出がひとつひとつ流れていた。

 一時間後自宅に着きドアを開けた。そこは事故が起こったとは思えないほど静かだった。異常な程の静けさに、不安を覚え、あわてて部屋に入る、誰もいない。まだ病院から帰っていないんだと思いつつ、私の頭の中には、診察台の上に横たわるじっとして動かない血だらけのコロの姿が浮かんでいた。どうしているんだろう、危篤なのか、大丈夫なのか、病院へ行こうか、電話をしてみようかなどと、どう考えても、マイナスの方向への様々な思いが頭の中を駆けめぐっている。そんな時ふっと机の上を見ると、そこには母からの一枚のメモ。「午後5時に病院へコロを連れて行く事になりました」母は出掛けているがコロはうちにいる。コロはどこにいるのだろうと家中を探していると、こたつの中から血の独特な臭いがしてきた。
 そこには、朝私を見送ったコロとは全く違うコロがいる。顔中血だらけ、特に鼻の周りは血が固まっていて、手にも血が付いている。私が近づくと「ウーッ」と低く唸り声。コロが私に見せた初めてで本気の威嚇だった。かなり興奮している、と同時に複雑な心境になった。病院に行ったはずが、なんの処置もしていない、母も家にいない。「どうしたの、大丈夫だった、痛くない」とコロに声を掛けることしかできずにいたが、私の声を聞いたコロは我に返ったのか、ゴロゴロと喉を鳴らして目を閉じ眠りについた。そんなコロを見ながら、私はこたつの前で眠る事とした、コロから見える場所で。
 時間が過ぎ、目覚めた私は、コロが眠っているのを確認し、とりあえず大丈夫だろうと思い、部屋のパソコンに電源を入れた。キーボードを打ち始めるとまもなく、悲しそうな声で「ニャオ!」。その時のコロにとってみれば、精一杯の表現だろう、帰って来たはずの私が見えない淋しさを伝えるための。私はあわててこたつに戻り再び横になった、コロから見える場所で。


おはよ! 帰って来た母に詳しい事を聞いた、事の真相を。その時、母はベランダに洗濯物を干していた。コロはこたつで眠っていたらしい、おだやかな朝の光景である。猫と一緒に暮らしている方は経験があると思うが、ベランダの手すりや、干してある布団の上を平気で歩く、手すりの間から顔を出して下を見る、ごく普通の事と思う。その点に関しては、骨の短いコロも例外ではなく、得意げにやっていた。
 母が洗濯物を干しているとベランダの手すりの下側に、何か黒いものが動いたらしい。洗濯物が落ちたのか、鳥が通ったのかなどと考えたが、もしかしたらコロかもしれないと、母の脳裏を嫌な予感が走った。念のためこたつの中をのぞいてみると、いたはずのコロの姿はそこには無かった。予感が的中していたのだ。全てを投げ出して、母は1階に走った。コロが落ちたと思われる場所へ。
 1階の植え込みに着くと、土とコンクリートの板のちょうど真ん中にコロはきょとんと座っている、口から血を流しながら。あわててコロを抱きかかえると、極度の恐怖から開放された安堵感からであろう、その場でおしっことうんちをしてしまう。母は急いで自宅に戻り、私に電話をかけたのであった。
 病院へ行く事になったのだが、いつもはキャリーに入れられ車で出掛ける。しかし、その日は私がいないので、車では出掛けられない、そこで自転車で病院へ向かう事にしたのだが、今度はキャリーが危ない。考えた末に、買い物用の布袋にコロを入れ自転車で病院へ向かった。しかしコロは病院が大嫌いだった。それが例え、転落事故の後だとしても。
 病院に着いた母は、診察台の上にコロを載せようとした。獣医さんも既に準備をしている。しかしコロの興奮状態はまだまだ冷めてはいなかった。顔中血だらけで手足に傷を負っていても、それ以上に病院の方が嫌だったのだ。袋の中から聞こえる低いうめき声、このままでは診察が出来ないと感じた獣医さんは、私が帰ってから午後の診察に来た方が良いと判断したのである。

 時計の針が午後五時を指した。やっと訪れた病院へ行く時間。バスタオルでコロを包み車で出掛けた。病院に着いたコロは先程のコロとは別人になっている、おとなしく診察を受け、ひととうりの処置を終了した獣医さんが話し始めた。「外傷は注射と処置で問題ありません、運が良かったのでしょう、骨の異常も見当たりません、ただ、あとはこの子の生命力だけです。17歳という高齢での事故なので心配ですが、食欲が戻れば、まだまだ大丈夫です、ただし食欲が戻らないと、後の手段は難しいですが。」 人間ならばこのまま入院、体中に数々の針が刺さり、となるであろうが、コロはそのまま帰宅するだけだった。
 あとは、本人にかかっている。このまま見守る事しか出来ない自分にくやしさをおぼえながら、食欲が出る事を祈りつづけたが、その日も、その次の日もコロに食欲が戻る事はなかった。



奇跡

<平成10年3月8日>
 転落事故が起きて2日目の日曜日、朝起きても奇跡が起こる事はなかった、ぐったりと眠りつづけるコロ。どんなに考えても仕方が無いのはわかっているのだけれど、時間があると原因を考えていた。コロしか知る事の無い原因を。猫は死ぬ所を人に見せないと言う、家の中では隠れる場所が無いからか、それとも痴呆症が原因か。ただ、どんなに考えてもコロの食欲が戻る訳ではなかった。
 事故前日の夜、私は仕事の帰り道、銀座の道路の下にある小さな映画館で映画を見ていた。宮崎駿監督の「もののけ姫」という作品だ。中に、シシ神様という神獣が出てくる。動植物あらゆる物の生命の授与と奪取を司る神様なのだが、劇中に「シシ神様は必要なものは必ず助けてくれる」といった所が出てくる。この様な映画を見た次の日の出来事。私はこの時、実在しないはずのシシ神様に、「コロを助けて」と本気でお願いしていたと思う。私にとってコロは、必要で大切なのだから。
 私に出来る事を考えているうちに、ひとつの事を思い出していた、1年前の父の急死だった。血糖値が高かったため体調を整える目的で入院中だった父がその糖尿病が原因で亡くなった。病気が病気なだけに仕方が無い事だが、かなりの食事制限があり、好きなものは食べる事が出来ない。勝手な思いだが亡くなってみると、好きなものを食べさせてあげたかった気持ちが大きくなっていた。
 コロが大好きなものを用意しよう。それで食欲が出るかもしれない、最後の食事になったとしても、好きなものを食べさせたい、これはひとつの賭けだった。お昼になってもコロはぐったりしたままだ、買い物に行っている間に、容体が急変するかもしれない、その時にはそばにいて声をかけていてあげたい、手も握っていてあげたい、今までの語る事の出来ないくらいたくさんの思い出に感謝の気持ちで見守っていてあげたい。それでも、好きなものを目の前にして食欲が戻れば。
 私は買い物に出掛けた。


ガブッ デパートの地下の食品売り場、メロン、ケーキ、アイスクリームにヨーグルト、コロが大好きであまりかまずに済むものを端から買っていた。緊急連絡用の携帯電話が鳴らない事が唯一の励みだった。急いで自宅に戻る、一秒でも早くコロの顔が見たかったからだ。玄関を開け部屋に入ると、母がコロを抱いている。コロを見てみると、それまで全く考えられないコロがそこにいたのだった。
 カレイの煮付け、最近のコロの大好物。母も私と考えが同じだったようだ、私が買い物に出掛けている間に、近所のスーパーでカレイを買ってきた、コロのために。
 台所でカレイを煮ていると、さっきまでぐったりしていたコロが突然鳴き出した。「にゃおん」(お腹が減った)、一番びっくりしたのは母であろう、それまでの事を吹き飛ばすような奇跡が起こっていた。さっそく料理したカレイをコロに与えているところに私が帰ってきたのだった。もちろん私も飛び跳ねるように喜んだ。コロを抱きかかえて喜びたかったが、当のコロは食べる事に夢中であった。
 もちろん、私の買い物も無駄になった訳ではない。その日のコロの夕食は、どんなパーティーよりも豪華だったに違いない。


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